アレクサンダー・テクニーク教師Basil Kritzerさんのツイートまとめ
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そもそも演劇ではほとんどの場合「誰か」と関って演じている。技術を身に付けるのも、本番の準備をするのも、共演者や監督の存在がその場にある中で進んでいく。なので、細かい台詞や表現の技術を磨く過程でも、常に「パフォーマンスを捧げる相手」がいるとのことでした。そこを音楽家は忘れやすい。
2013-06-06 16:57:13聴いてくれていて、音楽を共有する「他者」がいない状況でひとりきりで「練習」をすることが多いので、音楽をするひとはプロアマ問わず、聴いてくれているひとや音楽の中身を「練習」から切り離してしまいやすいとのことでした。「練習」という言葉自体が他者との断絶を意味するところまで行きがち。
2013-06-06 16:58:50「いつでも、誰かを Invite して、音楽の意味を共有するために、御空きでもアルペジオでも『演奏』として取り組む必要がわるわね」と言われました。すごく納得。中3のときから10年以上、「練習」という言葉で「籠る」「断絶」をやってしまっていた。これから変えていきたいと思います。
2013-06-06 17:00:25『練習という言葉をやめて、すべて演奏にしよう』バジル・クリッツァーのブログ / 管楽器奏者のためのアレクサンダーテクニーク http://t.co/EwaiA8why6
2013-06-07 10:31:44@Ryuflat わたしはキャシー先生とのスカイプ後、そういば自分が「練習」っていう言葉の意味が抽象的すぎて中2くらいまでは正直よく理解できなかったのを思い出しました。練習って、すごく漠然としているんですよね。演奏は、具体的。
2013-06-07 12:26:13@Irivo_horn27 ひとりで練習しているときも、「その音楽を聴いてくれているひと」を思い、パフォーマンスするようにする、ということです。細かな技術的な取り組みをするときも、出している音はパフォーマンスの一環と意識する。
2013-06-07 13:11:23最近取り組んでいる、「ひとりで吹いているときも、技術的なことに取り組むときも、聴いてくれているひとのことを思い、音楽として演奏する」という方法。自分自身に対しても大きな揺さぶりになっています。「自分のこの程度の能力は聴いてもらうに値しない」という古くからの信念を刺激するからです。
2013-06-07 16:18:26実質的にはこのアイデアではるかに練習の効率が良くなりました。どんな技術的な問題も、「どう聴こえてほしいか」「どんな音楽なのか」というより大きな「枠」の中に収まり、技術という妄想の森のような世界に埋没しなくなるからです。でもずーっと抱き続けて来た信念を刺激するのでいまけっこう大変。
2013-06-07 16:20:50「聴いてくれているひと」や「空間にどのように響いて、どのように聴こえてほしいか」「音楽の中身」を思いながらやっていると、ミスや不安定なところが出るたびに、「こんなのじゃダメだ、ひとに聴かせられない。自分がやる意味がなう」というとーってもネガティブな思考が涌き上ります。
2013-06-07 16:22:43前から同じ事をしていても、いちどそれに自覚が生まれると、すごく気になってくる、前よりもっとやっている気分になってくる(実際は気付きが高まっているので減っている)、これアレクサンダー・テクニークのレッスンでしょっちゅう起きること。癖・習慣・信念のデカイのに当たると、なかなか大変。
2013-06-07 16:27:21「こんなのじゃダメだ、ひとに聴かせられない。自分がやる意味がない」というネガティブな思考・パターンを、これからどう「ケア」するかというところが、今後キャシー・マデン先生から学んでいきたいこと。
2013-06-07 16:29:48いまできることは、例の古いネガティブ信念が湧いたそのときに、アレクサンダーテクニークを使う=『頭を動けるようにしてあげて、自分全部が動けて、聴いているひとを invite して、音楽の意味を想って、吹く』という「新しいプラン」を使い直すということ。これで確実に変わってはくるから。
2013-06-07 16:31:31音楽家としての自分を常に損ね、ブレーキかけ続け、行き詰まらせて来た根本的な原因が、いま明確になってきた「こんなのじゃダメだ、ひとに聴かせられない。自分がやる意味がない」という古く・深く・強い信念だと思うので、それと本当に向き合うこれからは、とても大事な発見がつながっていくだろう。
2013-06-07 16:35:15ひとは内心、成功や幸福を恐れていることはよく知られていますが、同じように楽器がうまくなることも恐れているんだろうな。自分はそれに値しないとどこかで信じているから。
2013-06-08 00:31:49ひとによっては、 『なぜ上手くなりたいんだろう』 『わたしはなんのために演奏はしているんだろう』 という「問い」を浮かべておくだけで、いつもよりリラックスして手応えある練習ができるようです。 良さそうなら試してみてください\(^o^)/
2013-06-10 18:42:34『音程やタテのズレが直らなくて困っているみなさまへ』バジル・クリッツァーのブログ / 管楽器奏者のためのアレクサンダーテクニーク http://t.co/XyeYspMn62 ズレていることが分かったら、それだけで大いに祝福に値します!
