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お菓子っ子 @sweets_street
鐙が発明される前の中国では騎兵突撃はできなかった(重騎兵はいなかった)という説をしばしば聞くのですが、後漢書や三国志には騎乗して矛を持って突撃した事例や、騎乗して敵陣に突入した事例がいくつもあるのにそういう説が根強いのは不思議ですね
第4インター系 @Lev1026
@sweets_street 馬体突進こそが騎兵のもっとも効果的な使い方ともいいますからね。
お菓子っ子 @sweets_street
突撃を行う重騎兵は「突騎」「鐵騎」と言われるのですが、突騎が突撃戦術を用いる重騎兵であったことは、後漢書の呉漢伝に「呉漢は常に突騎5千を率いて先鋒となって、真っ先に突入して陣地を落とした」という記述から明らかです。景丹伝や杜詩伝にも突騎による騎兵突撃の記録があります
お菓子っ子 @sweets_street
史書における「突騎」の初出は漢書鼂錯伝。鼂錯が匈奴と中国の軍隊の強弱を分析する文章の中に登場します。地形・戦術・兵器など多角的な視点からの分析は遊牧騎兵の匈奴と歩兵・騎兵の混成軍である中国の軍隊の特徴を良く把握していて興味深いので、いずれ紹介したいですね
お菓子っ子 @sweets_street
そういうわけでもないですよ。騎兵の一番の長所が速度であるのは間違いないです。突撃の衝撃力も馬の速度ありきです RT @Lev1026 馬体突進こそが騎兵のもっとも効果的な使い方ともいいますからね。
地雷魚 @Jiraygyo
戦車不要論と騎兵不在論は、なんだか定期的に沸くあるね RT @sweets_street: 鐙が発明される前の中国では騎兵突撃はできなかった(重騎兵はいなかった)という説をしばしば聞くのですが、後漢書や三国志には騎乗して矛を持って突撃した事例や、騎乗して敵陣に突入した事例がいくつ
地雷魚 @Jiraygyo
ちなみに、昔の記憶を辿ってみても、後漢ごろは鐙はなかったので騎兵突撃はなかった論はやった覚えないなあ・・・だから、珍しくこれは私のせいではない(笑)
お菓子っ子 @sweets_street
戦車不要論はともかく、鐙の発明以前でも騎兵突撃が可能だったことは史書でも明らかなのに、頑として否定する人がいるのは不思議ですね RT @Jiraygyo 戦車不要論と騎兵不在論は、なんだか定期的に沸くあるね
地雷魚 @Jiraygyo
ロクな交通機関ない時代あの速度と質量は怖いやで RT @sweets_street: そういうわけでもないですよ。騎兵の一番の長所が速度であるのは間違いないです。突撃の衝撃力も馬の速度ありきです RT @Lev1026 馬体突進こそが騎兵のもっとも効果的な使い方ともいいますからね
第4インター系 @Lev1026
@sweets_street なるほど。速度ですか。当時の軍用馬がどの程度の体格だったのか。いすれにしろ歩兵にとっちゃ恐ろしい相手だったでしょうね。
地雷魚 @Jiraygyo
日本の戦国時代も騎兵存在しなかった論であれこれあった気がする RT @sweets_street: 戦車不要論はともかく、鐙の発明以前でも騎兵突撃が可能だったことは史書でも明らかなのに、頑として否定する人がいるのは不思議ですね RT @Jiraygyo 戦車不要論と騎兵不在論は、
Inabaku @Inabaku
@sweets_street 後漢・三国時代は、「胡服騎射」から500年経っている時代なんですよね。騎兵の認知度・育成・技術の革新はどうなっていたのかは存じませんが。
地雷魚 @Jiraygyo
とりあえず歴史の中で騎兵はやたら派手な活躍をしているイメージがあるので、これをdisると目立つって風潮はあったよね、うん(笑)
地雷魚 @Jiraygyo
ちなみに鐙の発明は西晋代までは遡れていて、三国・後漢末期にも「あったんじゃねえかなあ?」ぐらいにはなっとったりします。片鐙は少なくともあった気配のが濃厚。
地雷魚 @Jiraygyo
うまなみ三国志でも書いたが、鐙については「乗ったあとの姿勢制御」だけでなく、まず「騎乗がしやすくなる」という利点に注目しませう。最初に現れた鐙が片鐙なのも、騎乗のステップのためです。この発明により「まず馬に乗る」という動作が飛躍的に楽になりました。
