保存船舶巡り第二弾“日本郵船貨客船「氷川丸」見聞録”
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このような貴重な保存船舶をいかに後世へ伝えていくか、また保存していくかというのは、とても難しい問題です。なにか良い方法がないものか……と考えています。
2013-02-17 23:40:02ちなみに氷川丸と宗谷は共に第四艦隊に所属し、トラック島だの横須賀空襲だので行動を共にしている。また、戦後のコロ島引き揚げ輸送でも行動を共にしているからつくづく縁がある
2013-02-17 23:43:23「氷川丸」船歴
戦前シアトル航路
1929年
9月30日:横浜船渠株式会社にて進水
1930年
4月25日:竣工
5月13日:処女航海へ向けて神戸港を出港
5月27日:シアトル港到着
6月29日:横浜港入港
7月6日:門司港入港。処女航海を無事に終える
以後、第73次航海に至るまで日米間を往復する。チャップリン夫妻や秩父宮夫妻、宝塚歌劇団などの著名人も利用し、変わったものではロンドン軍縮会議の批准書を輸送している。またユダヤ難民の移送も行っていた
1941年
10月20日:第74次航海実施。事実上の海外緊急引揚船として日米双方から民間人を輸送する
11月18日:横浜帰港。シアトル航路が名実ともに封鎖される。同日、海軍病院船として徴用される
海軍病院船
1941年
11月21日:横須賀海軍工廠入渠
12月21日:竣工
12月23日:第四艦隊へ編入される。以後、移動野戦病院として各地を転戦する
1945年
8月2日:特務艦「宗谷」と共に横須賀で空爆を受ける
9月2日:敗戦に伴い国旗の掲揚が禁止される
10月1日:第二復員省所属の病院船となる
直後より飢餓状態に陥っている地域からの緊急復員輸送を実施
1946年
8月15日:軍籍を解かれ、日本船舶運営会所属の民間船舶へ戻る
引揚病院船
1946年
8月16日:運航担当が日本郵船へと戻る。病院施設は日本赤十字社が引き継ぐ
「宗谷」などと共に葫芦島引揚輸送に従事
1947年
1月7日:病院施設が解散。商船への復旧を開始
不定期航路
1947年
3月22日:日本国内の沿岸航路へ就航。主に大阪と室蘭を往復する
1949年
9月6日:海外航路再開。ヤンゴンへ向けて出港する
12月9日:ピストンロッドの修理完了。ロイドへ再入級を許される
1950年
8月15日:北米不定期航路へ就航
9月15日:アメリカ ポートランドに戦後初の日本船舶として入港。ムンク国連大使より国連旗が贈られる。同日より氷川丸は国連旗を国旗の代りに掲揚して航行を行う
1952年
4月28日:スエズ運河通過中にサンフランシスコ講和条約が発効。国旗が再び掲揚できるようになる
戦後シアトル航路
1953年
7月:シアトル航路復帰
1960年
8月27日:復帰第60次航海へ向けて横浜港を出港
10月3日:神戸港入港。客船業務終了
展示船時代
1961年
6月2日:氷川丸マリンタワー株式会社が保有する展示船となる
2008年
4月25日:日本郵船所属へ復帰