- masakishibata
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11月8日
まずは毎朝のおはようございます。
長束正家が切腹した日におはようございます。丹羽長秀、後に豊臣秀吉に仕える。五奉行の一人。高い算術能力を評価され、蔵入地の管理や太閤検地の実施など、豊臣政権の財務を一手に担う。その腕は旧主・丹羽家の不正疑惑を責任者の切腹ではなく帳簿を突き付けて疑惑を晴らしたほどである。
2012-11-08 08:39:26小田原征伐、九州征伐、文禄・慶長の役では兵糧奉行を務め、10万とも20万ともいわれる大軍の長期に渡る遠征を支える。ちなみに小田原征伐では安房の里見家への取次役を務めており、忍城攻めには家臣が参陣して武功を挙げている。
2012-11-08 08:46:28関ヶ原の戦いには西軍として参戦。しかし、徳川家康の伏見入城阻止や東軍諸将の人質抑留、家康の暗殺などに尽く失敗する。本戦では池田輝政隊と銃撃戦を繰り広げるが、吉川広家の妨害によって撤退。居城・岡山城の開城交渉に応じるものの反故にされ、切腹。城兵・城将も皆、討ち死にを果たした。
2012-11-08 08:58:13いやいや、凄いところをだな。
【長束さんのいい話1】若くして丹羽長秀に仕えた長束さん。後に織田家中の二番家老といわれる丹羽家も当時は小身の家。長束さんの禄も微々たるものでした。しかし、彼は文句ひとつ言わず奉公に励みました。
2012-11-08 18:37:05【長束さんのいい話2】やがて丹羽家は若狭一国を拝領し、国持ち大名となります。長秀は嫡男である鍋丸(後の長重)の補佐役に長束さんを大抜擢。いきなり1万石の大名格となったのです。
2012-11-08 18:37:45【長束さんのいい話3】もちろん周囲のやっかみはありましたが、長束さんは主君の期待に応えるべく忠実に鍋丸を補佐。そして、豊臣政権下で120万石にも及ぶ大大名となった丹羽家、その次代を担う揺るぎない存在となったのです。
2012-11-08 18:38:12【長束さんのいい話4】1585年、丹羽長秀死去。跡を継いだ長重は佐々成政への内通を疑われ、所領の大部分を没収されてしまいました。そして、豊臣秀吉は丹羽家の家臣団を解体すべく長束さんを引き抜こうとします。
2012-11-08 18:38:46【長束さんのいい話5】しかし、長束さんはそれ固辞。怒った秀吉は丹羽家に対して難癖に近い疑惑を突き付けました。ひとつは所領没収の折に会計上の不正があったというもの。もうひとつは長重が長束さんを引き留めているというものです。
2012-11-08 18:39:50【長束さんのいい話6】長束さんは証拠として帳簿を提出し、潔白を証明。不正の疑惑は晴らされました。そして、もうひとつの疑惑を晴らすために上京。それを召し出した秀吉は鬼の形相で長束さんを糾弾します。しかし、長束さんは言いました。
2012-11-08 18:40:08【長束さんのいい話7】「長秀存命の頃であれば有難くお受けしたでしょう。しかし、我が主君である長重は若輩であり、長秀の旧功も効力を成しません。このような状況で主君を見捨てることができましょうか。」
2012-11-08 18:40:27【長束さんのいい話9】それを聞いた秀吉は長束さんの言い分をすべて認め、疑惑は晴らされました。問題は「内通に関わって逃亡した家臣をすべて捕らえるまで旧領と長束さんの身柄を預かる」という名目で、そのまま長束さんを召し抱えてしまったこと。
2012-11-08 18:41:27この一連のツイートを機にTwitterにはびこる長束クラスタに目をつけられる。
以下、いかに長束正家が凄いかをお伝えします。