山本七平botまとめ/【今、なぜ「論語」なのか③】/「由(よ)らしむべし、知らしむぺからす」の曲解を正す

山本七平著『論語の読み方』/今、なぜ「論語」なのか?/なせ、戦後の『綸語批判』が的はずれか/26頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①私は戦後の食糧不足のころ、しばらく闘病生活をしていたが、病中のつれづれに読んだ雑誌の一文を、遠い音に何かで読んだような気がした。 何であるかしばらく思いつかなかったが、ふと『論語』のあの句ではないかと思い、思い当たるところを開いてみた。<『論語の読み方』

2013-03-05 14:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

②そこには政治のあり方を弟子の子貢に問われた孔子が「食糧備蓄、軍備の充実、民の信頼」を挙げ、更にこの三つが保持できない場合、まず何を捨てさるかを問われ、まっ先に「軍備」を挙げ、次に食糧備蓄を挙げ、何よりも大切なのは人民の信頼で、これを失ったら一切の政治はないと説いているのである。

2013-03-05 15:27:51
山本七平bot @yamamoto7hei

③…(原文省略)…これを読んだのは、確か自衛隊の前身の警察予備隊ができたころであった。 食糧不足の時代に私が読んだ民主主義・平和主義的論文が、どのような内容であったかは、この孔子の言葉から読者は察知されたであろう。 つまり、まるで同じ趣旨のものだったのである。

2013-03-05 15:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

④「由(よ)らしむべし、知らしむぺからす」の曲解を正すこの「民主的」な言葉と、「ホーケン的」と排撃された俗にいう「由らしむべし、知らしむべからず」とは実は関連を持っている。

2013-03-05 16:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤この言葉は「民には何も知らせてはならない、信頼させて黙ってついてこさせるべきだ」と解釈され、それを戦時中の日本になぞらえて批判されたわけだが、…原文は「民可使由之。不可使知之。」で、この「可・不可」は「できる、できない」の意味。

2013-03-05 16:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥したがって「民衆からは、その政治に対する信頼をかちうることはできるが、政治の内容を知らせることはむずかしい」という事実を、そのまま述べた言葉である。

2013-03-05 17:27:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦前に、ある人が通俗的誤用でこの言葉を引用したので、それは間違っている旨を公開の席で指摘したところ、その人は憤然として「戦後になったら、世の中に迎合してそんな新解釈をやっているだけで、戦前はそうではなかった」と言った。

2013-03-05 17:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧だがこれは誤りで、五十年前の宇野哲人の『論語新釈』でも、この「可・不可」を「できる、できない」と読んでいるのは同じである。 ただ違いは「之に」「之を」の「之(これ)」を、政治の内容と解するか、道徳的感化の内容と解するかの違いだけである。

2013-03-05 18:27:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨…もっとも『論語』にはさまざまな解釈があり、これを「知らせてはならない」の意味に採っている者もいる。 この場合も、問題は「之」であり、江戸初期の儒者・伊藤仁斎は孟子を援用して次のように解釈している。

2013-03-05 18:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩すなわち「民は……これを利するも庸(よう)とせず(政治家のおかげと思わず)、民、日に善に遷(うつ)って、これを為す者を知らず」で、王者はたとえいかなる善政を布き、民がそれで利しても「俺がやったのだ、俺様のおかげだ」と「民に知らしめてはならない」の意味であるとしている。

2013-03-05 19:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪この意味なら「この橋はオレが架けた。この道路はおれが造った」などと言う政治家は最低となるが、この意味に採っても、この言葉に不賛成の者はいないであろう。 そして、そのような最低の政治家であれば、結局「民の信を失う」結果となる。

2013-03-05 19:57:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫これは、程朱(程子・朱子)以来の伝統的な解釈ではないが、伊藤仁斎以来、やはり日本人の政治感覚のどこかに残っている考え方であろう。 とすれば、その人の考え方もまた「論語的」なのである。

2013-03-05 20:27:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬【共通の規範かなければ、信頼感は生まれない】さらに「知らせることはむずかしい」という正統派的解釈を採れば、「現実には今でもそうだな」と思わざるを得ない。

2013-03-05 20:57:42
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭というのは、複雑な現在の国内的・国際的政治情勢の中で、「政府の政策の内容」をことごとく国民に知らせることも、また知らされたからといって、その全部を読んでことごとく理解することも、現実には「不可使知之」であろう。

2013-03-05 21:28:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮否、それ以前に、日本国の法律の全部の内容を知ることも「不可使知之」である。 われわれは「六法全書」を全部暗記しているわけでもなければ、また判例を知っているわけでもない。 …だが、日本人ぐらい司法を信用している民族はないといわれる。

2013-03-05 21:57:43
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯これは「知らないが、信用している」ということ、そして「論語」がその現実を指摘したのなら、それは今のわれわれにとっても変わらざる現実である。

2013-03-05 22:27:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰そして孔子は「政治への信頼をかちえることはできる」と言い「民信なくば立たず」…すなわち「人民の信用をなくしたら、それはもう政治ではない」と言うわけで、これはまさに、現代への最も正しい政治的認識といえるであろう。 もちろん、このことは経営者にも言えるし、管理職にも言える。

2013-03-05 22:57:42