渡邊芳之先生@ynabe39の「「なにが社会的に容認される暴力か」というのは文化や時代や文脈によっていくらでも変わる。」
「同じこと」であっても社会的に容認されるものと容認されないものにそれぞれ別の名前がついていて「容認されること」をやっている人はそれが「容認されないこと」の名前で呼ばれると著しく心外に思う、ということは多い。教育と洗脳、批判といじめ、自由と勝手、しつけと虐待などなど。
by 渡邊芳之
渡邊芳之
@ynabe39
ある暴力に対抗できる暴力はどうしても似た種類のものになります。その暴力を「暴力はよくない」的に批判するのは、現に起きている暴力が深刻であればあるほどナンセンスだし、そういうナンセンスな批判のために「これは暴力ではない」みたいに言い張るのもナンセンス。
2013-03-25 23:39:42
渡邊芳之
@ynabe39
「同じこと」であっても社会的に容認されるものと容認されないものにそれぞれ別の名前がついていて「容認されること」をやっている人はそれが「容認されないこと」の名前で呼ばれると著しく心外に思う、ということは多い。教育と洗脳、批判といじめ、自由と勝手、しつけと虐待などなど。
2013-03-26 06:29:12
渡邊芳之
@ynabe39
「相対主義の立場を取るかどうか」に関係なく、たとえば「いまは虐待と言われるものも昔はしつけと考えられていた」「日本では自由なことがイランでは犯罪である」といったことが確かにあることは認めざるを得ない。
2013-03-26 06:34:40
まとめ
【おことわり】渡邊芳之先生ynabe39の「」
【おことわり】「」。つきで書いていることの多くは冗談または「こんなこという人もいそうだよね」という意味です。
「」で書いてるのは私の主張ではなく誰かの主張。私が同意しているとは限りません。
「」を使うことの意味については説明しないと伝わらない場合があるのを経験したので。
「」が「いわゆる」という意味を示したり,「」で挟まれた文が「引用」や「(文章を書いているのとは)他の人の言っていること」の意味を示したりする,ということも必ずしも「常識」ではないのだなあ。
by 渡邊芳之
2356 pv
5
福籠さだきち
@fukurousadakiti
@ynabe39 仇討ちが仇討ちを生むことがあるので、やはり私刑である仇討ちはよろしくなく…あっ喧嘩両成敗でなく、勝敗のある裁判になったってことかもしれませんね。
2013-03-26 08:18:26
渡邊芳之
@ynabe39
@fukurousadakiti 刀狩りと同じで「暴力」が国や社会システムに独占されるようになったわけです。おおくの場合それが「近代化」と呼ばれます。
2013-03-26 08:20:21
渡邊芳之
@ynabe39
@unidontabetai まさにまさに。「いじめ」とか「暴力」とか「最初から否定的な意味を負わされている言葉」にとらわれてしまうんです。
2013-03-26 08:17:28