山崎の戦い

山崎の戦いの経過と簡単な考察。
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7月2日

さき @masakishibata

さて、今日は山崎の戦いの日です。朝は見事にスルーしていましたけどキチンと調べたかったので、後でまとめて呟きます。天王山の戦いともいわれますが、主戦場が山崎なので『山崎の戦い』としておきます。

2013-07-02 12:02:41

大義名分というやつ。

さき @masakishibata

山崎の戦いにおける明智光秀の名目上の対戦相手は織田信孝です。ここが重要でして、これが「明智光秀vs羽柴秀吉」の図式だと織田家臣同士の内乱。そこで「織田信長の子」である信孝を総大将に据えることにより、「謀反人の光秀を成敗する」戦いとなるのです。大義名分というやつですね。

2013-07-02 12:28:06

両軍の兵力と摂津衆への対応。

さき @masakishibata

両軍の兵力ですが、羽柴軍本隊は約2万。高松城攻めには3万くらい動員していますが、毛利への抑えもありますし何より強行軍で長距離を移動していますので2万でも多いかも。対して明智軍は1万3千。ここに近江の軍が合流して約1万6千となります。

2013-07-02 12:28:30
さき @masakishibata

羽柴軍は本隊と書きましたが、これに摂津の池田恒興中川清秀高山右近らと信孝の軍が合流して最終的には約4万に膨れ上がっています。この兵力差がよく語られる光秀の誤算です。

2013-07-02 12:28:47
さき @masakishibata

味方に引き込むことに失敗した筒井順慶細川藤孝の動員を合わせれば、明智軍は1万4千くらい上乗せできました。そして、先に述べた摂津の諸将。それだけで1万近くの動員があるのですが、光秀は摂津方面への働きかけを一切していません

2013-07-02 12:29:31
さき @masakishibata

味方につかせずとも中立を保たせていれば羽柴軍の上乗せにはならず、もしかすると足止めになったかもしれない。この影響は筒井や細川よりも大きいかも。光秀の考えとしては毛利に釘付けの秀吉よりも、北陸から柴田勝家が戻ってくることを懸念していた。そのため、近江の平定を第一にしています。

2013-07-02 12:30:16

戦いの経過。

さき @masakishibata

戦いの経過は先日のヒストリアが分かりやすく図解していました。開戦は7月2日午後4時頃、明智方・伊勢貞興隊が羽柴方・中川清秀隊に攻めかかり、斎藤利三隊と高山右近隊も交戦。最初は明智方有利でしたが、羽柴方・堀秀政隊の到着で戦線は膠着

2013-07-02 12:44:47
さき @masakishibata

戦局が動いたのが、池田恒興隊と加藤光泰隊が円明寺川を渡って津田信春隊を急襲したことに始まります。その混乱で津田隊と前線の斎藤隊が壊滅。そこから明智軍は総崩れとなり、勝龍寺城に退却します。殿軍を率いた伊勢貞興は戦死し、戦局は決定的となりました。

2013-07-02 12:45:10
さき @masakishibata

しかし、羽柴軍も強行軍で兵が疲弊していることから追撃を断念。そのまま日が暮れ、決着は翌日に持ち越される・・・ものと思われましたが、その夜に光秀は勝龍寺城を密かに脱出して坂本に向かうところで落ち武者狩りに遭い、命を落としました。

2013-07-02 12:45:28

両軍の配置からみる戦術の推察。

さき @masakishibata

山崎の戦いの布陣図を元に各方面の両軍の戦力差を推測してみた。兵数は各主将が動員した兵の総計を元にしているので、実際にはこれより少ないと思う。

2013-07-02 18:39:42
さき @masakishibata

街道方面】戦端が開かれた街道方面は斎藤利三・伊勢貞興・溝尾茂朝隊7000に対して、中川清秀・高山右近隊4500が当たる。中川隊の行軍中を突いたことで明智方優勢となるが、羽柴方は壊滅しそうになるも後詰の堀秀政隊によって持ち直す

2013-07-02 18:40:01
さき @masakishibata

天王山方面】中川隊の側面を突くために天王山中腹を迂回してきた松田政近・並河易家隊2000に対して、羽柴本隊から羽柴秀長・黒田孝高・神子田正治隊が迎撃に出る。羽柴方の兵力は不明だが戦況的に互角だったそうなので多くはないだろう。

2013-07-02 18:40:16
さき @masakishibata

桂川方面】川を前にして防御が手薄だった津田信春隊2000に向かって、池田恒興・木村重茲・加藤光泰隊7000が渡河して急襲。津田隊は壊滅、ここから明智方は総崩れとなる。羽柴方の後詰には中村一氏隊が控える周到ぶりだが、それ以前に兵力差で押し切った。

2013-07-02 18:40:38
さき @masakishibata

明智方の布陣を見ると湿地の多い桂川方面からの侵攻はないものとして最小限の防備にし、とにかく街道とそれを見下ろす天王山を抑えることに徹している。思惑どおり街道方面は数で勝る状況を作って戦況を有利にしているのは、さすが明智光秀というところか。

2013-07-02 18:44:30
さき @masakishibata

対して、その隙を見事に突いたのが羽柴方。池田恒興隊が軍を進めるには不自由でリスクの高い湿地を抜け、明智方の一番手薄な場所を狙った。こういう采配は羽柴秀吉の得意とするところだと思う。

2013-07-02 18:45:16
さき @masakishibata

それに加えて羽柴方は街道方面に後詰を配して、苦戦に備えている。ここは戦力差がモノをいう場面であり、局所的に明智方が有利であっても最終的には数で押し込まれた形になるだろう。

2013-07-02 18:53:20
さき @masakishibata

両軍の戦闘での損害は拮抗しており、そういう意味では明智方は善戦した。しかし、撤退後に脱走兵が大量に発生し、勝龍寺城に残ったのは1000にも満たなかったとか。危険を承知で坂本に戻ろうとした光秀の判断も仕方ないところだろう。

2013-07-02 18:55:02

大和の大名(某番組)の影響について。

さき @masakishibata

筒井順慶と細川藤孝の動員兵力の計算を間違えていた。筒井が4500細川が3000、合計で7500しかねーわ。でも、筒井は与力大名を集めたら12000までは動員可能なわけな。あくまで最大やけど。

2013-07-02 21:09:46
さき @masakishibata

やっぱり筒井だけでも引き込んでおくべきだったんだよな。一応、畿内では光秀に次ぐ勢力なわけで影響力もあるし。京・近江・若狭・丹波に加えて大和まで押えられば十分に対応できたと思う。

2013-07-02 21:12:30