『いばらの』十文字青

いばらの @i_barano

　足がすくむ。 24-23

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　口の中が渇く。膝が震えそうになる。回れ右をして、家に帰ろうかなと、つい考えてしまう。 24-24

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　そんなときにかぎって、視界の端のほうで小さなおじさんが体操をしていたりして、肩の力が抜ける。えみるんが物問いたげな三白眼で表情をうかがっていて、心配させたくないから、気をとりなおしたりもする。「早起きしたから、ちょっと寝不足なんだ。それだけ。」 24-25

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　地下鉄を降りて階段を上がったところで、無駄に容姿端麗な男が開いた扇子で口許を隠していた。「やあ、ヒヨ。」 24-26

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　堂々と無視してやったのに、千我曜全はかまわずついてくる。「いい朝だね。そうは思わないかい？　意外かもしれないけど、ボクはすべての時間帯の中で朝が一番好きなんだよ。ところで、きみは新妻笑るさんだったね。おはよう、新妻さん。笑るさんと呼んでもいいかな？」 24-27

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「きみとヒヨが幼馴染みだということは知っているよ。ヒヨの友だちはすなわち、ボクの友だちでもあるからね。つまり、ボクたちは友だち同士ということだよ。何でもボクに相談してくれていい。フフッ。こう見えて、ボクはあてになる男だよ。」 24-28

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「……この人、うるさい。」えみるんがたまらず呟くと、曜全は、ハッハッハッと楽しげに笑って、閉じた扇子で掌を打った。「たまに言われるよ。好意を抱いた人の前では口数が多くなってしまう癖が、ボクにはあってね。ボク一流の照れ隠しなのかもしれないな。」 24-29

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「あ、ヒヨ。今、この厚顔無恥な男が照れ隠しも何もないものだと思っただろう？　心外だな。ボクだって照れることくらいあるんだよ。本当さ。ボクがきみに嘘をつくわけがないだろう？　一片の虚言も毒針の一刺しとなりうるからね。ボクはいつも誠実さを旨としているんだよ。」 24-30

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　曜全がやかましいせいで、視線やら声やらが気にならなくなった。まさか、そのためにわざとやっているとか。ないか。曜全にかぎって、それは。 24-31

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　校門の前に、篠井多恵とかじまりこと鍛治田真璃子がいた。どうやら待っていてくれたらしい。「おはよ、茨野。」「おはようございます、茨野くん。」 24-32

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　思わず、おはよう、じゃなくて、ありがとう、と言ってしまいそうになって、慌てて口をつぐんだ。でも、それが素直な気持ちだった。「おはよう、多恵さん、かじまり。」 24-33

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「やっぱり、」多恵はいつものように手袋をつけている手で眼鏡の位置を直して、まばたきをした。「あたしの制服のほうがいいっぽいね。かじまりのだと、ぶかぶかだったし。」かじまりはうつむいた。「……わ、わたし、太いので。ダイエット、しないと……。」 24-34

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「太ってないと思うけど。かじまりは。必要ないでしょ、ダイエットなんか。今のままでいいんじゃない。」「ぼ、僕も！」かじまりに、笑いかける。できるだけ笑っていたい。友だちの前では。「今のままで、いいと思う。かじまりはかじまりのままで、充分以上にすてきだよ。」 24-35

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　かじまりは顔を上げて、口許をほころばせた。「……はい。」「さて、ここで立ち話もなんだし、」曜全が扇子をピッと立ててみせた。「そろそろ行こうじゃないか。」 24-36

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「あんたに指図される覚えはない。」多恵が冷たく言うと、えみるんが肩を震わせて、くっ、くっ、くっ、と喉を鳴らした。可笑しかったらしい。霊子さんも、にたぁ、と笑っている。 24-37

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　みんなを見まわして、一つ息をついた。「行こっか。」 24-38

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　一歩前に踏みだすと、次の一歩も怖くなかった。 24-39

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　狭苦しくて、たぶんそれなりに険しくもあるけれど、自分で選んだ道だ。 24-40

いばらの @i_barano

　僕はこの道を歩いてゆく。 24-41

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＜『いばらの』了＞