広島教員採用塾さん「怪奇!論作文演習の不思議!!」のツイート。

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レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

そのために敢えて重箱の隅をほじくるようなコメントをすることもあるようですね。これが「添削のための添削」、つまり、添削しなければという強迫観念にかられた上での添削です。こういう添削にも意味はありません。添削者の良心に感謝した上で、忘れるべき添削コメントの一つでしょう(笑)。

2013-03-01 13:58:42
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

私は、小論文の添削をするときに、提出された論文に問題がなければ、「満点です!!さすがです。素晴らしい!!」と書いて、あとは、雑談的なメッセージを書き添えます。良いものを敢えて「添削者の沽券にかけて」添削する必要はないでしょう。良いものは良いのですから。

2013-03-01 14:01:12
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

私は、文章が悪ければ悪いところを厳しく指摘したうえで、なぜそれが悪いのかをコミュニケーション論的に分析、指摘します。そして、どうすればよいのかをレトリック論などを駆使してアドバイスします。時には複数の模範文章を書き添えます。書き換えてあげるのではなく「やってみせ」の実践です。

2013-03-01 14:03:32
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

添削のための添削は書く方も読む方も時間の無駄です。無駄な時間を費やすために小論文演習をしているのではありませんから、そこは割り切って、良いものは良いとだけ言い(もちろん、どこがどう良いかを説明することはしますが)、次のチャレンジに進むことが大切ですね。

2013-03-01 14:05:30
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

アメリカやオランダでコミュニケーション論や「書くこと」を研究してきた私の眼には、日本の小論文指導には大きな問題があるのではと感じています。大学での論文指導は学問的な内容が絡むので、それぞれの教授が最善を尽くしていらっしゃるのでしょうが、教採の論作文の添削は大いに問題ありです。

2013-03-01 14:09:32
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

教採の論作文は、学問成果の発表でも、文芸的な自己表現でもありません。読み手(採点官)の心を動かし、合格点を勝ち取るという説得のコミュニケーションの一形態です。それを教育論や人生観というトピックで行うというものです。教育論や人生観への美学や主観だけでは優れた文章にはなりません。

2013-03-01 14:12:00
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

今日、お話しした3つの観点、 1.添削結果(コメント)は検証可能かつ汎用性があるか。 2.具体例かつ改善方向への示唆があるか。 3.添削のための添削になっていないか。 は、もらった添削に納得いかない時に、振り返ってみてください。

2013-03-01 14:17:08
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

この3つの観点を満足させていない添削であれば、あまり気にしなくても構わないと思いますよ。 そんなときは、添削者への感謝は心の隅に持ちながらも、気にせず、先に進みましょう。

2013-03-01 14:18:30
レトリカ教採学院(教採塾)河野正夫 @kyousaijuku

小論文(論作文)の添削をどう活かしていけばよいかに悩んでいる人がとても多いようでしたので、今日のお話をしてみました。私も添削者として日々、自分に磨きをかけて、不要無用な添削にならないように、さらにプロ意識を高めながら添削をしていきたいと思います。

2013-03-01 14:20:27