中東戦争におけるアラブ側MiG-19/21に関するメモツイート(2)
めも:1981/3~4月ごろには、フランスの支援もあってMiG-21MFでマトラマジック1装備可能になる。同時期に仏空軍戦闘マニュアルに基づいた集中コースが開講され、3月後半には作戦可能になる。イラン側はこれに5月まで気付かなかった。
2013-04-29 23:55:18めも:イラクの持ってるアトールが凄まじいうんこ&イランが持ってるAIM-9Pが実際強いので、1983年にサイドワインダー取得計画がイラクで立てられる。イランのF-5E×2と原油と引き換えにヨルダンから入手したのは…200発のAIM-9Bであった(何してるんだよイラクwwwww
2013-04-30 00:03:24めも続:ヨルダンにサイドワインダーのバーターとして渡されたF-5Eのうち1機は強制着陸で鹵獲したものだが、1機はイランからの亡命機であり、この機は2発のAIM-9Pを装備していた。このAIM-9Pは2発ともソ連に渡されている。
2013-04-30 00:09:21めも続:ちなみに、このヨルダンから取得された15年落ちのAIM-9BはMiG-21に残された最後の希望的な感じで実戦投入されており、5機撃墜を記録している(F-5×2、F-4D×1、C-130×1、ヘリ×1)が、翌年には最新型マトラマジック1(バッチ70)に置換された。
2013-04-30 00:22:54めも:イラク人パイロットによるMiG-21の回想。「MiG-21は飛ばして楽しい傑作機だった。軽くて俊敏だけど、武装が貧弱だった。ASP-PSDガンサイトは武骨で単純だが良く働いた。アトールは信頼性がなく、撃墜をもたらすことはなかった。」(続
2013-04-30 00:30:31めも続:「エジプトは在庫処分として俺達に残余のアトールを売りつけてきたが、断った。GSh-23はF-4やF-14に通常のバースト射撃では撃墜に十分なダメージを与えられなかったけど、完璧な信頼性と迅速さを持つ最高に素晴らしい武装だったよ」
2013-04-30 00:37:05めも:イラン側パイロットによる回想。「俺達はかつてアメリカで訓練を受けたんだけど、何人かのパイロットは秘密評価のために米国が持ってたMiG-21とMiG-23を飛ばしたんだ。だから俺たちはMiG-21のことをよく知っているよ。」(続
2013-04-30 00:41:25めも続:「イラク空軍のMiG-21は拠点防衛には最適だけど、戦闘爆撃機としては貧弱だ。MiG-21は良く旋回する事が出来た。今日でも、俺はMiG-21を最良のドッグファイターだと確信している。ただし、最低でもアトールをマトラマジックにとっ変えてからの話だけどね」
2013-04-30 00:47:35めも:イラクの戦闘機乗りのスコア(1) Mohammed Rayyan少尉(のちに大佐)、二つ名は”Sky Falcon”:MiG-21でF-5E×2(撃墜確認)、MiG-25Pで8機撃墜主張(うち2機確認)、1986年にイラン空軍F-14/F-4と交戦して撃墜され、戦死。
2013-04-30 09:38:50めも:イラクの戦闘機乗りのスコア(2) Omar Goben大尉:MiG-21でF-5E×2、F-4E×1撃墜主張。後にMiG-23MS→MiG-23MF/ML→MiG-29と乗り換え。湾岸戦争でMiG-29を駆り、米軍F-15Cと交戦の際に撃墜され戦死。
2013-04-30 09:41:44めも:スコアは載ってないけど、名前のあがってるイラクのMiG-21乗りはK Wallid大佐。湾岸戦争時にMiG-29飛行団の司令官を務めるが、サウジアラビアへの亡命を図る途中に米軍F-15Cに撃墜された(どうなったんだろう…(;´Д`)
2013-04-30 09:45:28めも:イラン・イラク戦争の際のガタガタなイラク空軍。1982/6月、イラク空軍大尉がMiG-21を駆りシリアへ亡命。その尋問で明らかになったこと。イラク空軍は空戦で98機以上(MiG-25も含む)を撃墜されており、パイロット33人が戦死。(続