地雷魚 @Jiraygyo
みんな鐙というと騎乗後の姿勢制御のことばかり言うけど、まず「すぐに一人でも乗れるようになった」という利点が、まず大事なのですね。騎兵の運用も、おそらくは臨機な対応能力が飛躍的に向上したことでしょう。騎乗動物は「まず上に乗る」そのものが大変なのです。
お菓子っ子 @sweets_street
東アジアの馬は小柄ですが、武装した人間を乗せて突っ込んできたら怖いですよ。原付に乗った男がバットを振り回しながら突っ込んできたら怖いでしょう? @Lev1026 なるほど。速度ですか。当時の軍用馬がどの程度の体格だったのか。いすれにしろ歩兵にとっちゃ恐ろしい相手だったでしょうね。
お菓子っ子 @sweets_street
騎射の技術では中国人は匈奴には及びませんでしたが、それでも騎兵が広く用いられていたことは間違いないです RT @Inabaku 後漢・三国時代は、「胡服騎射」から500年経っている時代なんですよね。騎兵の認知度・育成・技術の革新はどうなっていたのかは存じませんが。
お菓子っ子 @sweets_street
ちっこい原付が時速20キロぐらいで突っ込んできても怖いですしね RT @Jiraygyo ロクな交通機関ない時代あの速度と質量は怖いやで RT そういうわけでもないですよ。騎兵の一番の長所が速度であるのは間違いないです。突撃の衝撃力も馬の速度ありきです
お菓子っ子 @sweets_street
「武田騎馬軍団はなかった」論ですね。戦国時代は確かに騎乗の武士が下馬して戦うことが多かったですが、それでも騎乗して戦う機会もまだまだ多かったでしょうね RT @Jiraygyo 日本の戦国時代も騎兵存在しなかった論であれこれあった気がする
第4インター系 @Lev1026
@sweets_street そりゃ怖いですよ。ロバ程度でも十分怖い。そういや、馬と人間の付き合いって鐙が発明される以前の「食材」としての歴史の方がずっと長いんだとか。
地雷魚 @Jiraygyo
騎兵突撃の定義をわざと曖昧にして否定してはる人多いね RT @sweets_street: 「武田騎馬軍団はなかった」論ですね。戦国時代は確かに騎乗の武士が下馬して戦うことが多かったですが、それでも騎乗して戦う機会もまだまだ多かったでしょうね RT @Jiraygyo 日本の戦国
お菓子っ子 @sweets_street
馬は現在で言うところのバイクや自動車(ジープ・軽トラック)だと考えたら、イメージしやすいと思いますよ RT @Lev1026 そりゃ怖いですよ。ロバ程度でも十分怖い。そういや、馬と人間の付き合いって鐙が発明される以前の「食材」としての歴史の方がずっと長いんだとか。
お菓子っ子 @sweets_street
曖昧かつ恣意的な定義付けをすれば、人間が永久に死なないことにだってできますからね。そういうことをする人の議論は信用できないです RT @Jiraygyo 騎兵突撃の定義をわざと曖昧にして否定してはる人多いね
浅緋(あさひ)@ヮ<)ノ @asahi_4
@sweets_street @Jiraygyo 上杉謙信の人と真田の人は突撃してたみたいですけど、他に有名な方ってどんな人がいるのでしょうか?
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コメント

扶桑委員会@C97は落ちました @fussoo_moe 2013年5月22日
自分で編集していて何だけど、騎馬突撃は心理的衝撃っていうのは本当にそうだよね。人間恐怖感じたら逃げるもん。軍は大勢の人間がまるで一つの生き物のように機能することで始めてその威力を発揮する。細胞がしっちゃかめっちゃかに動いちゃ軍は完全に死ぬのである。
江戸屋'八雲師匠状態'× @edoyax 2013年5月22日
日本の戦国期の騎兵のメインウェポンが何だったのか、誰かご教授下さい。 源平期みたく騎射だったのか?鑓刀を振り回したのか? ただ突撃するだけだと槍衾が立ち上がってくるし。それとも、槍衾は伝説に過ぎないのでしょうか?
