- nirvanaheim
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めも「初期中世アイルランドの修道院教会制度・序」 http://d.hatena.ne.jp/kimuco/20061208/1165615888
2010-09-02 02:38:45●初期中世アイルランドの修道院教会制度・序 - In bethu ingine http://j.mp/cdyJtW /「修道教会」でいいんじゃないですかMonasticだし、とか思ったがさておき。このベネディクト会との対比は初期中世のさらに初期しか成立せなで誤解を生むような……
2010-09-02 03:18:47「何か同様の力があなた方の聖コロンバヌスに与えられているのか」「いない」「では、天国の番人に逆らう意志は微塵もない。天国の門に辿り着いた時、その鍵を持つ方が私の敵で、誰も門を開いてくれない事態は避けたいものだ」――アイルランド教会とローマ教会の慣習を選択する際のイングランドの見解
2010-09-02 11:46:04さらにそれはそれとして、昼の「イングランドの見解」は孫→記憶引きというアレさなので(確認したら孫→記憶では特に問題なかったが、まあ140字用に圧縮はした)原文を確認してきた。注の引用元にはベーダのOpera Historicaとあったが、叢書で、該当部位は要は英国民教会史だった。
2010-09-02 17:25:39そう言えばベーダ。"Habetis uos proferre aliquid tantae potestatis uestro Columbae datum?" だから……「あなたがたがコルンバから与えられた偉大なる権能を何かしら、いくらかでも顕すことができますか?」辺りかな……
2010-09-02 20:29:51さっきの「あなたがたがコルンバから与えられた偉大なる権能を何かしら、いくらかでも顕すことができますか?」は、ノーサンブリアのオスウィ王の台詞。彼の前で、リンディスファーンのコルマン司教らと、その慣習に文句をつけている、ケントやガリアから来た大陸系の聖職者たちが論争しているシーン。
2010-09-02 21:15:49リンディスファーン修道院は、スコティア(現代のスコットランドではなく、アイルランドのこと)教会の中心地アイオナからノーサンブリアに招請されてきた、イングランドにおけるスコティア教会の中心地。一方ケントは、現在も大主教座が置かれるカンタベリーがあるイングランド・ローマ教会の根拠地。
2010-09-02 21:23:14で、リヨンでガリア大司教の弟子をやってたガチガチのローマ側の論客ウィルフリッドが、弁舌の最後に「ペトロは最も祝福された使徒であり、主から天国の鍵を授けられた」旨を述べる。オスウィ王は対するコルマンに、それは本当か、と尋ねる。聖書に載ってるし、肯定するコルマン。で、王の先程の台詞。
2010-09-02 21:32:01つまり、ローマが背景とするその聖ペトロ(が遺骸としておわすローマ教会)に、ケルト修道会の父、スコティアの聖人コルンバの立場を何とか保たせられないか、と頼んだわけ。何とか奇跡の1つでも起こせないか。けれど、コルマンの答えは「Nihil.(何も。)」だった。
2010-09-02 21:45:50そこで重ねて、「主が天国の鍵をペトロに与えたことに何の異議もなく同意するか」と尋ねる王。「Etiam.(実際その通りだ。)」と答えざるをえないコルマン。それに対し、丁寧な口調で例の台詞を述べるオスウィ王。昼のは『西洋中世の社会と教会』の圧縮のようなものだけど、強過ぎるかな表現が。
2010-09-02 22:08:49ブログ更新:「アイスランド・サガに見る古ゲルマン文化の死者観」http://nirvanaheim.blog116.fc2.com/blog-entry-405.html
2010-09-03 06:01:05アルフレッド大王版でふと思い出したが、こないだ触れたスコティア(アイルランド)教会とローマ教会がノーサンブリアで論争した話は、アルフレッド大王版の『英国民教会史』には載っていません。で、今普通に手に入る講談社学術文庫『英国民教会史』は、そっちが底本なので載ってません。悪しからず。
2010-09-16 23:35:22