サザエのお裾分け ヨハネの黙示録1章
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wancupmaster
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2)黙示録を調べてみてもない場合は、他の聖書箇所でそのことばがどう使われているかを確認する。ちょっと気が遠くなる作業ですけどね。ガンバです!
2013-02-22 20:35:13![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
3)それでも無い場合にのみ、象徴的なことばとして解釈する。 *これらの原則に沿って読むと大抵理解できるのです。
2013-02-22 20:40:40![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
七つの金の燭台ー原則に沿って黙示録を探すと、ちゃんと説明がありました(^_^)v。cf 黙示録1:20ーわたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その秘められた意味を言えば、七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。「七つの教会」のこと。
2013-02-22 20:47:54![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
黙示録1:13ー燭台の真ん中=教会の真ん中。人の子のような方=イエス(公生涯の間、主はご自身のことを指して“人の子”…人として来られたことを強調…ということばを好んで使われました。ヨハネもここで「人の子のような方」と記録しています。その容姿は…?
2013-02-22 21:06:09![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
黙示録1:14ー2)その頭と神の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようでした。 「白い」「白く」ー潔さ。「燃える炎」ー罪に対するさばき。
2013-02-22 21:13:58![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
黙示録1:15ー3)その足は、炉で精錬されて光輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようでした。「しんちゅう」ー黄銅。「大水の音」ー権威。
2013-02-22 21:19:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
黙示録1:16ー4)右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようでした。「七つの星」ー黙示録1:20から「七つの御使い」のこと。*聖書に「星」ということばが象徴的に用いられている場合、例外なく「御使い」と指します。cfイザヤ14:12~13
2013-02-22 21:31:57![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「鋭い両刃の剣」ーさばき。cf ヘブル4:12ー神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
2013-02-22 21:39:40![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「強く照り輝く太陽」ー神の栄光。 これらのことから、教会の中に立って裁きをされようとする王なるキリストの姿が見えてきます。
2013-02-22 21:43:37![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
黙示録1:17ーヨハネはこのイエスを見たとき、その足もとニに倒れて死者のようになりました。彼…イエス。右手…力を表わす。イエスは、死者のように倒れているヨハネに右手で触れて言われました。
2013-02-22 21:53:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
「恐れるな」ー今も主は言われます。“恐れるな。わたしがあなたをあがなったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの”だとーイザヤ43:1b。神に名を呼ばれ、神の子、神のものとされました。その神の御手の中にあって、神の栄光を現わすために私たちは造られました。
2013-02-22 21:56:50![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
黙示録1:18ー2)わたしは生きている者である。私は死んだが、見よ、いつまでも生きているーキリストが復活して、今も生きておられます。アーメン。
2013-02-22 22:00:48![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
*もしキリストがただの人だったとしたら、誰かひとりのために身代わりで死ぬことはできても、全人類のために身代わりとなることはできません。もしキリストが神の子として来られたら、キリストに出会った人はみな死んでしまったでしょう。罪ある人間が神を見てなお生きていることは出来ないからです。
2013-02-22 22:06:22![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
それに、神の子としてだけで来られたら、身代わりになることはなかったでしょう。なぜなら、神は死ぬことはないからです。
2013-02-22 22:07:28![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
だからキリストは神なのに、全人類の身代わりとして死ぬために、人として来られたのです。cf ピリピ2:6~11。
2013-02-22 22:09:23![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
余談ですが、エホバの証人は「最初であり、最後である」ー1:17、「アルフであり、オメガである」方1:8、「アルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである」ー22:13ーこれらは、すべてエホバを指すと主張します。
2013-02-22 22:22:22![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
18節は17節の続きなので、「わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている」もエホバに当てはまることになります。しかし彼らは、エホバが死んだという聖書箇所を提示することは出来ないのです。死んで、復活されたのは、御子イエス・キリストのみです。アーメン!
2013-02-22 22:25:09![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
黙示録1:19ー黙示録のテーマは、1章7節でした。ここでは、そのテーマがどう展開されるのかが示されています。 1)あなたの見た事ーヨハネが見た事は、黙示録1章の内容です。 2)今ある事ーヨハネが生きていた一世紀当時にアジアにあった七つの教会のこと。黙示録2〜3章の内容です。
2013-02-22 22:31:46![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
3)この後に起こる事ーヨハネの死後に起こること。黙示録4〜22章の内容であり、2013年現在でも神の忍耐によりまだ起きていません。それをこれから学ぶことにより、クリスチャンとしての生き方が定まって来ると思います。
2013-02-22 22:36:18![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
黙示録1:20ーここでキリストは、先程出て来た象徴的なことばの解説をされています。「七つの星」ー七つの教会の御使いたちのこと。「七つの燭台」ー七つの教会のこと。
2013-02-22 22:42:37![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
*「教会」には2種類あることを覚えておいてください。 1)地域教会ー建物等、目に見える教会で、信者も未信者も、求道者も時には反対者もいます。イエスは地域教会を“畑と種”に譬えて教会の裁きについて語られましたーマタイ13:24~30。だから教会に問題があっても不思議ではないのです。
2013-02-22 22:52:46![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
2)普遍的教会ー建物ではなく、目に見えない教会で、イエスを主と信じる信者の集まり。ペンテコステから主イエスの(空中)再臨までの期間に救われるすべての信者を含みます。cf マタイ18:20ーふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。
2013-02-22 22:58:17