渡邊芳之先生ynabe39の「多様でありつつ殺しあわないことはどのようにして可能か。」
「誰かのために何かをしたい」と言う人はだいたい自分のことができてなくてそれを埋めたいだけなんだが問題なのはその思いそのものではなくその思いを自覚しないまま他者に押し付けることだ
2013-03-12 10:52:05いろんな抵抗の戦略があっていい。路上で意思表示をするのもいい。連帯するのもいい。ひとりで座り込むのもいい。問題をずらして揶揄するような言語戦略を蓄積するのもいい。液状化した社会で何が奏功するかはわからないから、それは多様であるほどいい。だから/でも、「それは無駄だ」はやめよう。
2013-03-12 11:11:27人が相関と因果を区別できないのは少なくともこれまでの人間の進化の歴史ではその区別ができないことが特に大きな不適応を引き起こさなかったからだろう。それが今の文明や社会との関係で急に不適応を生みやすくなっている。
2013-03-12 11:15:31前から書いている第一種と第二種の過誤の問題も同じで、この文明や社会が人間の生物としての「惰性」を打ち破るほど長く続くかどうかの問題。
2013-03-12 11:18:26クッションの綴じ目が一つでも生きられるようなイスラームの他はないかと…。 RT @ynabe39: 多様でありつつ殺しあわないことはどのようにして可能か。
2013-03-12 11:34:41@ynabe39 システム屋からすれば密結合を避け、疎結合にする。ほかの言い方をすれば、緩衝地帯をもうけて直接接触しないようにする・・・・密結合すると障害、もしくは攻撃に弱くなるわけで・・・
2013-03-12 11:35:29宗教でも法でも何でもいいから、異種族のヒトゴロシを抑制しなきゃいけないというのがすべての出発点。そしてこれまでのところ最小公倍数としてもっとも有効に機能しているのが「人権」。
2013-03-12 12:12:19この構図は、例えば生活保護叩きに関しても同じ。「俺の月収が生活保護より低いなんておかしい!」 から、「保護を受けさせるな! 受給額を減らせ!」 になる。「働いている人も、働けない人も、ともに住みやすい社会にしよう」ではなく、「俺が辛いんだから、他人はもっと辛くさせよう」 になる。
2013-03-12 07:54:06「マジョリティに迷惑をかけない限りマイノリティの存在を認めてやろう」という態度は、「マジョリティ=審査する側」「マイノリティ=審査させる側」という暗黙の了解を前提としているわけで、その自大な「寛容さ」には、審査から弾き落とされる者に対する不寛容さが内包されているわけですね。
2013-03-12 12:28:04欧米先進国的な意味での人権が「それ自体の価値は疑われないもの」である社会と「そうでない社会」とが「多様性」の範囲内で共存できないとしたら,何が起きるか。
2013-03-12 12:47:23