「人間はいろいろな問題について どう考えていけば良いのか」(森博嗣)読書メモ

『』かっこが引用文です。個人的なメモです。ひとりごとが交じっています。
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いちのせき @Ichinoseki

森博嗣の新刊「人間はいろいろな問題について どう考えていけば良いのか」おもしろい。具体的な話が取りこぼす領域があるがゆえの、抽象的に考えることのススメ。

2013-03-17 18:34:26
いちのせき @Ichinoseki

「○○のような」は抽象表現のひとつ。具体的に、何々ができて、どんな捉え方をしてて、と書き出したらキリがない。しかも、具体的がゆえに漏れがあったりズレが生じる。具体的に書き上げなくても理解できるのは人間の特性。むしろ高次な能力。これを活かす方法。

2013-03-17 18:45:06
いちのせき @Ichinoseki

『客観的な視点を持つには、まず主観的な自分の視点がどういうものか把握する必要がある。』(森博嗣)

2013-03-18 19:34:23
いちのせき @Ichinoseki

『抽象的なものを捉えるためには、排除すべき具体性を知っていなければならない。』(森博嗣)

2013-03-18 19:34:24
いちのせき @Ichinoseki

『「人間関係が上手くいかない」と悩んでいる人は、それだけでもう、人間関係というものを見つめられる能力を持っている証拠である。悩む人は優しい。思う存分、悩めば良い。』(森博嗣)

2013-03-20 10:52:28
いちのせき @Ichinoseki

『教育というのは、結局のところ、具体的な知識を詰め込むことしかできていない。「才能を育てる」とは、もともとあった才能が活かされる場を用意するだけのことだ。僕は、30年近く教育を仕事にしてきた人間だが、こういう結論に至ったのは、沢山の事例を見たからでもある。』(森博嗣)

2013-03-20 10:58:06
いちのせき @Ichinoseki

『ただ、ときどきではあるけれど、もともとの才能を持っていたのに、なんらかの思い込みで自分の能力を封印しようとしているような人が、その封印を解き放つ本や師に出会うことで開眼する、といった現象は起こりうる。そういう意味では、ほんの少し「教育」にも期待が持てる。』(森博嗣)

2013-03-20 11:03:39
いちのせき @Ichinoseki

ネットなど検索コストが下がったことで、頭の中で謎が謎のままでいる時間が少なくなった。自分で謎に取り組もうと考えるより先にネットにアクセスしてしまう。ネットにはあまりにも具体的な情報がたくさんある。これが抽象的な考え方をしなくなる理由のひとつになっている。という森博嗣さんの指摘。

2013-03-20 14:56:25
いちのせき @Ichinoseki

抽象的な考え方の手法的なもの (1)なにげない普通のことを疑う (2)なにげない普通のことを少し変えてみる (3)いつも、似ているもの、喩えられるものを連想する (4)ジャンルや目的に拘らず、なるべく創造的なものに触れる機会を持つ (5)できれば、自分でも創作してみる (森博嗣)

2013-03-20 15:07:33
いちのせき @Ichinoseki

『芸術を評価する目というのは、裏データを知る必要がないこと。その作品は誰が作ったのか、どんな経緯で作られたのか、社会でどう受け止められているか、というデータを知ってから評価するのでは遅い。そういったものを一切捨てることが、審美眼である。頼りになるのは自分の感性だけだ。』(森博嗣)

2013-03-20 15:11:21
いちのせき @Ichinoseki

スポーツや、料理とかお酒なんかもそういうものの気がする。ウンチクありきではなく、感動ありき。ウンチクは感動を論理的に咀嚼するもの。後からついてくるもの。

2013-03-20 15:15:04
いちのせき @Ichinoseki

森博嗣「人間はいろいろな問題について どう考えていけば良いのか」を読んでいます。

2013-03-20 15:16:38
いちのせき @Ichinoseki

『芸術の本質とは、貴方の目の前にある作品と貴方の関係なのである。』(森博嗣)

2013-03-20 15:29:44
いちのせき @Ichinoseki

『ほとんどの人が囚われている。常識、職場の空気、前例、命令、体裁、立場、自分らしさ、見栄、約束、正義感、責任感、などなど。これらは外敵要因が発端ではあるけれど、それを自分で容認している。自分を縛っている縄の一方は、自分自身が握っているのだ。』(森博嗣)

2013-03-20 15:54:38
いちのせき @Ichinoseki

『世間には、自分の思いどおりに生きられない人が沢山いる。少なくとも「こんな幸せはない」と語る人は少数だ。それは運とか収入とか、そういったものではなく、究極的には、その人の考え方なのだと思う。自分で自分を楽にしてあげることが、抽象的思考の最終目的のように思う。』(森博嗣)

2013-03-20 16:08:59
いちのせき @Ichinoseki

なんだかアランと重なるなあ。多読っておもしろい。

2013-03-20 16:10:09
いちのせき @Ichinoseki

『論理的思考というのは、発想があったあとに、それを吟味する役目のものである。論理的にいくら考えても新しいことを思いつくことはできない。』(森博嗣)

2013-03-20 16:14:05
いちのせき @Ichinoseki

『「わかるより、わからない方がまし」なのである。抽象的にものを見ることができない人が、言葉に頼る。わからないままにしておけないのは、それだけ思考能力が衰え、単純化しないと頭に入らない、ということだろう。』(森博嗣)

2013-03-20 16:17:10
いちのせき @Ichinoseki

なんだか「抽象的」という言葉の概念が変わったな。「もっと具体的に考えろ。もっと論理的に考えろ。」と言われすぎなんだろうな。(書籍では序盤のほうでこの指摘あり。)

2013-03-20 16:19:28
いちのせき @Ichinoseki

『物事を解決する行為は、最終的には具体的な行動である。行動が伴わない発想というのは、ほとんどの人にとって意味がない。ようするに、抽象的思考は論理的思考と具体的行動がセットにならなければ、問題を解決できない。ただ、この三つの中で抽象的思考だけが、手法というものがない。』(森博嗣)

2013-03-20 16:26:43
いちのせき @Ichinoseki

『情報処理能力に長けた現代っ子は、どうも引用が多すぎるし、中には引用だけして、自分の意見が書かれていないものも散見される。まあ、悪いことではないが。』(森博嗣)

2013-03-20 16:59:50
いちのせき @Ichinoseki

森博嗣の「人間はいろいろな問題について どう考えていけば良いのか」読了。ちなみに、ご本人執筆後の原題は『抽象思考の庭』だったそう。なっとく。

2013-03-20 17:22:12
いちのせき @Ichinoseki

タイトルのつけ方、内容を知っている人が感じるニュアンスと、内容を知らない人を引きつけるニュアンスの違い。

2013-03-20 17:24:09
いちのせき @Ichinoseki

小説のカバー絵なんかも、そんな配慮があるように思う。内容が想像できそうで感じるものがあって手に取るのだけど、読み終えた後にもう一度見ると、かなり受ける印象が違っている。

2013-03-20 17:26:02