【所縁の地】三浦半島訪問/金沢文庫〜三崎【祖父様、重保】

所縁の地巡りシリーズ。衣笠城訪問が延期になったので、私の鍛冶頭としての所縁の地である六浦庄金沢へ。思った以上に六郎重保の名が多く残っていて嬉しかったぞ。 そして祖父様の所縁の三崎・海南神社などへ参じた……が、祖父様は許してくれてなかったのかもしれない(涙)。次回こそは衣笠城(祖父様最期の地)へ! http://twitpic.com/cfx1d4
8
畠山重忠 @Shigetada_bot

本日は、元々は三浦にある畠山という山(衣笠城攻めの際に我らが陣を張ったとされる)に、草木が生い茂る前に一度登っておこうぜという胤義のお誘いを実行するはずだったのだが、あいにく今週飛び飛びで降った雨に、山道が厳しい状況だろうと言うので予定変更と相成ったのだ。

2013-03-28 23:30:57
畠山重忠 @Shigetada_bot

まあ、三浦を知り尽くしている胤義が、三浦基準でこれは道、って言い張ってたいがいの崖道分け入ってく三浦党がやめとけというのだから従うしかないわな。そういう訳で急遽予定変更し、三浦半島の付け根の金沢文庫周辺、六浦庄あたりを案内してもらう事にした。

2013-03-28 23:35:29
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

三浦の山はな、一歩踏み外したら崖って所もザラにある。細い道だと、影になるからなかなか地面が乾かない。前日に雨降ったら、当日快晴でもあまり登山はオススメしない。 #最悪死ぬ

2013-03-28 23:54:00

三浦党がちゃんと道あるじゃん、って言う時はこういうとこだから。
http://twitpic.com/cfcfvc
足半でもなんだが、現代でもちゃんと登山靴履けと言う道だな。(↑胤義の上洛記まとめhttp://togetter.com/li/339652より転載)

ということで山登り〜衣笠城は次回。三崎の鮪も食いたいしという話をしたら、まずは金沢文庫で資料とか見たら? という話になった。ここで、なぜ金沢文庫かというと、この辺りは私の所縁の地でもあるからだ。(以下)

畠山重忠 @Shigetada_bot

なんで私が金沢文庫に? と思う方もいるだろうので、いくつか定期ツイにしている関連のものを流させてもらう。以下、3つ連投する。

2013-03-28 23:37:50
畠山重忠 @Shigetada_bot

(定期ツイより1)六浦庄内金沢村。金沢文庫などが今も残る幕府隣接の港町として栄えたこの地は、私とともに移ってきた秩父金沢村近郷の武具や馬具を作る鍛冶職たちが名付けたという説がある。良質な水が湧き、砂鉄を産し、江戸時代には金沢八景と呼ばれた景勝地である。

2013-03-28 23:38:32
畠山重忠 @Shigetada_bot

2)鎌倉幕府が開かれた事で、近隣は一度に都会化し多くの産業が集まった。現在の港南区日野の名は火野、製鉄の火。日野川は砂鉄のため川底が赤い程だった。製鉄のため砂鉄、炭を産む山林、湧水の揃う日野栄区一帯は重要な兵站基地であり、金沢は私が秩父金沢から連れてきた刀鍛治集団が名付けた地だ。

2013-03-28 23:41:03
畠山重忠 @Shigetada_bot

3)私が開基したと伝えられる、釜利谷郷の東光禅寺。当初は現在の鎌倉宮の所にあり、私の念持仏であった薬師如来像が本尊。また、私の馬具であったとされる鐙と轡もある。近辺には私と重保の供養塔など史跡や所縁の名前が残る地でもある。 http://t.co/9JLSwWshZY

2013-03-28 23:41:46
畠山重忠 @Shigetada_bot

という事で、この辺りは思いっきり私の縁ある土地なのだ。今では切り拓かれ埋めたてられ住宅地であるが、当時はここいらは山あり崖ありすぐに海、で秩父の山に慣れてたうちのタタラ衆はすぐ住み着いたが。なので地名も彼らがつけた。

2013-03-28 23:48:24
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

ちなみに、金沢区のあたりは和田義盛の領地だった。で「釜利谷にも和田という地名があるから、そこが本拠地だった」という説も出てるが、「いや、あそこ山じゃん。人住めないよ」なんて言われててな……

2013-03-28 23:59:58
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

まぁ何が言いたいかというと、海の民と山の民の感覚の違いってやつだな……。うん。秩父党にとっちゃあそこは平地らしい。

2013-03-29 00:01:10
畠山重忠 @Shigetada_bot

我らには住宅地に見えたもんだが……三浦党の土地だけど、空いてるなら置かせてって感じだったんでw RT @bot_miura9 まぁ何が言いたいかというと、海の民と山の民の感覚の違いってやつだな……。うん。秩父党にとっちゃあそこは平地らしい。

2013-03-29 00:04:41
三浦平九郎判官胤義 @bot_miura9

「えっ! あそこでいいの?」ってなるよw 適材適所って奴だな。義盛とどんな交渉したかは知らないけど、きっとお互い珍しいものばかりだったろうしw RT @Shigetada_bot: 我らには住宅地に見えたもんだが……三浦党の土地だけど、空いてるなら置かせてって感じだったんでw

