#元久二年 六月

元久二年六月十八日〜二十二日。鶴ヶ峰(二俣川合戦)に至る流れをまとめました。※808年後の当日の鶴ヶ峰の様子などは別途 二十三日の顛末を加え一応完成しました。
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源実朝 @m_sanetomo

という訳で、元久二年の六月に起こった通称「畠山重忠の乱」は一応の終焉を向えた。この事件の余波はその後も続き、同年の閏七月には私の暗殺計画が露見した事による時政夫妻の失脚平賀朝雅の殺害、八月は宇都宮頼綱が謀叛の疑いをかけられ出家隠遁するという出来事があったのだ。

2013-06-23 19:00:29
源実朝 @m_sanetomo

鎌倉にとっても私にとっても暗い思い出しかない元久二年の夏だった…。九月に入って、その半年前に完成したばかりの新古今和歌集が京から届いて少しばかり心の慰めになったのだがな。

2013-06-23 19:05:22

実朝さまのおっしゃるように、この騒動は結局元久二年の夏を通して、幕府の勢力交代が完了するまでまだ幾人かの血や涙を呑みながら続く。
そして、その幕府の形はついに頼朝さまに繋がる多くの源家の血を斬り……その後に百年続く鎌倉幕府を作り上げる。
幕府を創建した我らの世代が思いもつかない形で。

一滴の血の流れる先の、ひとつの番狂わせがいつか誰も押さえ切れぬうねりとなってゆくのだろう。後世から見た歴史と言うものだ。

私は見届けることのできなかった、
この時代のひとつの物語である。

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