犬とオオカミの間～手放すことと繋ぐことの話

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep たった一人の味方を亡くして、貴方もいなくなって、それでも笑ってたわ。でも貴方のことを責めなかった。仕方ないって。私と蓮見が寝れば貴方は満足だった？けど出来ないのよ私達は。互いを選べないの！低く、小さな声で一気にまくし立てられ、思わず息を呑む。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep …貴方が逃げる理由に、私を使わないで。もう、蓮見の前から逃げないであげて。お願い。大きくため息を吐いて、鳥羽さんはカップのお茶を一気に飲み干す。…ごめんなさい、言い過ぎた。もうここには来ないから。…違う、君は悪くない。私も自分に出来ないことを貴方に押し付けて。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 苦笑してた彼女が不意に顔を強張らせた。…鳥羽さん？…ごめんなさい、ちょっと。はらはらと涙を流し始めた彼女にギョッとする。大丈夫なの、貴方のせいじゃない。涙を流しつつもいつものそっけない口調で彼女は淡々とハンカチを出し、涙を拭う。この曲、駄目なの。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 店内から流れてきたのはミシェルが数日前から持ってきて流していた、夭折したピアニストのものだ。くれはさん？お待たせしましたね。坂道の下から穏やかな声がする。…おや、どうされました。声の主は、物腰の穏やかな老親士だった。藤村さん、大丈夫です。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 鳥羽さんは穏やかに微笑む。…ああ、この曲。老親士は、目を細めた。もう５年ですな。ええ。くれはさんもすっかり大人になって。藤村さんに会うから、お洒落してきました。年寄りをからかうものではありませんよ。白髪の髭を撫でながら紳士は笑う。コーヒーを頂けますか。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 僕に穏やかに言うと、紳士は鳥羽さんの向かいに座った。お元気そうで何よりです。くれはさんも。にゃあ。鳥羽さんの膝の猫が鳴き、紳士は優しく微笑んだ。ああ、ごめんなさい君もですね。お元気そうで。満足げに猫は目を細める。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep コーヒーを運んで行くと、テーブルには沢山の書類が広げられていた。ああ、ごめんなさいすぐに片付けるから。書類はあっという間にまとめられ紳士の手に戻る。では、いつも通り進めますね。紳士の言葉に鳥羽さんは静かに頷く。ありがとうございます。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep なあに、これ位しか老い耄れは出来ませんからね。蓮見くんは元気ですか。相変わらずです。良かった、これから奥方のお墓に伺うつもりなのですが、伝えてもらえますか。喜ぶと思います。…くれはさん。はい。幸せですか。紳士の言葉に虚をつかれた様にアーモンド色の瞳は煌く。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep はい、とても。…そうですか。はい。良かった。仕事を途中で抜け出して来たので、今日は失礼します。言って立ち上がる鳥羽さんを優しい眼差しで紳士は見つめる。また、改めてデートして下さいねくれはさん。勿論です。同じ位優しい眼差しで鳥羽さんは頷いた。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 支払いを済ませ鳥羽さんが立ち去って、いいですかと紳士は僕を呼び止めた。はい。…君はくれはさんのお友達ですか。いえ、その…蓮見と、友達なんです。ぎこちない説明に、紳士はそうですかと微笑む。僕は子供も孫もいないから、あの子達が孫みたいでね。二人が元気なら嬉しい。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 僕の視線に、紳士は微笑み口を開く。僕は税理士でね。彼女の資産の管理を。…資産？ええ、春雪くんの遺言で。どれも初めて聞く単語だった。けれど考えてみたら僕は蓮見の監視をしていたが鳥羽さん自身のことは何も知らない。ただ、彼の傍に寄り添う美人。彼と合鍵を預けあう友人。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 彼女のことを気にかけてやってくれと頼まれていたのに、こういう時にしか会えなくてね。蓮見くんが傍にいるなら心配要らないとは思うが。ご馳走さま、そう言って紳士は立ち上がる。…そうだ。不意に紳士は眉を顰めて、僕に言う。申し訳ないが、蓮見くんに伝言を頼めるだろうか。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep …はい？年を取ると忘れっぽくていけない。