2013-04-30 09:50:53めも続:イラク軍亡命パイロットへの尋問。彼が亡命した時期には、3個スコードロンのみが作戦可能な状態。1982/2月に主に(ソ連ではなく)中国へ、300機以上の新しい戦闘機と100機のヘリが発注された。
2013-04-30 09:55:30めも:多くのイラク観測筋は、1983年までソ連から新兵器やスペアパーツが渡されなかったがとみているが、実際には、莫大な数のソ連軍事顧問団がイラクに留まって出来る限りの支援を行い、イラクに開戦直前に大量のスペアと武器を空輸し、1981~82年を通して不定期ながらも続けられていた。
2013-04-30 10:04:06めも続:(これだけの支援)にもかかわらず、イラク空軍の中でさえも反ソ感情が盛り上がりつつあった。元イラク空軍MiG-21パイロット、Amir大佐の証言。「80年代半ばまで、我々イラク人がロシア人のことを全面的に信頼していないにもかからわず、彼らはイラクのどこにでもいた。」(続
2013-04-30 10:20:05めも続:「彼らはアラブ人に命令をするのが好きだった。我々にとっては、ロシア人から命令を受けることは不愉快であり、さっさとイラクからいなくなっちまえばいいのにと思っていたよ」
2013-04-30 10:20:16めも続:ソ連は先進的な機材の供給を拒み、ダウングレード版ならすぐに売るという姿勢だったので、イラクもまた調達先を変えることになった。相手はやはり中国で、F-7Bを調達することになった。(この購入にサウジアラビアが絡んでるらしいが猛烈に訳しにくい英文である
2013-04-30 10:38:50めも:(俺の誤訳の疑いがかなりあるが)つまり、1982年にエジプトがF-7Bを買った時にサウジから融資を受けてて、そのエジプトはイラン・イラク戦争でイラク側について参戦していて、イラクもこれに倣ってサウジから融資を受けF-7B×40機を購入した、という事が書いてあるっぽい
2013-04-30 10:55:56めも続:イラクが調達したJ-6/F-7Bは非常にベーシックなもので、武装はPL-2 AAMのみであった。にもかかわらず、この時期のイラク空軍は質より量を重視していたので作戦に使えるとされた。ただしJ-6は1984年以後主に高等訓練用して使われるにとどまった。
2013-04-30 10:59:58めも続:F-7Bをエジプトからサウジを経由してイラクへフェリーするのは複雑・困難・危険なので、イラク空軍はAn-12BP×3機をヨルダンのJafr基地へ派遣した(しかもヨルダン空軍塗装)。An-12は中国からヨルダンへF-7Bの機体を空輸し、現地で組立ててテスト後に引き渡された。
2013-04-30 11:05:44めも続:イラクの中国との取引への反応として、ソ連はついにMiG-21bis×25機(第1バッチ)の供給に踏み切った。武装はアトールであり、辛うじてイラク空軍の損失を埋めたにとどまった。次のバッチはR-60ミサイル付きであったが、この頃には既に二戦級機の扱いとなっていた。
2013-04-30 11:16:22めも:1982/10月に、Ahmed Salem少尉が(イラン・イラク戦争おたにはチート超兵器として名高い)AH-1Jを撃墜している。この撃墜の際、コブラを照準にとらえ続けるために失速ぎりぎりにまでなったそうな…(やはりヘリを落とすのは難しいのであるw
2013-04-30 11:23:54めも:湾岸戦争の時には、イラクMiG-21/F-7はフルボッコにされたのは既知の通り…16機が地上破壊、2機がホーネットに撃墜されている(;´Д`) イラク戦争当時の残存機は、F-7Bが36機ほど残っているだけであった。
2013-04-30 11:37:14【Arab MiG-19 & MiG-21 Units in Combat (Combat Aircraft)/David Nicolle】を読んだ本に追加 →http://t.co/XAQxzo61Hm #bookmeter
2013-04-30 11:53:27