鳳翔の艦娘講座・山城さん編

帝国海軍扶桑型戦艦二番艦、山城のお話ですわね。
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鳳翔 @Housyou_kankore

それでは、本日も「鳳翔の艦娘講座」始めたいと思います。 いつもの様に拙い説明ではありますが、酒の肴とお聞き頂ければ幸いです。

2013-07-05 23:11:34
鳳翔 @Housyou_kankore

本日の艦娘さんは、扶桑型戦艦2番艦・山城さんです。

2013-07-05 23:12:16
鳳翔 @Housyou_kankore

金剛型戦艦の受領、そして弩級戦艦の登場を見て、日本でも弩弓戦艦を、と云う声は当然上がってきます。 しかも、建造当時は世界最強と呼び声が高かった金剛級ですが、次第に性能面で他国の新戦艦に抜かれていく事になります。 扶桑型戦艦は、これに対抗すべく設計・建造されました。

2013-07-05 23:18:16
鳳翔 @Housyou_kankore

基本設計は金剛型を流用しつつ、火力に重点を置いた設計となります。 そもそも主砲の選定において、35.6cm砲を使用する事にはなっていましたが、連装・3連装・4連装と複数の案が検討されました。 結局、重量の問題などから金剛型と同じく連装砲に落ち着きます。

2013-07-05 23:20:14
鳳翔 @Housyou_kankore

それらを踏まえ、排水量30600トン、速力22.5ノットとまとめられました。巡洋戦艦としては速度が遅く感じられますが、これは設計思想として速力を考慮されなかった為です。

2013-07-05 23:21:51
鳳翔 @Housyou_kankore

また、主砲については2連装を6基12門も積載する事になります。 これを、艦種に背負い式で2基、艦中央の煙突の間に1基、後方に1基、艦尾に背負い式の2基、と云う感じで配置されました。

2013-07-05 23:25:57
鳳翔 @Housyou_kankore

流石にこれだけの主砲を装備すると、もちろん重さの問題が発生します。 その為、舷側装甲を削る事になりまして、結果喫水線以下の防御不足が後に露呈する事になります。 また、設計思想的に日露戦争時代の近距離戦闘重視が抜けて居なかった為、水平防御力不足の問題も後で出てきます。

2013-07-05 23:29:47
鳳翔 @Housyou_kankore

そんな感じで、山城さんは1913年に起工、1915年に進水、1917年に就役をしました。 完成時は世界最大の戦艦で、なおかつ初めて排水量が30000トンを超える戦艦でした。

2013-07-05 23:32:06
鳳翔 @Housyou_kankore

同時期の英戦艦クイーン・エリザベス級やリヴェンジ級には火力で及ばない物の、米戦艦ニューヨーク級やネバダ級には火力で勝っていました。

2013-07-05 23:32:30
鳳翔 @Housyou_kankore

とまあ、就航当時においては最強の戦艦の呼び名が高かった扶桑級ですが、完成後に問題点が浮かび上がってきます。 簡単に列挙しますと、速力が十分に発揮出来ない、舵を切ると速度が大幅に低下する、主砲を射撃すると爆炎が完全隊を覆ってしまって艦橋構造物にダメージがでる。

2013-07-05 23:36:13
鳳翔 @Housyou_kankore

6基ある主砲のうち3番・4番が煙突を挟んで配置された為指揮が採りにくい。 等々、です。 このため、扶桑型として建造される予定でした伊勢さん・日向さんについては、そう云った問題点を設計段階で改良して、伊勢級として建造される事になります。

2013-07-05 23:38:20
鳳翔 @Housyou_kankore

さて、そんな感じで問題を抱えて就航した山城さんは、その問題点が判明する都度改装を行っていきました。 その為、かなり長い期間改装する事になりまして、本人がよく云っている「艦隊に居る方が珍しい」等と云われる事になります。

2013-07-05 23:42:41
鳳翔 @Housyou_kankore

1930年から1935年にかけて、山城さんは大改装を受ける事になります。 この改装で、機関・射撃指揮装置の換装、艦尾の15m延長、そこに出来たスペースに5番砲塔の上にあった射出装置の移動、さらには日本の戦艦で初めて12.7cm高角砲の搭載、等々です。

