千坂恭二氏による美的国家としてのナチスと芸術

7
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ハイデガーにとってナチズムとは、国家創造の唯美主義だっという見方があるが、これはハイデガー的観点を別にしても、ナチスの行為的現実を芸術の範疇で捉えることは、予想以上の思想的射程を持っている。ベンヤミンあたりの「芸術の政治化」程度では対応出来ないのではないか。

2013-06-04 21:39:40
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ジャン・ジュネは、ナチスは泥棒国家だから、ここでは自分は泥棒にはなれないと日記に記しているが、これは個人的な芸術家に対するナチスの芸術の関係を語っていると読めるだろう。

2013-06-04 21:42:32
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ナチスは、その社会性や共同性の根拠を正義には置かなかった。彼らは「正しさ」よりも「美しさ」を、その共同性の基準としたとすれば、いかなる芸術もナチスには勝てなくなり、個々の芸術などはナチスには装飾的収集の対象でしかなくなるだろう。

2013-06-04 21:48:00
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

個々の芸術は、表現主義も未来派もタダイズムもシュルレアリズムも、ナチスには及ばないだろう。なぜならナチスはそれらを共同性において遂行したからであり、ここの芸術は、一人のジュネのようにコソ泥になるしかないからだ。

2013-06-04 21:56:36
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ジョセフ・キトリの『美的国家』は、芸術作品としての国家を考察したもので、それに関するハイデガーやユンガー、ナチスを解析したものらしいが、翻訳がない上に絶版らしい。探せば、農工学部と獣医学部が看板の大阪府立大の図書館にあったw

2013-06-04 22:04:26
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

多くの論者がいうように、T・マンにおいて芸術家の占める位置をユンガーにおいては戦士が占めている。このことは、芸術とファシズムについて考えるに際しての、またキトリのいう芸術作品としての美的国家を考える上で重要なアルキメデスの点になるだろう。

2013-06-04 23:38:58
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

おそらく現代では、正義や正しさを看板とした政治は行政にしかならないのだろう。それを打破する政治を確立するには正義や正しさと敵対するしかない。正義や正しさとしての普通国家に対する正義を否定する悪としての美的国家の内実はそこにある。

2013-06-05 00:05:28
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

美的国家としてのナチスについて考える場合、近代初頭のシラーの美的国家の構想論も看過出来ない。20世紀の美的国家は、ニーチェのいう「神の死」以後のシラー的な美的国家だったのだろうか。

2013-06-05 00:11:31
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

ところでナチスの国家構想についての研究はあるのだろうか。ナチスの統治政策や占領地の支配政策についての研究ならばあるが、ナチスの、まさに「第一(過去)」、「第二(現在)」に対する「第三(未来)」のライヒにおける国家構想は現実的にはどのようなものだったのか。

2013-06-05 00:16:47
千坂恭二 @Chisaka_Kyoji

N・ボルツ『批判理論の系譜学』(法政ウニベルシタス)によると、美学とは、神学の神無き代替であるらしい。この観点でいえば、ナチスの美的国家性が了解出来ると共に、日本が美的国家ではない神的国家たる所以を理解する一助にもなろう。

2013-06-05 16:19:46