2013-06-20 08:23:32下手なのがみっともないからうまくなりたい。うまくなるためには、練習しなきゃいけない。練習に自分を駆り立てるためにあの手この手で義務感を作り、義務を果たさぬ罪悪感を利用。 もちろんこれでガチガチに。なのでうまくならない。うまくならない怒りと焦りと罪悪感をまた練習に利用。
2013-06-21 01:01:01この最強最凶最悪の無限ループを始めたのが高校生のとき。 10年以上お世話になりましたが、そろそろお別れできそう。 やりたいことをやりたいときにやる。 それが練習ってことに、本気で理解し直せそうな予感。
2013-06-21 01:01:19『指がうまく回らなくて困っている方々へ』 http://t.co/YknKLdJkod ・息の吸い方 ・姿勢の作り方 ・肩甲骨でやっていること etc... 多角的に考えていきます。 バジル・クリッツァーのブログ 〜 管楽器奏者のためのアレクサンダーテクニーク 〜
2013-07-03 09:53:20「自分はなぜ、演奏するのか?」この問いを練習する一音一音に対し投げかけることを、あがり症、演奏現場での人間関係のストレス、楽しみでやっているはずの音楽になのに心身を蝕む自己否定感、演奏家としてのキャリアへの不安に悩んでいるひとはやってみるといいかも。答えは出なくていいから。
2013-07-23 22:13:28ほんとに、みんな、全員、とっても上手になれるといいですよね。過酷な長時間の練習に心身がついていかない繊細な人が競争やプレッシャーで潰されて「生き残った」ひとだけが上手くなるんじゃなくて、弱いひと繊細なひとももみんなすごくうまくなれるといいですよね。わたしが大事に思うのはそこかも。
2013-07-23 22:24:2219歳のとき、練習のしすぎ&自分にキツく当たり過ぎで腰痛になった。楽器が持てず、息ができないほどの。でもうまくなりたかったし、吹きたかった。一日の中で、たった5分だけ痛まずに吹ける吹き方を維持できる時間があった。状況的に、根性や努力では「もう不可能」になった。それが今につながる。
2013-07-23 22:27:37少なくとも音楽や演奏においては、成長や上達に自己否定は必要ない。しかし、自己否定は強いエネルギーをもたらすので、上達に便利ではある。これが厄介。自己否定エネルギーは排気ガス・副作用がある。その副作用に耐える「強さ」があるひとしか、結局は続かない。
2013-07-24 11:18:42で、これまではそういう「強さ」がない人間に対して届けられたメッセージは「お前は弱い」「お前はダメだ」「お前は諦めろ」「お前は甘えている」という類いのものばかり。でも、自己否定の副作用の毒に対する耐性が薄いだけで、決して怠慢なのではない。音楽への熱意や規律はちゃんと持っている。
2013-07-24 11:22:41さらによく見ると、自己否定が成長や上達に絶対必要だと思っていてひとにもそう言っている「上手くて成功しているひとたち」は、実は自己否定はかなり薄くて、ほんとのところ巨大な情熱を糧にしていることが多い。体力や気力が強靭なので、信じられない量の練習や努力をしているが自己否定は少ない。
2013-07-24 11:26:04