2013-07-05 23:46:24
鳳翔 @Housyou_kankore

この改装の結果、一緒に改装を受けた扶桑さん共々、能力を向上させる事に成功をして居ます。速力も結果的には24.5ノットまで上昇しました。 しかしながら、早い段階で改装が行われた結果なのか、他の主力戦艦と比較すると装置が旧式となり、改装は満足出来る物では無かったみたいです。

2013-07-05 23:48:13
鳳翔 @Housyou_kankore

太平洋戦争が開始されてからは、山城さんは1942年のミッドウェー海戦に主力部隊として参加しましたが、戦闘には参加しませんでした。 そして、艦これでは行える「航空戦艦」への改装ですが、ミッドウェー海戦で失われた空母戦力の穴埋めとして計画はされたようですが、実行はされませんでした。

2013-07-05 23:51:16
鳳翔 @Housyou_kankore

その後も待機任務は続き、練習艦として内地勤務が続きましたが、1944年になって戦況の悪化に伴い、出撃命令が下りました。 作戦はレイテ湾への突入、輸送船団を撃破し上陸部隊を援護、と云うものです。 作戦自体がかなり無茶な物でしたが、そうせざるを得ない程戦局は逼迫していた訳です。

2013-07-05 23:53:39
鳳翔 @Housyou_kankore

西村艦隊旗艦となった山城さんは、リンガ泊地から1944年10月22日に出撃します。 24日にハルゼー艦隊の攻撃を受けますが、栗田艦隊の方に向かった為その後の攻撃を受けずにスリガオ海峡に進撃します。

2013-07-05 23:55:39
鳳翔 @Housyou_kankore

そして、山城さん達西村艦隊は、レイテ沖のスリガオ海峡夜戦に突入します。 偵察段階で敵は数倍規模の大艦隊だと判明して居たそうなのですが、事情が許さず単独突入する結果となったそうです。

2013-07-06 00:00:39
鳳翔 @Housyou_kankore

戦闘は夜戦となりますが、レイテ湾突入1時間後に大量の魚雷攻撃を受け、姉の扶桑さんが被弾、右にそれます。その後、火薬庫に引火して大爆発を起こし、沈没してしまいます。 それでも山城さんは進み続けます。

2013-07-06 00:03:06
鳳翔 @Housyou_kankore

その後も続いた駆逐艦の攻撃で、山城さん自身も被弾。 更に、米戦艦と重巡からのレーダー照準射撃を受け、山城さん自身も応戦をします。 その時に西村中将は「我魚雷を受く。各艦は我に省みず前進し、敵を攻撃すべし」と指令を出します。

2013-07-06 00:04:55
鳳翔 @Housyou_kankore

その後も山城さんは命中弾と魚雷攻撃により、速度が低下、その後被雷により機関停止、更に火薬庫に引火して爆発を起こします。 その爆発を起こすまでの間、山城さんはずっと砲撃を続けていたそうです。

2013-07-06 00:06:32
鳳翔 @Housyou_kankore

爆発は艦橋をも崩壊するほどの規模だったそうです。 その後急速に艦は傾き、4時19分に沈没してしまいます。 これが、山城さんの生涯でした。

2013-07-06 00:07:35
鳳翔 @Housyou_kankore

山城さんの諸元ですが(大改装後です)、 全長224.94m、全幅34.60m、 基準排水量39130トン、速力24.5ノット。

2013-07-06 00:10:54
鳳翔 @Housyou_kankore

35.6cm連装砲を6基12門、 15.2cm単装砲を14門、 12.7cm連装砲を4基8門、 25mm3連装機銃を8基24丁、 25mm連装機銃を17基34丁、 25mm単装機銃を34丁、 13mm連装機銃を3基6丁、 13mm単装機銃を10丁。

2013-07-06 00:11:52
鳳翔 @Housyou_kankore

21号電探1基・22号電探2基、・13号電探2基をそれぞれ備えていました。 また、建造当時は明治・大正時代の戦艦に見られた様に、魚雷の水中発射管を備えていたそうですが、後に撤去されたそうです。

2013-07-06 00:12:53