2013年3月15日放送 ニコニコチャンネル【ボクタク外伝】開沼博×初沢亜利(写真家)【対談放送】実況まとめ

2013年3月15日に放送された、「ニコニコチャンネル『ボクタク外伝』開沼博×初沢亜利(写真家)対談放送」実況まとめになります。 ハッシュタグ #bokutaku からの抽出で構成しております。 本放送配信ページ:http://live.nicovideo.jp/watch/lv129429140 『ボクタク』チャンネルページ:http://ch.nicovideo.jp/bokutaku 続きを読む
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_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「関係持たせない隣国。拉致問題などもある。イラクと違って生活に直結する問題だから、写真家として眼差しを向ける対象だなと。」

2013-03-15 23:26:05
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「また写真を撮る時に、これが一番効果的ではないかというものを探している。映像で動きもあって、そっちに叶わないのはやらない方がいいなと。北朝鮮ではカメラを向けてもお決まりのコメント」

2013-03-15 23:27:05
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「なので、かつてイラクの人々の生活のように北朝鮮を撮ると、どこまでいけるか分からないが、入口になった。また戦前のイラクは治安が良かったが、そういう意味でも北朝鮮も治安の良い国で、変なことをしなければ拘束されないだろうということで行ってみた」

2013-03-15 23:28:14
_ @K2_amado

#bokutaku 開沼博「戦場カメラマン的な」 初沢亜利「人間の盾と同じ頃に入っていた。残ることも考えたがXデーも分からない。でXデーが決まって入っていった。宮嶋茂樹さんの映像とかもあった。」

2013-03-15 23:29:11
_ @K2_amado

#bokutaku 開沼博「宮嶋さんなどとの仕事の違いは」初沢亜利「僕はカメラマン、写真家である前に、一市民として旅行した時に感じる感覚を大事に写真をとるべきだなと。この国はこうだから撮らないといけない、という気にどうしてなるのかがわからない」

2013-03-15 23:30:13
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「どうして皆がひとつの視点で北朝鮮を捉えてきたんだろうと」開沼博「そうしないと価値を持たないと。ど乗り越えられるのか」初沢亜利「報道的な視点が抜けているのかもしれない、むしろ彼らにも聞いてみたい」

2013-03-15 23:30:58
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「フリーだからできることというのは大事にした方がいい。被災地には震災翌日に入った。最初は名取。表紙は気仙沼、4月の終わりの桜が咲いている所、桜の名所の河川敷。川には津波で流された車が浮いている」

2013-03-15 23:32:01
れすざんぜろ @lessthan00

【ニコ生視聴中(92分経過)】 【ボクタク外伝】開沼博×初沢亜利(写真家) http://t.co/YLYSIlevky #nicoch1477 #bokutaku

2013-03-15 23:32:41
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「新聞社のカメラマンも同じようなタイミングで入っていたが、例えば20人ぐらいのカメラマンが入っているが、翌日の朝刊の一面を争っている。誰が撮るのかも大事だし、使われないカメラマンもいる。いわゆるマスメディア的なところ」

2013-03-15 23:33:02
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「ただ僕の場合は誰かに行けと言われたわけではない。ただあそこまで悲惨だと、悲しみというのが湧いてこない。悲しみはとにかく自分とその対象との物語の中で湧いてくる感情。」

2013-03-15 23:34:18
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「ある種感情の反応のしようがなかったと。、故に多くの文筆家はことばにならないと書いてしまったのではないか。言葉にならないが、写真は撮れた。どうすればわからない中で写真を撮っていた。それまでの美意識や世界観が、かなり無意識の中で写し込まれている」

2013-03-15 23:35:32
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「結果としてかなり綺麗な写真がカメラに収まっていってしまった、戸惑うところもあった。倉庫とかに行ってみたら、盗んでいく光景など。略奪はなかったとされるので切り捨てられる。震災直後で様々なものが散らばっていた」

2013-03-15 23:36:32
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「とにかく写真を撮る人間はどこか軽率であったほうがいい。何を撮るか考えているとすぐに過ぎてしまう。とりあえずに行って撮る、撮ってから考えるのが順序ですね」