2013-03-29 00:09:58

『平家物語』でのいわゆる鵯越の逆落とし。覚一本では佐原義連(私のとって母方の叔父、三浦党)が「(かほどの坂は)三浦の方の馬場や」と言って真っ先に駆け下りる。
また延慶本では、まず私が「我レガ秩父ニテ」は、日々の狩猟の際「カホドノ岩石ヲバ馬場トコソ思候へと言ってる割になぜか馬を担いで徒歩で降りて、そこに義連叔父上が「三浦ニテ朝夕狩スルニ、是ヨリ険シキ所ヲ落セバコソ落スラメ」と三浦一族を連れ駆け下りる。慣れた馬場なら私はなぜ担いだんだろうな……。

という秩父・三浦其々、急峻な山坂には慣れているが、こっちは基本が山だからな。うちから連れて来た刀鍛冶の連中が住処にしてたら三浦党が船から呆れてみてたわ。当時はこのすぐ近くまで海が迫っていて、六浦(当時は「むつら」と読んだ)も、鎌倉の主要な港として栄えていたぞ。

畠山重忠 @Shigetada_bot

という事でまずは、金沢文庫から白山道(バスあり)に、そして私が開いた東光禅寺に来た。桜舞い散るこぎれいな寺になってた。普段は予約などすれば禅や写経なども体験できるそうだぞ。 http://t.co/NNTnm9d8Ir

2013-03-28 23:53:14
拡大
白山 東光禅寺

私の開基となる、釜利谷の地の禅寺。私の納めた念持仏や螺鈿づくりの美しい馬具(横浜市指定有形文化財)がある。見たい場合は事前の連絡をお勧めする。

畠山重忠 @Shigetada_bot

門前にも、私の名が刻まれている。サイトをみればわかるが、畠山の家紋を使っているな。急な訪問だったので人もいなかったのだが、隣接する家屋の方に臆せず声かけすれば気軽に本堂は開けていただける。私の念持仏がいるが、一尺足らずの可愛いお姿だ。 http://t.co/GAk7h1MtP8

2013-03-28 23:58:19
拡大
畠山重忠 @Shigetada_bot

直接、お堂の中の写真を載せるのもなんなので寺のサイト http://t.co/StoMb3WqfH ここにあるように薬師如来、また普段公開はしていないが私が奉納した鞍と鐙がある。事前に連絡して交渉するか、私の命日前後は機会があるようだ。ちなみに毎年法要を行なってくれている。

2013-03-29 00:01:59

住職殿が先約があってバタつかれていたのでとりあえず辞して近隣の所縁の史跡へ向かおうとするが、あんまりにも地形が変わっていてわからん。

寺から出て左、徒歩2分の場所に私の自刃の地、なるものがあったようだが数年前に福祉施設が建つ際に取り壊されたとw というか私が戦った二俣川からの距離考えるとここまで来て自害ってのは無理がある。多分この地の民が私を慕ってそう言い伝えてくれていたという事だと思う。

http://twitpic.com/cfppe6
さて、そう思いつつ真新しいケアプラザに来たら、隣の石壁に「周辺の史跡案内」ということで、昔の地形と重ね合わせた地図と、私や嫡男である六郎重保に関する史跡に触れられていた!

畠山重忠 @Shigetada_bot

東光禅寺から徒歩数分、私の関係の史跡を潰して作ったらしいw 福祉施設の隣に史跡案内看板が。ちなみに鎌倉期の海岸線などのざっくりした地図もついてる。おお、これで少しわかる! http://t.co/yYsVoXvC40

2013-03-29 00:11:38
拡大
畠山重忠 @Shigetada_bot

地図部分を拡大すると、私と言うよりは六郎重保の名が多く残る六郎ヶ谷なんて地名もある。そう、比企の乱の後、元服した嫡男重保に、鎌倉への出仕は任せて、私は武蔵国の統治に忙しかった。六郎はこの辺りによく来ていた。 http://t.co/lVud1EdPJ2

2013-03-29 00:21:25
拡大

更に寄るとこんな感じ。六郎ヶ谷六郎橋など重保の名が残る。
http://twitpic.com/cfptak
この当時〜室町期にかけて六浦港は、南宋貿易など国際的な港として栄えていた。

畠山重忠 @Shigetada_bot

で、さっきの地図をみてわかるように地形も全く変わってるから、もう残ってないのかなと思いつつも少し探して歩いてみたんだ。そしたら、あった、六郎橋ww てかこんな小さくなっても残してくれてありがとう、釜利谷の民よ。 http://t.co/so46vI5fY6

2013-03-29 00:24:18
拡大
畠山重忠 @Shigetada_bot

それで、なかなか手がかりもなかった重保の五輪塔があるというのも胤義が諦めずに探してくれた。重保とは世代も近く仲良くしてくれていたからな。ちなみに横浜金沢観光協会さんがマップを作ってくれている。これなら現在の地形だしわかりやすいぞ。 http://t.co/iGREfSYfIZ

2013-03-29 00:32:10
畠山重忠 @Shigetada_bot

しかし、地図では道沿いとある重保塚。トンネル前にもなくて、でてこーいと叫び始めた頃、胤義がふと見つけた「六郎ヶ谷公園」の札! 小さく新しい公園で遊ぶ子ども達を見ながら、こうやって名は残るのだなとやや感慨。この公園を回り込んだ所だった。 http://t.co/6Wsj40rj6J

2013-03-29 00:36:28
拡大