渡邊芳之先生ynabe39の「多様でありつつ殺しあわないことはどのようにして可能か。」
多様性と正義ってすごく根本的なところでは両立しないのではないか。
けっきょくなにかの「多様でない正義」によって外側から大きく包み込まなくてはいけないなら「宗教の時代はまたくるで〜」としか言えない。
by 渡邊芳之
渡邊芳之
@ynabe39
とくに信仰を持っていなくてもインテリとか知識人の価値観やものの考え方は「キリスト教的」であることが多いと思う。インテリが好むものの多くはなにがしかキリスト教的なものを含む。
2013-03-12 13:55:26
権藤
@gonnabe72
生きたい欲求と知りたい欲求から科学が生まれ、知りたい欲求と仲間になりたい欲求からは文化が生まれ、仲間になりたい欲求と生きたい欲求から宗教やビジネスが生まれ、そして「脳の自然な姿とは意見や立場の相違を尊重する事」というお約束。
2013-03-12 15:43:35
渡邊芳之
@ynabe39
「自分がされて嫌なことを他人にしない」という原則だけで「うまく回る」ためには似た人だけが集まる均質な社会が必要。「自分は大好きなことを死ぬほど嫌がる人」や「自分は死ぬほど嫌なことが大好きな人」がいるときにはどうするのか。
2013-03-12 22:49:54
渡邊芳之
@ynabe39
「他人も自分と同じ人間である」という仮定は思いやりも生み出すけれど憎しみや恐怖も生み出すと思う。とくに「自分とは違う人間」がいるとき。
2013-03-12 22:51:11
沼崎一郎
@Ichy_Numa
逆だね。残酷になるために、思いやりも想像力も停止させるんだね。火星人どころか、家族に対してもできるよ。 RT @ynabe39 自分の思いやりや想像力が及ばないとわかった相手には人間はいくらでも残酷になれる。
2013-03-12 22:57:22
渡邊芳之
@ynabe39
@Ichy_Numa それはだれもが「そうであろう」と想像できることですね。しかし想像力や思いやりが生み出す残酷さはあまり想像されない。
2013-03-12 22:58:24