新田義顕、鎌倉攻めを語る。

新田家の一大イベント・鎌倉攻めに参加した記録のない嫡男・義顕が、鎌倉攻めについて語ります。
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新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

ぐぬぬ。誤解を恐れずにいうとだな、太平記は父上と足利尊氏を対等な源氏の大将として描いているワケなのだが…ほら父上って、鎌倉攻め以降尊氏に負けてばっかりジャン?だからせめて見せ場である鎌倉攻めを新田一族の力で成し遂げたことにして、華を持たせようとしたんじゃないか…ってイウンダ…。

2013-05-22 23:35:34
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

そーもーそーも!挙兵の時にも語ったが、新田本宗家は惣領権すら失っていた時期があった上に、それ以降は足利の庇護下にあったという。南北朝期における父上の評価が低いのは、その辺の事情をすっとばしているせいもあると思うんだよなぁ…(=_=*)

2013-05-22 23:40:58

補足させていただきますと、4代目政義以降、新田本宗家は政氏・基氏・朝氏…と続くのですが、そのいずれの名にも「氏」の字が入っているのですな。

「氏」といえば、思い出すのは足利家。
新田本宗家は、代々足利家の烏帽子となっていたことがうかがえるわけです。

鎌倉幕府内でも高い家格を有していた足利家と、一族の統率にも苦労していた新田家。
共に源義国公の血を引く一族なれど、その家格差は如何ともしがたいものがありましたな。

新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

なにはともあれ、鎌倉を攻め落とした功により、父上は帝の新政下において次第に重きをなすようになる。……それは新たな苦難の始まりにもなるのだけれど、それはまた後の話だな。

2013-05-22 23:44:59
新田義顕@金ヶ崎 @yoshiaki_nt

―というわけで、長々と付き合ってくれてありがとう!これにて鎌倉攻めの話はおしまいだ。私のつたない知識と私見を元に語ってしまったので、色々意見はあると思う。だが少しでも興味を惹かれてくれたなら、これ以上嬉しいことはないぞ!

2013-05-22 23:47:24