日本語語源のはなしの話。
- murapyon71
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【色を指すことば】
本来的に色を指す言葉は「しろ」「くろ」「あか」「あお」「き」とある。
この内「き」は比較的最近で平安ごろとのこと。
なので「本来的に色を指す言葉」+「い」という表現は「しろ」「くろ」「あか」「あお」ということになる。
「き」は漢文表記の影響を受けて「色」を付けて表現することが多く、これに「い」を付けて形容詞となる珍しい言葉なのだとか。
あおい(青い)という言い方はあるのに、みどりい(緑い)と言わないのはなぜ?というスレッドをみたけど、倭語の時代は青葉(あおば)の様に草木も青と表現していて、緑は漢文時代の色の表現方法だからかな?ウィキみても最初はみずみずしいという方面で使われていて後に転用とあるからね。
2013-06-04 08:42:59色+ゐという表現は平安時代ごろまでにあった色を言葉を伴った表現で、緑などは漢文時代なので緑色(みどりいろ)みたいな表現方法になったのかな?と思うけどよくわからないな。
2013-06-04 08:50:13+色という表現は、倭語時代には色をあらわす言葉として認知されていなかったので、文字の後ろに「色」を付けて、これは色をあらわす言葉ですよと世間に定着させている間に、そういう表現方法で固まっちゃったということも考えられるね。
2013-06-04 09:25:43「赤青白黒だけが「い」を伴って形容詞化するのも不思議」←これは万葉集が得意な人の出番?たぶん万葉期あたりで「くろき」「しろき」「あかき」「あをき」の形容詞の語幹を名詞に転用したんじゃないかな?単純に「き」のイ音便でいいような。 http://t.co/aYDwcu9Jwi
2013-06-06 22:36:09http://www.geocities.jp/sashichi2004/dic/k/i/kiinai.html
「黄色い」という表記の初出ですが、上のリンク先にこういう表記があった。「以上から明らかですが、江戸時代までは中央・飛騨ともに、黄な、 という言い回しであったのが、明治になって中央では、きいろい」と。
この「江戸時代までは中央・飛騨ともに、黄な、 という言い回しであった」という表現が非常に曖昧。孤例で良いなら宇津保物語に「けふのかづけ物は、きいろのこうちぎかさね」とあること高島先生が引用している。また引用は無いが、江戸時代に小判の色を「黄色な」とあるのを紹介されている。
一番問題なのは「以上から明らかですが」で、これは「古語辞典には、きなり・黄也・名詞・形動ナリ…明治の国語辞典・言海(ちくま学芸文庫)には、き・きいろ・きいろし、 の記載」を指している様で、たった二つの記載を以て「明らか」としているわけです。
「ことごとく書を信じれば書なきに如かず」という言葉があるようですが、少なくとも言葉の定義を調べるのに字書ひとつでは心もとない。「明らか」という言葉の持つ意味が軽すぎてしまう。
たぶん、ここで一番良い表現は「明らか」では無く、「人口に膾炙されたのは」くらいが穏当なのでしょうね。「明らか」とされると、そういう表現はそれ以前には皆無であったかの様な誤解を招く様な気がする。
類推でいいなら、日国二が挙げる三遊亭円朝の『真景累ケ丘』(1869年頃)の「煎豆腐の中へ鶏卵が入って黄色くなった」を高島先生が引いておられ、「「黄色い」という語がすでに成立していて、それを「黄色く」と使ったのであることまちがいない。「黄色い」という語が出来たのは幕末ぎりぎりくらいであろうか」とおっしゃっておられる。リンク先の文中「明らか」よりは信頼がおけるでしょうし、僕もそんなところかな?という感がします。
おおー!あったあった。享和四年(1804)『東都真衛』「わるひ事を白イ(キイロイトモ云)」。文政三年(1820)『花暦八笑人』「歯の黄ろい」。天保三年(1832)『春色梅児誉美』「黄色イものをおめへの名代」【佐藤武義「黄なり」から「黄色い」へ】 やっぱり「黄色い」は江戸後期だね。
2013-07-17 19:03:24「明治になって中央では、きいろい、 という形容詞が出現」【東京堂出版地方別方言辞典】 http://t.co/mfMgTdp7Gj 地方別方言語源辞典 真田 信治 http://t.co/FvSAqBzo5b @AmazonJP 誰だ真田信治って?
