kasuga391さんによる、カルネアデスの板と日本語と英語。
具体的に言うと、日本語版では「自分が先につかまっていた板に、後からすがりつこうとした男の手をふりほどいたら殺人になるか?」という記述なのに対して、英語版では「先につかまっていた男の板を、自分が後から奪い取ったら殺人になるか?」という記述になってる。
2013-03-04 23:23:03日本語版
カルネアデスの板(カルネアデスのいた、Plank of Carneades)は、古代ギリシアの哲学者、カルネアデスが出したといわれる問題。カルネアデスの舟板(カルネアデスのふないた)ともいう。
舞台は紀元前2世紀のギリシア。一隻の船が難破し、乗組員は全員海に投げ出された。一人の男が命からがら、一片の板切れにすがりついた。するとそこへもう一人、同じ板につかまろうとする者が現れた。しかし、二人がつかまれば板そのものが沈んでしまうと考えた男は、後から来た者を突き飛ばして水死させてしまった。その後、救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたが、罪に問われなかった。
英語版
In ethics, the plank of Carneades is a thought experiment first proposed by Carneades of Cyrene; it explores the concept of self-defense in relation to murder.
In the thought experiment, there are two shipwrecked sailors, A and B. They both see a plank that can only support one of them and both of them swim towards it. Sailor A gets to the plank first. Sailor B, who is going to drown, pushes A off and away from the plank and, thus, proximately, causes A to drown.
拙訳
まず水夫Aが板にたどりついた。溺れそうな水夫BはAを押しのけて板から追いやり、このように、直接的に、Aを溺死させた。
http://t.co/wjsSnKGflL カルネアデスの板の現存する一番古い出典であるラクタンティウスの『神聖教理』によれば、どうやら英語版の記述の方が正解らしい。
2013-03-04 23:23:59ラクタンティウス『神聖教理』該当部分の訳出
これだけではよくわからないので、以下解説。
こちらの。
こちらから。
カルネアデスの反正義論の射程
近藤 智彦
※PDFです
http://greek-philosophy.org/ja/files/2011/08/2011_3.pdf
こちらをご参照ください。
以下引用。
ヘレニズム期のアカデメイア派を代表する哲学者、カルネアデス(前 214/3-130/29 年)の名は、「カルネアデスの舟板」の議論を通して、日本でも広く知られている。しかし、この「カルネアデスの舟板」の議論はどのような資料を通して伝えられているのか、その元来の哲学的意義は何であったのか、といった問いに、ギリシャ哲学の研究者が関心を寄せることはあまりなかったようである。
「カルネアデスの舟板」の議論を伝える現存する唯一の資料は、ラテン教父ラクタンティウス(後 240 年頃-320 年頃)の『神的教理(Divinae institutiones)』第 5 巻である。『神的教理』第 5 巻では正義をめぐる「異教」哲学の諸議論が批判的に検討されたうえでキリスト教的な考え方が擁護されるが、そこで中心的に取り上げられるのはキケロ(前106年-43年)の対話篇『国家について(De re publica)』第3巻である。「カルネアデスの舟板」の議論を紹介するラクタンティウスの記述もキケロに基づくと考えられ、キケロ『国家について』の校訂本や翻訳には通常この箇所が収められている(Lact. Inst. V.16.9-10 = Cic. Rep. III.30 Ziegler [Z] = III.16 Powell [P])[2]。キケロ『国家について』自体は、マクロビウスの註釈とともに伝えられた第6巻「スキピオの夢」の部分を除いては、1820 年に発見されたパリンプセストによって断片的に読めるのみであり、残念ながら「カルネアデスの舟板」の議論に該当する箇所は欠落している。しかし、仮にキケロ『国家について』のテキストが完全な形で残っていたとしても、はたしてキケロがカルネアデスの議論をどこまで忠実に伝えているのかという問題が、なおわれわれを悩ませたことだろう。そもそもカルネアデスは著作を遺さなかったと伝えられており、キケロがカルネアデスの議論を知ったのは後継者クレイトマコスなどの紹介を通してであったと考えられるのである(D.L. IV.65, 67)。このような資料の問題はヘレニズム哲学研究全般につきまとうが、ソクラテス以前の哲学の場合と同様、「これを困難な制約と見るか、ジグソーパズル解きの面白さと見るかは、ひとえに解釈者の趣味と力量の問題であろう」。
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[2] キケロ『国家について』の最新の校訂本は Powell (2006)であるが、従来の Ziegler (1969)の巻・章数も合わせて記す(以下 Ziegler は Z、Powell は P と略す)。岡道男訳 (1999)は、Ziegler を底本としているものの、この箇所を訳出せず省略している。
『神聖教理』はキケロによるカルネアデスの引用をラクタンティウスがさらに引用する、という形になっているようです。
『国家について』は完全な全文が残っていないため、校訂本ではこの『神聖教理』に引用された部分からの復元が行われているとのこと。
人物について
カルネアデス(希:Καρνεάδης, ラテン文字転記:CarneadesまたはKarneades, 紀元前214年 - 紀元前129年)は、古代ギリシアの哲学者。カルネアデスの板という問題を出したことで有名である。
マルクス・トゥッリウス・キケロ(ラテン語: Marcus Tullius Cicero, 紀元前106年1月3日 - 紀元前43年12月7日)は、共和政ローマ期の政治家、文筆家、哲学者である。