キリスト教を通して考える国家観と宗教と日本

牧師が考える国家観と宗教の関係、それらと日本の特殊性、さらにグローバリズムとキリスト教の抱える問題も。
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masaki tomita @stayfoolish_me

日本のキリスト教会の力がいよいよ弱くなっているらしい。つまりクリスチャンが減っているということ。「伝道、伝道」と叫ぶ人々がいるが、現実的な施策が出されたという話は聞かない。

2013-04-11 19:20:35
masaki tomita @stayfoolish_me

信者を獲得する戦略と言う点においては、まったく皆無に等しい。幸福の科学や創価学会に学ぶことも多かろう。

2013-04-11 19:22:14
masaki tomita @stayfoolish_me

信者を増やすと言う意味では脅して強要するような方法しか知らない牧師が多い。

2013-04-11 19:23:41
masaki tomita @stayfoolish_me

またどのようにメリットを伝え効果的に理解してもらうのかということの方法論も必要だろう。

2013-04-11 19:25:14
masaki tomita @stayfoolish_me

言語というものも時代の風潮や社会の背景などに左右されて意味を持ったり持たなかったり、意味を変えてしまったりもするものなので、単に「魂の救済」といっても、かつてはそれで通じていたかもしれませんが現代では意味がわからないものになっているのではないでしょうか。

2013-04-12 08:01:08
masaki tomita @stayfoolish_me

「キリスト教を信じるメリットは魂の救済です」といっても、現代の多くの人には多分言葉が通じないだろうということです。

2013-04-12 08:04:08
masaki tomita @stayfoolish_me

神など幻想だと言う者には、国家もまた幻想だろうと言ってあげたい。

2013-04-12 12:20:07
masaki tomita @stayfoolish_me

人間がたくさん集まっていて、グルーピングされている。それだけのことなのに何か民族とか国家という何か固定的な実体があるかのように思うのは、しょせんは幻想ではないか。しかし、その幻想が多くのメンバーによって共有されていると、あたかも国家という実体が存在するかのように思えてしまう。

2013-04-12 12:25:26
masaki tomita @stayfoolish_me

神などいないという人間は、神という共同幻想の中に生きていないからそう思うだけであり、国家や家族や会社といった共同幻想の中には生きているので、国家や家族や会社は実在すると思っているのである。

2013-04-12 12:30:02
masaki tomita @stayfoolish_me

「私」や「命」や「愛」も実在すると思っている人は多いだろうが、実は幻想かもしれない。 「私」は目の位置から見、耳の位置で聞いているが、視神経や聴覚神経が何十mも長かったら、「私」がここにいるのか、向こうにいるのか、わからなくなってしまう。 「私」の居場所は特定できない。

2013-04-12 12:34:56
masaki tomita @stayfoolish_me

命や愛も、我々は実在しているように思っているが、誰も命の質量や形を調べることはできない。愛だって重さや形や物理学の実験で計測することができるような力やエネルギーを持っているわけでもない。それらは実在しないのだが、我々は生物の活動によって、その「はたらき」において存在を感じる。

2013-04-12 12:38:30
masaki tomita @stayfoolish_me

そして、実在していると思われる物体も、量子論や超ひも理論によれば、ミクロの世界をつきつめてゆけば、質量も体積も無いクォークやひもによってできている。「ある」と思われている全てのものは、「ない」ものによって成り立っている。全ての存在の根底にあるのは無であるとしか言いようがない。

2013-04-12 12:42:13
masaki tomita @stayfoolish_me

しかし、我々は、物体も命も愛も私も社会も国家も、存在していると思っているし、存在を感じることができる。無いはずのものがはたらきとして存在するもののように実感されるのである。

2013-04-12 12:44:46
masaki tomita @stayfoolish_me

では、私を私として認識させるものは何か、愛を愛として認識させるものは何か、命を命として認識させるものは何か、社会を社会として認識させるものは何か、国家を国家として認識させるものは何か。そのひとつに教育があると思う。