のぶたけ @nobutake1102 2013年5月22日
騎馬突撃に限らずChargeって戦術そのものが士気阻喪を狙ったものじゃないですかね?陣地突撃は除きますが。
とりこ @TRI869 2013年5月23日
edoyax 戦国と言っても広いわけですが、騎乗して戦場に出るのは概ね領主と知行を貰う代わりに戦の際に決められた戦力を「(武器・食料から自分や馬の世話係の非戦闘員まで)自弁で」提供する契約をした、身分としての侍なので、「各自が好きな武器を持っていた」みたいな感じで思っていただくといいと思います
とりこ @TRI869 2013年5月23日
簡単に騎乗すると言いますが、馬を戦場に連れて行くなら替え馬もいるし、馬の世話係もいります。これに荷物持ちや自分専属の雑兵も時に加えて馬連れて行くだけで最小でも4人ぐらい+2頭を戦場に連れて行き、最低3日間の食料等も用意しなければならないわけで、馬を連れて行くのは相当なお金持ちしかできないわけです
とりこ @TRI869 2013年5月23日
知行から行くと、ざっと百石が馬を戦場に連れていけるか連れていけないかのボーダーでした。よく足軽なんかと混同されて、侍も貧乏なのから裕福なのまでいて、底辺ほど数が多いのかと思われがちですが、ちゃんとした侍は知行百石から二百石の間が6割強で、それ以下は逆に1割以下なことが多いんだそうです
とりこ @TRI869 2013年5月23日
明治初年に各藩が太政官に出した藩の正式な武士の数と知行の報告でもほとんどの藩が平均百石以上です。ところが、土佐藩は平均60余石とか甚だしいのは鹿児島藩の平均20石。こういった藩では馬に乗った侍が戦国時代から少なく、逆に鉄砲が多かったのだそうです。鹿児島藩なんか藩士の大多数が一桁石高なのに、それで複数火縄銃持つのが当たり前だったって、どれだけ値下がりしてたんだ火縄銃
江戸屋'八雲師匠状態'× @edoyax 2013年5月23日
TRI869 質問の仕方が悪かったみたいです。馬上で突撃時に使用した武器はなんだったんだろうな?という疑問なのです。騎馬の突進力を利用するとしたら、鑓だとヒットポイントが小さいですし、打ち刀も同様だと思われます。そういう類の疑問なんです。
とりこ @TRI869 2013年5月23日
日本に西洋の近代騎兵のような、槍先揃えて騎乗した兵だけで突っ込んでいく組織だった騎兵隊というものが無かったというのは極論すぎてウソですが、日本でのそういう騎兵隊にあたるものの多くは身分としての侍たちを戦場の状況によって臨時に編成しただけのもので、数十~多くて稀に数百というものだったようです
とりこ @TRI869 2013年5月23日
edoyax 意地悪とか質問を誤解しているわけではなく、最初に書いたとおり各自の好きな武器を持っていたという感じです。流行もありますが、戦国期だとやはり接近しての武器の王は槍ということだったようですが、やたらに長い太刀を突いて使う人もいますし、その他様々な武器を持って戦う人が出てきます
とりこ @TRI869 2013年5月23日
戦国も中期以降になり足軽が隊列組んで槍衾などを始めると、騎乗しているのがメリットにならなくなったのか、せっかく戦場に馬を持ってきた侍が下馬して戦うことが多くなったようです。戦場では両軍共先陣を下馬した侍たちを集めた部隊に任せることが多く、白兵戦は大体、侍と侍の部隊同士の部隊から始まるなどと雑兵物語には書かれています。この時の侍の持ち物もまた、各自が好きなように、なのですが、やはり(足軽のものよりは短めの)槍が多かったようです
とりこ @TRI869 2013年5月23日
戦国末期になると騎乗して戦うことがかなり少なくなったようで、最近の侍は騎乗して戦うのが下手で、戦う前から自分の武器で自分の馬に怪我させてやんの(笑)などと書かれる始末
kawonasi @kawonasi4989 2013年5月23日
日本では一馬力≒735.5と規定している様です。これに当て嵌めるとサラブレッドで3馬力、ばんえい種で10馬力ぐらいとなるようです。
緑一色( •̀ㅂ•́)و @Allgreen76 2013年5月23日
騎馬突撃は漢の浪漫 (`・ω・´)
緑一色( •̀ㅂ•́)و @Allgreen76 2013年5月23日
喘息前進という今にも死にそうな変換がなされたのはナイショだ
小川靖浩 @olfey0506 2013年5月23日
騎兵の真偽論を見るといつも思い浮かぶのが「金が無くて馬じゃなくて牛に乗った」光武帝を思い浮かぶところ。後世の伝説由来とか言われたらそれまでだろうけど、無かった論を唱える人も前提として現代のサラブレッドでの突撃を念頭に入れている人も混じっている印象が
arabiannightbreed @a_nightbreed 2013年5月23日
現代の中国語だと鉄騎はレーシングバイクで、鉄騎士はライダー。かっこいい
arabiannightbreed @a_nightbreed 2013年5月23日
参考/90式氏(@kyuumaruTK)による騎兵の「衝撃力」についてのちょっとした解説 http://togetter.com/li/176692
江戸屋'八雲師匠状態'× @edoyax 2013年5月23日
TRI869 誤解させてしまったみたいですみません。意地悪されたとも思っておりませんので。つまり武器を貸与して同一の部隊を編成するのではなく、個人の武勇頼みで部隊編成は行っていなかったという解釈でよろしいでしょうか?
