渡邊芳之先生ynabe39の「多様でありつつ殺しあわないことはどのようにして可能か。」

多様性と正義ってすごく根本的なところでは両立しないのではないか。 けっきょくなにかの「多様でない正義」によって外側から大きく包み込まなくてはいけないなら「宗教の時代はまたくるで〜」としか言えない。 by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

他人から「お互い様でしょ」といわれてうれしかったこととうれしくなかったことではどちらが多いか。

2013-03-12 23:02:31
沼崎一郎 @Ichy_Numa

それを必要としないための、「権利」思想。 RT @ynabe39 思いやり信仰。

2013-03-12 23:10:45
沼崎一郎 @Ichy_Numa

とてもじゃないが「思いやれない」相手の尊厳を認めて尊重するのが「人権」。

2013-03-12 23:12:49
渡邊芳之 @ynabe39

@Ichy_Numa とすると人権というのはもともと「人が自然には受け容れがたいものである」ことになりますね。実際そうだと思います。

2013-03-12 23:15:11
沼崎一郎 @Ichy_Numa

はい、そうだと思います。 RT @ynabe39 とすると人権というのはもともと「人が自然には受け容れがたいものである」ことになりますね。実際そうだと思います。

2013-03-13 02:23:06

まとめ 渡邊芳之先生@ynabe39の「「人権を守れ」「差別をなくせ」とわれわれに命ずる神様が必要。」 「淘汰圧」とは「神」の別名。 「みんながよいと認めることは自由にやってよい」というのは別に古代の社会でも封建制や独裁制の国家でも大昔からそうであったと思うから,近代以降にわれわれが勝ち取ったといわれる「自由」が「みんながよいと認めることは自由にやってよい」ということではないのは明らかだ。 by 渡邊芳之 1742 pv 3 1 user