2013-04-12 12:47:10
masaki tomita @stayfoolish_me

教育は私を私として生きるようにさせ、愛されることを実感させ、愛することができる者を育て、命の存在を実感させる。意識的な教育であれ、無意識的な教育であれ、それらの幻想を実体あるもののように認識させるのは、教育の効果であろう。

2013-04-12 12:49:36
masaki tomita @stayfoolish_me

同様に、教育によって、国家という幻想が実在するかのように国民に思わせることもできるし、教育によってその国家を愛するようにさせることも、憎むようにさせることもできる。国家を愛するポーズさえ取れればよく、ポーズが取れない者を罰することで愛国心が育つと思っている愚か者もいるが。

2013-04-12 12:59:16
masaki tomita @stayfoolish_me

では、日本人がなぜ世界の人類を創造したすべての民のよりどころとなる唯一の神を認識しないとかというと、それはそういう教育がなされていないからだと言うに尽きると私は思う。学校教育もしかり、家庭や社会の風潮やそれを作った歴史も含めての、広い意味での教育だ。

2013-04-12 13:03:08
masaki tomita @stayfoolish_me

日本人の多くは民族も国家も超えた神というイメージを抱くことなく、日本でしか通用しない神仏や、家族の延長である祖先崇拝で満足しているのは、それだけ民族や国家間の摩擦を経験せずに済んでいるからではないかと推測するがどうだろうか。つまり、日本人はおめでたく幸せだから、神は要らないのだ。

2013-04-12 13:13:37
masaki tomita @stayfoolish_me

これまで一神教というものが、どういう契機で発展したかを研究するのは意義深い。私の推測では、ユダヤ教はイスラエル12部族が宗教連合(アンフィクツィオニー)を形成し、部族間の違いを超えて統合しようとしたときに、一神教を確立している。

2013-04-12 13:39:14
masaki tomita @stayfoolish_me

しかし、やがてユダヤ教はヘレニズムの多神教世界の中で変わり者、いわばガラパゴス扱いされてゆく。そこから生まれたキリスト教も当初ガラパゴス扱いだったが、コンスタンティヌス以降ローマ統合の原理として利用され、世界最大の一神教となった。

2013-04-12 13:41:48
masaki tomita @stayfoolish_me

イスラームがなぜ一神教として世界第二の地位を占めるようになったかは、実は私はまだよく知らない。推測ではあるが、イスラームは国境や民族を超えて公益をする貿易商人たちが主体となって広めたと聞くので、国境や土地に過度に縛られないアラブからアジアの人の共通原理として機能したのではないか。

2013-04-12 13:46:13
masaki tomita @stayfoolish_me

推測も交えてではあるが、一神教の発展には、一神教を必要とする社会状況とそれを必然的なものにした歴史があると思う。なぜ一神教が必要だったのか。それは、他の民族との境界線を明確にするのか、または民族の違いを超えるのかという違いはあれども、いずれにしろ統合・統一が必要だったからだろう。

2013-04-12 13:51:21
masaki tomita @stayfoolish_me

だから、多神教の国と呼ばれる日本も、歴史の必要に応じて一神教的になる時もあった。たとえば、大和の国を作る時にも、征夷大将軍が日本統一を企てる時も、薩摩長州が明治政府を建てる時も、そして太平洋戦争のときも、共通しているのは、天皇を担ぎ出したということである。

2013-04-12 13:57:21
masaki tomita @stayfoolish_me

天皇制を担ぎ出すとき、日本の宗教の主流は一神教的になるのであり、それは国家としての統合・統一が必要になったときである。そういう意味では日本は単に多神教国ではなく、多神教と一神教の両面の性質を使い分けてきたのだが、それは世界の他の民族と大差はない。日本は特別ではない。

2013-04-12 14:00:25
masaki tomita @stayfoolish_me

大和を統合するとき、様々な神を奉じていた諸部族を統合するとき、天皇という超越者が掲げられた。そのプロセスは古代イスラエル12部族がヤハウェの神によって統合されたことと、やや似ている。

2013-04-12 14:20:02