江戸屋'八雲師匠状態'× @edoyax 2013年5月23日
武装を統一せず複数人で騎乗していた。槍衾の発明により、高速で移動する為の道具になったという解釈の方がいいのかなぁ。
とりこ @TRI869 2013年5月23日
edoyax 基本的には上の考えでおけですが、戦国時代も中期以降になって集団戦になると、侍も部隊ごとに分けられ、集団で運用されるようになります。ただ、その使われ方が全軍の中でのオフェンス(突撃部隊)として、相手の陣形整った集団に先陣切って突っ込んで行くという役周りで、成功さえすれば多少の命令違反、抜け駆け、スタンドプレーなんでもおkという統制の無さ
とりこ @TRI869 2013年5月23日
重厚な鎧兜に奇妙奇天烈な飾りをつけて、奇妙な旗指物を担いだ色もとりどりな集団がおもいおもいの武器を取って、我先に突っ込んでいく感じ。不文律でも無いが侍部隊の相手はだいたい侍部隊なので、戦ってる相手もそんな感じ
とりこ @TRI869 2013年5月23日
侍は自弁である限り何人従者連れて行くのも可能で、従者には戦場までは行くが突撃には参加せず、陣で主人の帰りを待ってる人もいれば主人の予備の武器を持って突撃にも(徒歩で)ついて行き、、自分も武器を持って戦うものもいました。しかし武器を持つ従者はあくまで侍の従者であり、軍の正式な戦闘員とは数えられませんでした。
とりこ @TRI869 2013年5月23日
槍衾が発達すると徒歩で戦うことが多くなったとはいえ、逆に言えば相手が陣をきちんと整えているところに正面から向かわなければ依然として騎馬突撃は有効なわけで、本格的な合戦の前の前哨戦や、迂回部隊、相手の陣が崩れた時のトドメ役、追撃戦など、依然として騎馬武者が活躍する場面はありました(から馬を持たない徒歩侍より馬を連れてくる侍の方が重宝された)
江戸屋'八雲師匠状態'× @edoyax 2013年5月23日
TRI869 具体的なイメージがやっとつかめました。ありがとうございます。
小川靖浩 @olfey0506 2013年5月24日
TRI869 当時の馬の速度がどの程度かにもよるでしょうが、槍衾も陣形として構えているから有効ですし、騎馬隊の機動力は徒歩よりは優れてるでしょうから横合いからの突撃とかには弱いですしねぇ
うそこばん @usokoban 2013年5月25日
nobutake1102 気になったので語源に遡ったらチャージは「馬車に乗せる(運ぶ)」、アサルトは「跳躍(躍進)」で、たまたまですが、最初から馬と人っぽい差がある感じですね。ラテン語までしか遡ってませんが、チャージの原風景は遊牧民の襲撃じゃなくて、オリエントの平原を走ってるチャリオットなのかなとか妄想が広がりました。まあ、それ高機動弓兵やと言われたら困りますが
うそこばん @usokoban 2013年5月25日
TRI869 言われるとおり、戦の様相(規模)を考えないと駄目な気がします。狭い日本でも、参加兵力が千二千とかなら条件(馬の絶対数と兵力比、戦場の地勢、陣地規模等)的にチャージがものを言う場面は普通にありそうに思えますし、逆に数万の兵が激突してるのにインパクトを与えられる規模のチャージを仕掛けるのは相当な難事に思えます。
とりこ @TRI869 2013年5月25日
戦国期に機動作戦その他で騎馬のみの隊が臨時編成された時の規模が概ね数十から数百なのは、ぶっちゃけてそれ以上だと指揮するのが難しいってのが一番大きいのではないかと思います。なにせ侍というやつは自分の功と名誉にしか興味の無い種族なので
とりこ @TRI869 2013年5月25日
また、その規模だとusokobanさんの仰る通り、合戦の規模が大きくなればなかなか衝撃を与えるまでにいたらないのも事実でしょうね
とりこ @TRI869 2013年5月26日
書かなかったけど、戦国中期以降に騎馬戦闘が減っていったのは、野戦にならずに城攻めになることが増えたから(そして城塞が鉄砲で守られることが多くなったから)でもある
とりこ @TRI869 2013年5月26日
城塞の話が出たついでに。侍が自分の手柄しか考えない(大名にとって)コントロールしにくい兵隊だとは書いたが、少なくとも簡単に逃げ出したりはしないって点では頼りにできる。足軽はちょっと不利になると簡単に逃げ出す。
とりこ @TRI869 2013年5月26日
戦国中期以降の戦国大名は、大名が好きに配置できる足軽隊を常備していて、国境の特に重要な城には、その城の守備隊の応援に500とか1000という単位で弓や鉄砲持った足軽隊を差し向けるのだが、そういう城が落ちそうになると、足軽は我先に逃げる。最後まで戦って討ち死にするのは決まって侍たち。戦場でも足軽は崩れる時は早い
蔣捷 JIANG JIE @jiangjie2015 2014年2月16日
後漢時代より、南北朝時代のほうが騎兵突撃の描写が頻繁になるのは、鐙の普及・改良と騎兵の重装備化が進んだとみていいんでしょうか
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