【ブラジル移民】臣道連盟事件(しんどうれんめいじけん)

ブラジルの日本人社会に暗い影を落とし現在でも'タブー'としてあまり表向きに語られることがない臣道連盟事件(ブラジル勝ち組負け組事件)についてのツイートがあったのでまとめました。
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島の人Part2 @simasyodes

【経歴】 B型、天秤座Twitterは2011年1月6日より開始 2014年12月3日小脳梗塞発症2015年3月17日退院 2015年8月25日赤手帳 2016年3月17日労働者 2022年7月2日 より現職 【つぶやき内容】生産性がないこと #きけんどらっくたべたらこえるで 一級認定士

島の人Part2 @simasyodes

地元紙のヒトコマにブラジル移民の話が沖縄県民が結構いるからなあ

2013-03-30 20:25:41
島の人Part2 @simasyodes

ブラジル移民の話でフッと思い出したのが臣道連盟事件(ブラジル勝ち組負け組事件)だな

2013-03-30 20:32:35
島の人Part2 @simasyodes

【日本の高周波爆弾により沖縄の敵15万人が15分で撃滅】【ソ連、中国が無条件降伏。マッカーサーは捕虜となり英太平洋艦隊を武装解除】【アマゾンの奥地に日本そっくりの新日本という国がある】なにかSF小説や一時期流行った架空戦記に出てきそうなフレーズです。

2013-03-30 20:33:56
島の人Part2 @simasyodes

もちろんこんな事実はないことはすぐに理解できると思います。しかしこれはある地域の日本人の間で「本当の話」して語られていたことです。

2013-03-30 20:34:49
島の人Part2 @simasyodes

1945年8月15日 日本敗戦のニュースは遠く地球の裏側にあるブラジルにも当然伝えられました。戦前より南米等に渡っていた日本人移民にもこのニュースは衝撃を与えた。開戦によりブラジルは日本と国交を断絶、数多くの日本人移民は「敵国の人間」として白い眼で見られ辛い日々を送っていた。

2013-03-30 20:37:38
島の人Part2 @simasyodes

しかしブラジルの日本人移民の苦難の日々がここから始まる。日本人移民の中には日本の敗戦を信じず「日本は勝っている」と主張する人々が現れたのだ。

2013-03-30 20:38:43
島の人Part2 @simasyodes

これは後に「臣道連盟事件(しんどうれんめいじけん)」(もしくはブラジル勝ち組負け組事件)と呼ばれる事件である。最初の【スローガン】は臣道連盟と呼ばれる日本人による政治結社がビラ等で「真実」であるとして配った内容の一部である。

2013-03-30 20:40:34
島の人Part2 @simasyodes

臣道連盟とは1945年7月にサンパウロで発足した右派系団体で「日本の勝利を信じる」人々で構成されていた。敗戦後も団体は衰えるどころか1945年末には10万人もの会員に膨れ上がる。

2013-03-30 20:41:37
島の人Part2 @simasyodes

国交断絶により日本からの情報が途絶え、唯一の情報源であるポルトガル語の新聞を読める人も少ない。「真相」を知らない人が多いのも会員増加に拍車をかけた。

2013-03-30 20:44:26
島の人Part2 @simasyodes

こうした混乱した状況でも「敗戦」の事実は変わらないわけで日本人の中にも冷静な対応をした人もいました。しかし日本人の間で勝利を信じる「勝ち組派」と現状を受け入れる「負け組派」が袂を分かち溝が広がっていった・・・

2013-03-30 20:45:34
島の人Part2 @simasyodes

なぜこのようなことが起きたか?所謂「負け組派」に属する人はどちらかと言えば社会的に成功している人が多かった。中でもハッカを生産していた農家等ではハッカの需要の高まりで裕福になる者も現れた。

2013-03-30 20:47:34
島の人Part2 @simasyodes

1944年には日本人が経営するハッカ工場が焼き討ちされるという事件が起きていた。日本人の一部には「ハッカはアメリカが買っている。敵国と商いをして私腹を肥やす奴は非国民だ!」と主張する者もおりそれを真に受けた人々が焼き討ちを行っていたのだ。

2013-03-30 20:49:00
島の人Part2 @simasyodes

しかし政治的主張の根幹にあるのは成功者への「一種の嫉み」であった。そう経済的に貧しい人々には「勝ち組派」が多かった。苦しい生活を送る彼らの心の拠り所は祖国日本しかなく故に「日本の敗戦を信じたくなかった」のだ。

2013-03-30 20:50:32
島の人Part2 @simasyodes

やがて臣道連盟ら「勝ち組派」は「日本の勝利」を'信じない'「負け組派」を許すことができなくなった。1946年3月7日遂に事件は起きた。

2013-03-30 20:51:40
島の人Part2 @simasyodes

サンパウロから460km内陸にあるバストスという街の産業組合専務理事をしていた溝部幾太氏が殺害された。「勝ち組派」よる「負け組派」への'天誅'であった。

2013-03-30 20:52:51
島の人Part2 @simasyodes

1947年1月までに日本人同士が殺し合い23人が犠牲なった。ブラジル当局の介入により事件は一応、鎮静化するが「勝ち組派」が「負け」を認めたのは1956年2月のことであった。敗戦から11年の月日が経っていた。

2013-03-30 20:54:14
島の人Part2 @simasyodes

この事件はブラジルの日本人社会に暗い影を落とし現在でも'タブー'としてあまり表向きに語られることがない。

2013-03-30 20:56:01
島の人Part2 @simasyodes

戦後28年後の1973年最後まで「負け」を認めなかった一家が帰国。羽田空港で日本を地を踏み報道陣の前で「天皇陛下万歳」を叫ぶとこう言った。「これが負けた国ですか。やっぱり勝っております」

2013-03-30 21:01:30
島の人Part2 @simasyodes

参考文献 高木俊郎 「狂信」太田 恒夫 「日本は降伏していない」奥菜 英次 水野 俊平 「陰謀論はどこまで真実か」

2013-03-30 21:02:49