茂木さんの朝の連続ツイート2010年8月
就職(11) 新卒一括採用に偏した日本の就職慣行は、国連人権委員会に訴えられてもよいくらいの愚かさのレベルに達していると考える。
2010-08-06 08:12:49就職(12) 一斉に大学を卒業し、一斉に入社して働きだすという日本のやり方は、「ものづくり」中心だった頃は良かったかもしれないが、インターネットがグローバルな偶有性のネットワークを生み出す時代に、全く時代遅れになってしまった。
2010-08-06 08:14:06就職(13)新卒一括採用で、他社に遅れると優秀な人材が確保できないと思っている人事担当のみなさん。それは、おそらく幻想です。本当に優秀な人材は、そんな決まり切ったレール以外のところにいます。そろそろ、御社は、世に先駆けて新卒一括採用をやめてみませんか?
2010-08-06 08:16:18タイガージェットシン(1)小学校5年生の時、島村俊和君に、越谷市民体育館にタイガージェットシンを見に行こうと誘われた。体育館の前で入り待ちをしていると、アントニオ猪木などが来て、握手をしてくれた。
2010-08-07 09:01:00タイガージェットシン(2)島村君が、「他の選手は演技だけれども、タイガージェットシンだけは本気だから、絶対に目を合わせてはいけない、目を合わせて、サーベルでなぐられて、怪我をした人もいる」と真剣な顔で言った。
2010-08-07 09:01:55タイガージェットシン(3)ぼくは本気にして、身体を硬くして待っていた。やがて、シンが来た。本当にサーベルを持って、口にくわえて歩いてきた。ぼくは、目を合わせたら殴られると思って、必死になって別の方向を見ていた。今考えると、銃刀法上はどうなっていたのだろうか。
2010-08-07 09:03:21タイガージェットシン(4)試合が始まった。猪木が和服美女から花束をもらっている間に、シンがサーベルでなぐりかかった。場外乱闘。パイプ椅子がなぎ倒され、サーチライトが追う。「お気を付けください、お気をつけください」とアナウンサーがあおる。ぼくたちは逃げ惑った。大興奮。
2010-08-07 09:05:05タイガージェットシン(5)乱闘は続く。やがて、「よきところで」ゴングがカーンとなって、アナウンサーが何事もなかったように「ただ今試合が始まりました」と言った。それを聞いて、ぼくは、じゃあ、今までのは全部良かったのか、反則じゃなかったのか、と思った。
2010-08-07 09:06:12タイガージェットシン(6)タイガージェットシンの生命哲学。花束贈呈とか、選手紹介とか、そういう手続きや根回しは無視して、一秒目からトップスピードで疾走する。その生きざまに、小学校5年生のぼくは惹かれていたのだ。
2010-08-07 09:07:10赤毛のアン(1)小学5年生の時、図書館で背表紙が光って見える本があった。『赤毛のアン』。夢中になって読んだ。村岡花子さんの訳で全巻を読み、高校生の時には原書で全部読んだ。プリンスエドワード島にも二回行った。
2010-08-08 05:16:52赤毛のアン(2)なぜ、『赤毛のアン』に夢中になったのか。今思えば、それは一つの「敗戦体験」だったと思う。この小説の中に描かれている生活のあり方、人としての生き方が、当時の日本のそれよりも「上」だと、小学生の私は思ってしまったのだろう。
2010-08-08 05:18:24赤毛のアン(3)マリラとマシューは、男の子を引き取るつもりでいた。ところが、孤児院から来たのは女の子。二人は驚くが、やがてその運命を引き受ける。マシューは、その子が自分たちに何をしてくれるかではなく、自分たちがその子に何ができるかと考える。
2010-08-08 05:19:30赤毛のアン(4)アンは、そのみずみずしい感性で、周囲の人たちの人生をよみがえらせる。半ば死んだような感性で生きていた人たちが、アンの驚きを共有して、やがて自分たちの生活をも変えていくのだ。
2010-08-08 05:20:45赤毛のアン(5)ギルバートは、アンをひと目見てかわいいと思う。ところが、アン本人が、自分の外見の最大の欠点だと思い込んでいる「赤毛」をからかってしまう。このことによって、アンの「長い沈黙」が始まる。
2010-08-08 05:22:04赤毛のアン(6)アンは、ギルバートを愛してしまった。それがゆえに、5年の長きにわたって、一言も口を利かないという「沈黙」に入るのである。
2010-08-08 05:22:47赤毛のアン(7)本来、この小説は、一作だけで終わるはずだった。そのように考えて読むと、マシューの死とマリラの衰えのために、アンが大学進学を諦めて地元で先生をやるという結末は、感動的なものとなる。
2010-08-08 05:24:01赤毛のアン(8)アンの青春は、一気に広がる。輝かしい未来が待っているように思う。ところが、それが、一気に「現実」に着地する。その縮小のプロセスにこそ、生きることの真実がある。
2010-08-08 05:25:30赤毛のアン(9)かつてマリラとマシューが自分たちの運命を受け入れたように、アンもまた自分の運命を受け入れる。この潔さこそが、小学生の私を感動させた何ものかの正体だった。
2010-08-08 05:26:13赤毛のアン(10)『赤毛のアン』は、また、様々な偏見や、いわれなき慣習を超えて、「人間として生きる」上で何が大切なのかということを教えてくれる小説でもある。
2010-08-08 05:27:36利他(1)若い時は、とにかく自分が何とかなりたいという気持ちが強い。勉強が得意になりたい、仕事が欲しい、恋人が欲しいと、自分自身の幸福を願いがちである。
2010-08-09 07:42:37利他(2)自分のためばかりを考えていても、一人分のエネルギーしか出ない。この世に、自分というものは一人しかいないからだ。
2010-08-09 07:43:13利他(3)発想を変えて、他人のために、と思ってがんばってみる。最初は誰か一人のために。次には、周囲の数人。その知り合い、次第に、不特定多数の人たちのために。
2010-08-09 07:43:46利他(4)他人というのはたくさんいるから、他人のために、とがんばれば、それだけたくさんのエネルギーが出る。知らずしらずのうちに、自分自身の生きるエネルギーへと転換されていくのだ。
2010-08-09 07:44:27利他(5)自分一人だったら、好きなものはわかっている。こうすれば自分が喜ぶ、ということはだいたいわかる。だから、自分のために、というのは、ある意味では自分勝手でもかまわない。
2010-08-09 07:45:19利他(6)多くの他人のために何かをしようと思ったら、さまざまな意見、好み、考え方がある中で、誰でも必要とするような何ものかを構想しなければならない。つまりは、「普遍的人間像」を鍛えねばならないのだ。
2010-08-09 07:47:16