- akebono_special
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@Suisou_Kouhai みんな多かれ少なかれ、音楽が成立しなかった時のこの手痛い記憶、いたたまれない想い、流した涙があるからこそ、音楽に対して真摯で実直で、時に頑固で面倒になると思うのです。この作り方、まとめ方は本当に合っているのか?という無意識のアンテナですね。
2013-04-20 02:25:08吹奏楽部員が50人いても、結局指導者の音楽を表現する為の駒のような印象。そこにある自発性というのは管理された自発性。一方ジャズの場合、全員が確たる自分と知識や表現する技術を持っていなければ成立しない。
2013-04-20 02:25:21@Suisou_Kouhai さて、一方で、楽器の技術でのゴリ押しがプライマリーな手段のクラシック勢力。こちらは音色、ピッチに対して真剣で、アンテナを研ぎ澄ませています。この精度は、はっきり言って全ジャズミュージシャンが「基本的事項」として遂行すべきものだと考えています。
2013-04-20 02:27:01@Suisou_Kouhai 「間違っても良い!」「そんな細かいこと気にするな!」と、何度言われたか覚えていません。ライブハウス、レコード会社、時にはキャリアのあるプレイヤー自身。しかし、そんなことを言っているからいつまでジャズが今のままなのだ!と強く主張したい。
2013-04-20 02:28:45@Suisou_Kouhai 吹奏楽ではなく、海外留学をしたレベルのクラシックの演奏家の方のお話を伺ったことがあるのですが、その方は比較的ジャズ奏者の考え方に近かったです。つまり、団体競技というより個人競技的な考え方。
2013-04-20 02:29:35オレ専門じゃないからよくわからないんだけど、いわゆる中高の吹奏楽部って体育会系文化部的なイメージあるじゃない?あれ見てると個人の音楽的なセンスよりも集団性にプライオリティを置いてるんじゃないかって思う事があるのよね。
2013-04-20 02:31:46@works146 お互いの良い部分を共有しあって更なる進化を遂げる可能性が吹奏楽というジャンルにはあると思います。その為には徹底的にお互いを理解する必要があると思うのです。型を壊すならしっかり型を理解してからですね。
2013-04-20 02:32:41@nejimi その通りですね。ですから個人の音楽性なんていうのは蔑ろにされ、指導者の為に音楽を再生するツールに生徒が使われているケースがかなり多いと思います。
2013-04-20 02:35:01まー、結局は吹奏楽という集団性から抜け出しそうとして大学とかでジャズ研に所属しても、集団性にプライオリティ置いちゃうことはままあることで…悲しいかな、自分も自覚ありますので、そこはある程度自重したい。 >RT
2013-04-20 02:37:25@works146 バッハも演奏中にアドリブを行なっていたという点ではジャズの原点と呼べるかもしれませんね。(こういう風な事を言っている方は実際ジャズの奏者でもいらっしゃいますね。circle of 5thもバッハですし)キース・ジャレットも全ての音楽は民族音楽と言っていますし。
2013-04-20 02:38:33@Suisou_Kouhai 吹奏楽を離れて吹奏楽を見ると、ほんとに日本人の特性が顕著に出てますよね。出る杭は打たれる、周りと歩幅を合わす、誰かがやってくれる、和を乱さない・・・まあそれがいいか悪いかは置いておきますが。
2013-04-20 02:39:54@Suisou_Kouhai はい、仕事柄よく吹奏楽の団体さんには会うのですがそんな印象があります。児童生徒の教育という側面もあるのでわからなくはないのですが、あれで音楽的素養が育っているのかふと疑問に思うときもあり…。ちょっともったいない気はします。
2013-04-20 02:41:40このスキに持論を再度。やはり「芸術表現と新たな世界の模索」「商業、エンターテイメント」「小中学生からを視野に入れた情操教育ツール」を同じ譜面、同じ形式、同じ呼称で強引にまとめるの限界だろ!!
2013-04-20 02:48:41このような本格的な議論をするとやはり凄くエネルギーを使いますね。それぞれが育ってきた譲れない物がある。しかしそれを三流指導者のように「人それぞれ」という言葉で片付けたくないです。もっともっと良い方法があるはずですよね...先輩...
2013-04-20 02:55:44