- parasite2006
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@JPN_LISA 前にもお伝えしたかと思いますが、今回の震災の後、東北電力の役員一同が墓参りに行ったそうです。副社長のおかげで助かりましたと、お礼に。 @choco_7188
2013-03-08 02:20:16女川は敷地高だけではなく、引き波対策として取水路に傾斜を設け、海水をプールできる構造。あとは海水ポンプのピット化。RT @Ichy_Numa: もちろんです。それで、当時の重役一同の反対を押し切って、女川原発をあの高さに建設したんです。 RT @choco_7188”
2013-03-08 02:27:25@Ichy_Numa @choco_7188 平井弥之助は浜岡原発にも津波対策をアドバイスしていたんです。沖合400mの取水口から海底トンネルで取水する構造は、引き波による海水喪失対策。という事で、近々浜岡原発に視察に行ってきます。平井弥之助の哲学が通底しているか否か、見て来ます
2013-03-08 02:35:20何度も言うけど、歴史的&自然科学的証拠に基づく警告を無視して、社内シミュレーションも無視して、取るべき対策を取らず、対策さえ取っていれば防げた事故を起こしたことが、東京電力の犯罪的過失なのであって、そこをこそ問題にしなければいけないのです。一般論・原則論としての原発賛否の前に。
2013-03-08 02:38:31東京電力の事故責任は、原発の賛否とは別次元の話なのに、そこが曖昧にされているのが非常に問題。もう二年も言ってるんだけどな、このことを。
2013-03-08 02:41:06どこまで安全を確保できるかという問題と、確保できることが分かっている安全の確保を怠ったかどうかという問題は、一緒にしてはいけないんですよね。
2013-03-08 02:46:18まとめ公開後、@JPN_LISA さんから追加でご教示いただきました
@parasite2006 こちらも参考に。『女川歴史民俗紀行〜平井弥之助と貞観・慶長大津波伝承の旅』。これは女川発電所が設計思想に携える大津波伝承の地を旅するものです→ http://t.co/ikUic8gDwy http://t.co/7QAmdSy468
2013-03-08 12:10:33つけたし:貞観大津波と和歌
末の松山 波越さず http://t.co/G3n5ZAeL 「末の松山を詠んだ歌が初出する古今和歌集(905年奏上)は貞観津波からどれほども経っていないので、貞観津波が末の松山を越えなかったという伝承が都に伝わり多くの歌が生まれたというのが妥当な解釈」
2012-11-06 16:54:18もう一つ、波越さず。こっちのほうが分かりやすい。沖の石から逆にたどってる。http://t.co/Vp2EJQIP
2012-11-06 17:10:18つけたし2:貞観津波をめぐる印象的なツイート
平安の人々が見た巨大津波を再現する-西暦869年貞観津波 産総研(2010年8月) http://t.co/8uwnrF0ykj
2013-03-09 10:54:51(↑引用は産業技術総合研究所の断層地震研究センターが発行する広報誌「AFERC NEWS」2010年8月号の巻頭論文。宮城県と福島県の沿岸部で行われた貞観津波の痕跡の調査と、これをもとに貞観津波を起こした断層の動きをコンピュータシミュレーションで再現する試みを紹介しています)
ビッグデータが重要なのは確かですが、一方で、貞観津波を記録した日本三大実録は約160字、集落を津波から救った宮古・姉吉地区の石碑は約70字です(たった約1ツイート)。特に日本三大実録の記述は、311の情景を思い起こさせる臨場感あふれるもの。何を後世に伝えるべきか考えさせられます。
2013-03-03 23:14:45(↑日本三代実録にある貞観津波の記録は、読み下し文と現代語訳つきでこちらhttp://bit.ly/ZAwdf9 でご覧いただけます。@shanghai_ii さん、ご教示有難うございました)