【三国志】騎兵と姜維と諸葛亮と

蜀の騎兵について、姜維と諸葛亮の戦い方に絡めてちょっと考えた話
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Jominian @Jominian

蜀が補給に苦労したことを考えると、その騎兵の規模や構成を、実際の戦争の推移に合わせて考えると苦労する。まあ、そこそこの答には辿り着けるが

2013-05-21 21:37:55
Jominian @Jominian

蜀の騎兵は、恐らくそんなに多くない。そして、諸葛亮と姜維では、率いた騎兵の質が恐らく異なる

2013-05-21 21:48:11
Jominian @Jominian

志向した戦い方の違いが、地勢的な制約と相まって、諸葛亮と姜維の軍の構成を変えた

2013-05-21 22:02:37
Jominian @Jominian

諸葛亮は堅固な陣地で敵を迎え撃つ戦い方を好んだ。姜維は機動と、堂々と敵を撃破する戦い方を好んだ。この違いが主たる要因。この主張は前から変わらない

2013-05-21 22:17:02
Jominian @Jominian

この戦い方の違いが、蜀の事情によって数を限定された騎兵をどのように使うかということを決定した

2013-05-21 22:24:45
Jominian @Jominian

諸葛亮の神算によって、敵に堅固な陣地を攻めさせる彼の蜀軍は、重騎兵を必要としない。逆に、平地で堂々と隊列を整えて戦う姜維は、まとまった数の重騎兵を必要とした

2013-05-21 22:28:26
Jominian @Jominian

また、敵を陣地に招くために、ある程度の自由が利く、戦略的な規模の、管理自営部隊を諸葛亮は必要とした。その任を果たすためには、難地形を踏破し、柔軟に使える軽騎兵を必要とし、それを各軍団に配する必要があった

2013-05-21 22:43:09
Jominian @Jominian

逆に姜維は、戦場において質的、数的な騎兵の優越を確保するため、騎兵はある程度以上の規模で、それも重騎兵を必要とした。このことも、姜維が自己の直接コントロールする軍の規模を高めていく理由となる

2013-05-21 22:46:23
Jominian @Jominian

諸葛亮の分遣する軍が軽騎兵を必要とするのは、その軍の指揮官に高度な判断が求められるため、軍の目となる軽騎兵が必要となるからだ。

2013-05-21 22:50:39
Jominian @Jominian

では、重騎兵を志向した姜維は、目が不要だったのか?持っていなかったのか? そうではない。 また、重騎兵を目として用いたわけでもない。 そんなことをすれば、本当に重騎兵の力が必要となる戦場で、重騎兵は疲弊し、その力を大きく落としてしまうからだ。

2013-05-21 22:53:17
Jominian @Jominian

むしろ姜維の方が、自己の周囲を見渡し、的確な情報を掴むのに長けていた。これは、重騎兵を志向した姜維も、軍の目となる軽騎兵を保有していたことを示している。しかし、多くの飼料を必要とする馬を、それほど多く引き連れたわけはない。その供給源は、恐らく羌胡である。

2013-05-21 23:03:11
Jominian @Jominian

姜維は、少なくとも汶山の羌から馬を得ていたし、陳泰は姜維が羌胡を使役していると評している。これが、隴西の現地で騎兵、それも軽騎兵を調達していたことをも指していたと考えても不自然はない

2013-05-22 07:05:15
Jominian @Jominian

隴西で軽騎兵を得ることで、兵站への負担を減らす。彼の土地勘と、適切な指示によって、その軽騎兵を派遣して情報を収集する。その情報をもとに、敵へと迅速に迫り、戦闘によってこれを撃破する。羌胡の軽騎兵は、戦闘では支援に用い、自己の重騎兵は予備として適宜投入する。姜維の戦い方である

2013-05-22 07:11:46
Jominian @Jominian

姜維は直接南安を攻めた時を除き、常に洮水流域を経由して隴西へ出ている。これは、上邽周辺の魏軍が増強されたことによる、隴西東部の圧力を避けるためというのもあるだろうが、羌胡との合流にこそ主眼があったのではないだろうか

2013-05-22 07:28:10
Jominian @Jominian

姜維は、羌胡に軽騎兵を頼っていたとすれば、自己の軍だけでは、戦場以外では完結出来なかったということになる。羌胡の協力が得難くなった段谷以降では、その編制に変化があったかもしれない

2013-05-22 19:33:28
Jominian @Jominian

分かっていることは、侯和では負けたが、沓中からの撤退ではかつての情報収集能力を発揮していることである。彼が沓中に留まったのは、そこで再び羌胡の騎兵を得ようとしたからだろうか?

2013-05-22 19:36:27
Jominian @Jominian

姜維にとっての羌胡は、ハンニバルにとってのヌミディア、ロシアにとってのコサック、ナポレオンにとってのポーランドのようなものかもしれない

2013-05-22 19:38:27
Jominian @Jominian

鄧艾は、蜀を攻めるにあたり羌胡が軍を募っている。段灼の言葉を考えると、その多くは金城太守楊欣の麾下だったように思う。その楊欣は、沓中の姜維を更に西に迂回し、且つ追い付き、これを捕捉している。この動きも、土地をよく知る羌胡の軽騎兵の情報収集能力によるものかもしれない。

2013-05-22 19:48:47