はるかぜちゃん<<いじめている君へ>>を読んでみて
『《いじめている君へ》春名風花さんの考え方に泣いた。。。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。』 http://t.co/v2UtOPwz5Q
2013-03-23 07:12:17加害者側が痛いなんてあるわけないんだよね。「傷つけただろう」という痛みの想像はできても、「痛い」と感じることは不可能なのです。だから加害者側はどこまでも、鈍くなってしまう。はるはる氏が言うように「傷つけたと思ってすらいない」という場合だってありえる。
2013-03-23 07:16:15もちろん私にもそれは言えることなので。もしこれに気づけるとしたら、自分の行動を人にやられてみるという体感か、もしくは体感に近い想像か。二つ目の記事は後者を否定しているけれど、私はそうは思わないので。
2013-03-23 07:21:54世の中には経験できないことなんて沢山あります。それを補うのは知識と想像でしかない、と思っている人なんですよね。これをばっさりざっくり否定する人は、経験がなにより大事で、知識や想像をあまり重要視してない人が多いと私は思う。 でもそうしたら本とかなんか要らないよね?
2013-03-23 07:24:41知識は感情の媒介にもなるので、それを元に蜜な想像ができる。想像し思考し熟慮して見方を変えることができる。新たな視点で物事を捉えられるようになる。今までモノとして扱ってきたのがニンゲンとして見られるなら大きな進歩なのです。 経験だけじゃきっと行き詰まるのですよ。
2013-03-23 07:28:57だから彼女は「その子の痛みが分からないなら、想像してみてよ」と訴えている。促し気づきを与えている。その子を家具として見るんじゃなく、人間として見てという気持ちを感じるのです。
2013-03-23 07:32:05はるかぜちゃん「嫌いと虚無」を読んでみました
じぶんの考えやことばを持たないひと(ω)ぼくと対立する人の意見なら何にでもホイホイついてくひと(ω)ぼくをきらいな理由ですら、じぶんの言葉で話せないようなひと(ω)
2011-06-16 18:16:35それはよくあることなの。気をつけた方がいいのは、逆に、同じことを言いたいだけの人もいて、その意見はあまり参考にならないの。 RT @harukazechan: ぼくは気づいてしまった(ω)その人とぼくは意見がちがうわけじゃなく、その人はぼくと反対のこと言いたいだけだってこと(ω)
2011-06-16 18:20:34【空っぽな人間】こんな人実際にいるんだろうか? 意見がなく考えがない人なんて―――と思ったら周りにいるもんですね。ふむ。「1、意見をコロコロ変えるのは、どんな場合があるだろうか?」・群れたい・嫌悪感から立場を変える・相反し矛盾する考えを幾つも取り入れている。
2013-03-23 08:06:03「群れたい」 ようは自分の考えと違ってようが、群れるために多数派につく人です。だって安心ですもの。多数はどこでもどこまでも"正義”で"正常”ですから。少数だからといって攻撃される心配はありません。やられても数の暴力でなんとかなりますし。一般という名の下に見を置きたいのかなと
2013-03-23 08:09:08「嫌悪感から立場を変える」 "嫌い”という感情がはじめにあル場合。嫌いな人の"好き”なものって嫌いになりません? 多分あんな感じですええ恐らく。嫌いな人とそのモノは別々。本来な"繋が”りはないのものだけれど、それを切り替えて考えられないのでしょう。
2013-03-23 08:11:46「相反する考えを幾つも取り入れている」 彼女が言っている「意見ころころ」の意味とは別の路線ですが、まあいいのです。――これはAという意見とBという意見、どちらも自分の中で採用しているんですね。どちらも好きな意見と言ってもいいかもしれません。
2013-03-23 08:14:50だから答えを出すときに、状況やその時の気持ちで変わってしまう。ある場面ではAを採用するけど、違うところではBを採用する。神に例えると分かりやすいですかね。神はいる、神はいない。どっちも好きな意見だった場合、そりゃあ"答え”なんて出るわけ無いですもの。第三者からは、「前とは違う!」
2013-03-23 08:16:38