2013-03-15 23:37:07
_ @K2_amado

#bokutaku 開沼博「略奪はよく言われるが、外に出さない意思決定の構造の背景は」初沢亜利「最初は避難状況などの情報が先立っていた。それを見た人が大変だ、という気持ちに終始させていたと。間違ったことではないが」

2013-03-15 23:38:12
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「それが段々2ヶ月3ヶ月すると段々希望になっていく。震災4日後、仙台のホテルで、民放の方が打ち合わせをしていた。年配のディレクターが阪神の経験から何日目が何と指示をしていた。非常に腹立たしかった」

2013-03-15 23:39:13
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「マスメディアはあらかじめストーリを作るというのは知っていたが、実際の目の当たりにするとかなり怒り心頭になった。ただマスメディアにはマスメディアの役割がある、初期段階では役割を果たしたが、自分が何をとるかを考えながら」

2013-03-15 23:40:00
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「1年でどのように人間の心理が変わっていくのかな、と。ただの対象としての被災地にシャッターを向けるというところから、段々知人が増えていく。そうすると、少しづつ片足は向こうに入ってくる。外からと内からの曖昧な境界に」

2013-03-15 23:41:07
_ @K2_amado

#bokutaku 開沼博「どういう接触の仕方を?」初沢亜利「気仙沼のスナックで、隣のおっちゃんと仲良くなって、泊まらせてくれて、その後、写真をFBでアップしていたが、写真学校を出た気仙沼の人からメッセージが。で、是非お会いしましょうとなった」

2013-03-15 23:42:21
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「彼の案内で、復興を一生懸命やっている人々と知りあうようになって、一人大変優秀が美術家もいて、彼との交流は今後もつながっていく。ただ慣れるが、飽きてもくる。雑草が生えて、瓦礫が撤去されていくだけの話、そこから何を撮ろうかと。その時に開沼とお会いした」

2013-03-15 23:44:14
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「福島は2回で、あとは気仙沼を中心に。」開沼博「何を撮ろうかとしたんですかね」初沢亜利「まず最初、基本的に心構えとして決めたのはあえて被災地だと思って撮らない、被災者を撮ると思って撮らないということは最初の段階で決めていた」

2013-03-15 23:45:29
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「実際あの、被災者ですけども」開沼博「通常は被災地と被災者を撮る」初沢亜利「確かに被災者だが、まあ写真を撮るというのは言葉の交流とは違う。一個人としてカメラでまなざしを向けている。ここが大事なことじゃないか、我々ではない」」

2013-03-15 23:46:59
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「東京という我々から見た被災地、ということだが、私から見たらあなたしかない。被災者といってしまった場合には、我々は東京人になる。ただ私とあなたであればそのままになる。そこが大事なところではないか」

2013-03-15 23:47:46
_ @K2_amado

#bokutaku 開沼博「被災地でなくとも、という話もあり」初沢亜利「まずは入って、確かに被災者がいると。ただどこまでも被災地で被災者だが、そこにまなざしを向けながら、最終的に人間とはなんぞやという所に到達できるような写真集が作れたらいいなと」

2013-03-15 23:48:46
_ @K2_amado

#bokutaku 開沼博「人間とはなんぞやとは」初沢亜利「人間とはよく分からない。自分の写真集で止まってしまう写真がある。何で自分が止まるのか。この写真。気仙沼の鹿追地区、火事で焼きつくされたエリア。4月末、歩道橋の真ん中に日の丸と傍の親父。外に向かって座っている。」

2013-03-15 23:50:34
_ @K2_amado

#bokutaku 初沢亜利「こういう写真を撮って、彼と話したが、よく分からない状態。仮設にいてという話だったが、2週間後には病院に入っていて」開沼博「躁鬱的な」初沢亜利「詳しくは知らないが連れて行かれてしまったと。飛び降りようとしていたのか分からないが、何度も見返していた」

2013-03-15 23:51:40
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