大事なことでもお構いなしに忘れてしまう。夏樹くんが、こっちに帰ってきてるんだ。忙しい身だから、何もないとは思うんだが。…そう伝えれば、彼には分かるんでしょうか。うん。けど。けど？蓮見くんが手荒なことしなきゃいいんだけど。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 紳士が店を出た後、裏口に回り携帯で蓮見の番号を呼び出す。留守電。告げられた言葉をそのまま吹き込み、また連絡することを付け加えて店に戻る。ミシェル、このＣＤはどうしたんだ？昔からこの人の曲好きだったの。でも最近テレビでよく流れてるでしょう、また聞きたくなって。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 確か、ナギツジ…そう、ナギツジハルユキ。春雪くんの遺言で。紳士の言葉が思い出される。それから、鳥羽さんの涙。僕の知る限りで彼女の涙は初めてだ。ベンジャミンも好き？…ああ。僕は音楽のことは分からない。数日間、店でこのCDを聞いただけだが嫌な気分にはならなかった。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep ほらほら、仕事をおし。サマンサに言われ、ミシェルは慌てて皿洗いに向かう。あの美人さんは怖いねえ。にやりと笑われる。やり取りが聞こえたわけではないだろうが、醸し出される空気は感じ取ったのだろう。あんたの勝てる相手じゃないよ、頑張ってたみたいだけど。勝つも何も。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep ただ、あの頃彼女が羨ましかった。彼の部屋の合鍵を持つだけの絶対的な信頼と安定が。馬鹿だし、八つ当たりだ。あんな形でなければ僕は蓮見と出会えなかったのに。彼を捨てたのは僕の方なのに。彼女が怒るのも無理はない。なのに、かえって謝らせてしまった。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep このピアニストは確かに良いね。ずっと聞いてるけど、飽きないしねえ。サマンサに渡されたCDケースから改めて曲名を見る。クラシックの有名曲、映画のテーマ曲と幅広い演奏曲の中、知らない曲名があった。アーモンドの仔猫。番号を確認し再生する。さっき鳥羽さんが泣いた曲だ。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep まるで仔猫が跳ね回る様な軽快で楽しくなる曲。ああ、その曲はオリジナルらしいよ。ミシェルが教えてくれたんだ、元気が出るね。今頃蓮見の家で夢を見ているであろう小さな同居者を思い出させる。泣いて聞く曲じゃない。そういえば、ニュースでこの曲を聞いたね。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep サマンサが思い出した様に口を開いた。ニュースで？そう、何でもこのピアニストの弟ってのも作曲家でピアニストらしくて、今度担当する映画にこの曲を使うとか。弟？そうさ、あんたと同じ位に見えたよ。確か名前は、ナギツジナツキ。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep もーさぁ、俺に力仕事全部押し付けるの止めてよ。休み明け早々に倉庫の整理やら引越しの手伝いやらで走り回っていた蓮見が不満げに言いながら事務所に戻ってくる。君が一番若いんだから当然でしょう。他にお前に取り柄はないし文句を言うな。鳥羽ちゃんはまだ帰ってないの？ああ。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 後藤と立石は盤上の戦いを続けている。朝から、何勝負目だろうか俺も数えてない。お疲れ。コーヒーを渡してやると、ありがとう椿さん、と笑う。手伝ってやれなくて悪かったな。椿さんは今帰ってきたとこでしょ、この二人朝から今までずっと遊んでるじゃん。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 馬鹿言え、わしは連日庭いじりやら障子の張り直しやらやっておるわ。この病人の相手も仕事のうちよ。僕だって自分がすべきことはしますとも。なかなかそんな仕事を依頼してくれる素敵な依頼人がいないってだけでね。へーじゃあその依頼人がたとえば俺でもやってくれるんすね？

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 蓮見の憎まれ口に、後藤はにたりと笑う。僕は仕事を選ぶよ。報酬もそれなりじゃないと。何せほら、僕所長だからね。依頼の管理全部鳥羽ちゃんがやってるじゃん、どこが所長なの。おお、そうじゃな、あの娘を連れてきたのがお前の最大の功績じゃな。…おう、やるか爺さん。

ゆき。 @Yukilinus

@sasa_sep 構わんぞ、小僧。少しは楽しませろよ。わあわあ騒ぎながら和室に上がった二人を見送り、椿お茶、と所長は告げる。まあねえ、散々力仕事やってから爺様の相手を自らやる馬鹿さが蓮見くんの良さだよねえ。本人が聞いたらまた怒りそうなことを。だから君に言ってるんじゃない。