いつから「貴族」と呼んだのか?
- sakana6634
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@k_h_musume 研究者は理屈っぽいですからね 笑。支配体制が厳密に血縁関係によるものとなるのは古墳時代からと考えてよいでしょう。北部九州のように先行する地域もありますが。弥生時代は互酬性を基本とする首長制社会なので、リーダーは血縁で固定されていない可能性が高いと思います。
2013-05-22 18:17:46うんと後の時代にできた言葉でも、エビデンスができているから説明はしやすいわけですよね。そうそう、先日の「アテルイ伝」でもちょっと思いましたし、他の方も同じことを仰ってましたが、東北の自由民は自分達のことを「蝦夷」とは呼んでなかっただろうにな~とかね。
2013-05-22 18:21:12互酬性!、古墳時代以降、飛鳥時代に入っても、大王の選出方法が定まらなかったのは、もしやそういった慣習の名残り…なんてことは…考えすぎでしょうかσ(^^;)。 @gijyou
2013-05-22 18:31:21喉に支えたままだったので、さらに辞典を頼ってみました。
「豪族」についてのリプライありがとうございました~。国史大辞典で「貴族」の項見てきました。あとで連投&夕べのと合わせてトゥギャるつもりです。
2013-05-22 18:31:20吉川弘文館「国史大辞典」から【貴族】の項。(1) 【貴族】 日本では明治十七年(1884)と同四〇年の二つの華族令によって、公・侯・伯・子男の爵位を有する者、及びその家族が華族とされ、華族の一部分が大日本帝国憲法と貴族院法令によって貴族院議員となる権利を持ったところから(続)
2013-05-22 21:24:36「国史大辞典」から【貴族】(2) これらの支配階級を貴族と呼んだ。同時にこの貴族という呼称を、他の諸国民の歴史にも適用し、血統、その他しばしば必ずしも明確でない理由から他の国民大衆より隔絶され、身分的・政治的特権並びにそれに相応しい栄誉や権威を与えられている(続)
2013-05-22 21:24:45「国史大辞典」から【貴族】(3) 世襲的は位階給を指して貴族(貴族階級と一般的に呼んだ。 従って、日本語で「貴族」と称されている階級の実体は、歴史的に様々である。例えば日本史の上では古代国家の支配階級の情操の者を貴族と呼ぶことが多い(後略・引用畢)
2013-05-22 21:24:55というわけで、この説明だと ・明治期、華族が貴族院議員となったことから、貴族という名称で呼ばれることになり ・他国の世襲特権階級をも「貴族」と呼ぶようになった。 ……やっぱ明治からかー。しかし「貴族院」の由来は貴族院の項にはありませんでした。うーん。
2013-05-22 21:27:53おまけ。 「国史大辞典」から【公家】(1) 朝廷の官人の総称。武士が政権を握って武家と呼ばれたのに対し、天皇を取り巻く朝廷の官人、特に上層の廷臣の総称となり、公卿とほぼ同じ意味に用いられた。(続)
2013-05-22 21:31:59「国史大辞典」から【公家】(2) 公家は、律令官人社会の上層部に系譜を引き、平安時代以降漸次藤原摂関家を中心として形成され公家文化あるいは公家風と呼ばれる風俗習慣を生んだ。(続)
2013-05-22 21:32:30「国史大辞典」から【公家】(3) 江戸時代廷臣の価格が固定してからは、昇殿を許された家柄、即ち堂上家の廷臣を指し、少数の源氏・平氏・菅原氏などの諸家を除き、殆ど藤原氏諸家によって占められ、明治十七年(1884)の華族令では、原則として子爵以上の爵位を授けられた。(続)
2013-05-22 21:32:47「国史大辞典」から【公家】(4) なお公家は「こうけ」あるいは「おほやけ」と読み、天皇の指称としても長く用いられた。本来君主の家、又は朝廷を意味したが、転じて天皇を指す語となり、特に上皇の存在が常態化してからは、「院」に対する称ともなった。(終)
2013-05-22 21:33:17武家も世襲の支配階級なので、貴族と呼ばれてもおかしくはないって事か。 貴族=華族の(特権階級としての華族が存在した)時代が終わってから、貴族≒公家になったってことなのかなあ。公家は武家政権時代の「武家」に対応した言葉だから、それより前の貴族には使いにくかったとか…?
2013-05-22 21:42:27