2013-07-17 19:08:49「黄色い」という形容詞は1800年前後の江戸言葉の中で成立とある。中世までの「黄なり」「黄色なり」は、外国渡来の文物に付された付された文書等に「黄」があったため、これを訓読する工夫が行われ訓に「き」を登場させたのでは?とある。【佐藤武義 「黄なり」から「黄色い」へ】
2013-07-17 19:29:30こうなると話しの推察がつく。昔の「しろ」「くろ」「あか」「あお」の色調は、中国の「白」「黒」「赤」「青」とは必ずしも一致しない。しかし平安期頃には「白」「黒」「赤」「青」「黄」の色調はほぼ一致している。こうなると中国の五行の配色に強制的に附会させたような臭いがプンプンするね。
2013-07-17 19:37:08【「はい」の語源】
日本語は中国語発音の保存バージョンが多い。@vergil2010: 中国の歴史ドラマ「大秦帝国」を観てたら、「はお」どころか、まんま「はい」と発音してて、びっくりしました。 RT @nakatsumiwa 日本語の「はい」もそもそも原型は中国語の「好(はお)」から来てるんやろうね
2013-05-29 07:57:58@aizujin_k 自分をへりくだった気持ちで応答する「へい」の派生語かも?「へい」なら「弊盧」語源が考えられます。今なら「弊社」などの用例。 http://t.co/7dGpk0W2Ix
2013-05-29 20:13:52@aizujin_k すいませんリンクがうまく出来なくて…^^; 以下コピペです【へい:[感]へりくだった気持ちで応答したり、肯定・承諾したりするときに、また、相手の注意を促すときに発する声。商人などが主に使う。はい。へえ。「―、さようでございます」「―、お待ち」】
2013-05-29 20:26:31@aizujin_k 「へい」は、「はい」「へえ」と同義で、ウィキの「はい」の用例でも【「口上をわすれるな」→「ハイかしこまりました」】とへりくだった応答になってます。
2013-05-29 20:30:06@murapyon71 「へい」の方が古いくらいかもしれませんね。何れにせよ、日本語の場合は副詞ではなく間投詞と考えた方がいいみたいで、だから意味なくハイハイと言ってしまうような・・・
2013-05-29 20:57:29【「武蔵」の語源】
スカイツリー
634mという高さの数字を決定するにあたり「634=むさし」、旧国名のひとつで、東京・埼玉・神奈川の一部を含む大規模な地域を指す武蔵国を連想とある。
http://www.tokyo-skytree.jp/archive/spec/
この「武蔵」の語源は諸説あって定説が無い。
こういう場合は言った者勝ちなので、僕もひとつ、本居宣長翁の「むさしといふわざ」を推奨する。
童べのしわざにむさしといふ物ありと、これは『五雑俎』の馬城の内容に似たりとある。『日本紀』に「城」を「さし」と訓るところあり韓語也、然れば「むさし」といふは馬城(むまさし)か?と。
馬城とは、馬を放牧する場所のこと。七世紀、大和朝は毛之国の一部を領有し、ここを武蔵とし、馬城(まき)、日本名牧を置き軍馬を供した。
宣長翁の説を転用すれば「馬城→むまさし→むさし→武蔵」と考えても無理は無いのかな?と。
参考:本居宣長『玉勝間 上』
武蔵の語源はよくわかっていないけど、七世紀に大和王朝が毛野国の一部を領有し武蔵とされた様。そうすると勅旨牧が置かれ軍馬の供給源にされたのをあわせて考えると、本居宣長翁説の「むさし」「馬城」説、「城」を日本紀で(さし)と訓むことから(むまさし)→(むさし)か?と同じでいいのかも。
2013-05-29 21:45:14@murapyon71 「むま」というのは中国語由来と聞いたことがあります。武蔵の語源の半分が外国語由来というのはなんだかなと思います。馬が外来だからしょうがないですが。
2013-05-29 22:01:46【「女の子」の「子」は、子供扱いか?】
そんんで今日はここにいったのですが、素晴らしかったです。(高齢女子会)http://t.co/TQk39wYSSR
2013-05-26 15:28:35