<研究知見の社会還元はどうあるべきか?>のワークショップ記録

・日本社会心理学会第51回大会 ・ワークショップ6 ・研究知見の社会還元はどうあるべきか?−”社会と社会心理学”の微妙な関係− ・関連ウェブサイト http://www.team1mile.com/asarin/research/jssp51ws.html 続きを読む
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渡邊芳之 @ynabe39

@gsd9720 これは別に皮肉や嫌味ではなくて,そういう志向をとる時に「自分が社会心理学者である」ということはほとんど障害にしかならないのではないでしょうか。「間違えて社会心理学者になってしまったが,自分のやりたいことの土俵は別の領域にある」というような感じがします。

2010-09-21 10:40:34
渡邊芳之 @ynabe39

@gsd9720 そういうことは心理学の歴史,というか学問の歴史の上ではよくあることで,研究者は自分のやりたいことがやれる領域にどんどん流動していけばよいと思います。そのうえで残る人が「社会心理学が社会心理学である必要」を考えたらよいのでは。

2010-09-21 10:43:59
藤島喜嗣 Yoshitsugu Fujishima @gsd9720

@ynabe39 僕個人は、整理できていませんが、社会心理学が駄目だと思えない部分があっていまだにここにいます。かなり消極的ですね。社会心理学に何ができるのか、その辺に疑念を抱いている中で、まあ、心理学というせまい領域の中では役立つこともありそうだと思った次第です。

2010-09-21 10:44:26
藤島喜嗣 Yoshitsugu Fujishima @gsd9720

そういう意味で、社会心理学について楽観的に見ているわけでもないのです。このあたりの個人的文脈はなかなか表現できないで困っていたのです。

2010-09-21 10:45:44
藤島喜嗣 Yoshitsugu Fujishima @gsd9720

@ynabe39 あらためて自分が「自分は暫定的に社会心理学者である」と考えていることがわかりました。先生が「鏡」のお仕事をしてくださいました。ありがとうございます。

2010-09-21 10:47:43
渡邊芳之 @ynabe39

目的・対象・方法を学問のアイデンティティだと考えた時に,その3つともが他の特定の学問と同じであれば,2つの学問のうち力の強いものだけが残ります。社会心理学の目的・対象・方法のすべてがその「成功している領域」と同じであれば,あえて社会心理学を残す必要はありません。

2010-09-21 10:47:51
渡邊芳之 @ynabe39

逆に3つのうちひとつでも異なれば,別の学問領域として残る意味が生じます。目的と対象は同じでも方法が違う,というのが心理学の多くの領域が隣接する学と区別される大きな理由ですが,対象が違ってもやはり別の学問になります。

2010-09-21 10:51:30
藤島喜嗣 Yoshitsugu Fujishima @gsd9720

@ynabe39 仰るとおりです。で、それを確かめるべく、社会心理学の研究は他領域に持ち出してみないとなと思います。「持ち出す」というのは変ですね。自分で比較すればいいんですから。

2010-09-21 10:51:50
渡邊芳之 @ynabe39

また対象と方法が同じ,つまりやってることが同じでも目的が違うだけで別の領域,別の学問ということもあります。社会心理学が藤島さんの考える「特定の領域」と本当に目的・対象・方法を共有しているなら,社会心理学にこだわる必要はないでしょう。

2010-09-21 10:53:03
渡邊芳之 @ynabe39

@gsd9720 それはすごくわかります。アイデンティティというのはもともと「他個体との識別」ですから,社会心理学のアイデンティティを明確にするためには内部に閉じていてはダメですよね。他領域と競合することが必ずしも融合に向わないのもそのためです。

2010-09-21 10:54:44
尾見康博 @omiyas

@ynabe39 @gsd9720 もっといえば,アカデミズムの外側に流動してもいい。日本では難しいけど。雇用慣行や社会保障いろんなことが障害になってると思う。

2010-09-21 10:57:59
渡邊芳之 @ynabe39

ここからはひとりごと。自分が「なになに学者」であるということよりも「知りたい事実」を追求して「やりたい研究」のできる領域に移っていく方が重要,というのは反論の余地のない正論だと思う。その「領域」が学問ですらなくてもいい,という尾見の主張も正論。

2010-09-21 11:01:06
渡邊芳之 @ynabe39

ただその一方で,自分が現に「なになに学者」であるということが学部から大学院とかなり長い時間をかけて訓練された結果であることが,自分自身の研究対象への見方やアプローチに大きく影響していることも認めないといけない。心理学者は心理学者的なものの見方をするように訓練されている。

2010-09-21 11:03:22
渡邊芳之 @ynabe39

自分が「そっちが本来の土俵」だと思う他領域を見ている目は「心理学の目」であって,そっちの専門家が考えていることとは違うかもしれない。私はそのギャップを「科学哲学」について強く感じたことがある。

2010-09-21 11:04:51
尾見康博 @omiyas

@ynabe39 ひとりごとにつっこんで恐縮ですが,私もまったくそう思っています。私もかれこれ20年この業界に浸っていましたから,心理学の目線で見ることを取り払うのは,ほとんど不可能だと思ってます。

2010-09-21 11:06:09
渡邊芳之 @ynabe39

自分が専門とする心理学の方法論的な問題を考えると科学哲学について学び,科学哲学的に考える必要が出てくる。それで科学哲学を勉強していくと,自分の問題意識は心理学ではなく科学哲学のものなんじゃないか,自分は心理学よりも科学哲学の研究をすべきではないか,と思った。

2010-09-21 11:07:09
渡邊芳之 @ynabe39

ところが実際に科学哲学の人と接してみると「渡邊さん,そんなおかしな問題は心理学者しか考えないです,科学哲学者はそんなこと誰も考えていない」と一笑に付される,あるいは逆に「そんなこと科学哲学者は誰も考えなかった,心理学ってすごいですね」といわれる。まあ後者は皮肉かもしれないが。

2010-09-21 11:10:33
渡邊芳之 @ynabe39

結果として私は科学哲学という「本来の土俵と仮想したもの」と接することによって心理学者としてのアイデンティティを確認することになった。こうしたことを経験したのは30代前半くらいのときで,その後私は自分が心理学者であり,今後もそうであるということを疑わなくなった。

2010-09-21 11:12:59
渡邊芳之 @ynabe39

私のこの体験は一種の「挫折体験」であるのかもしれない。またこれが藤島さんの論じていた社会心理学と「ある領域」との関係に一般化できるかもわからない。ただ「他の学問との関係ではそういうことがあるんですよ」というだけの話として述べた。

2010-09-21 11:15:48
@peace_apple

今やっている研究が、何か大きな質的研究のひとつの変数だとすると、その研究が具体的に何の役に立つのか問うのはナンセンス?

2010-09-21 12:15:03
渡邊芳之 @ynabe39

@peace_apple 「役に立つ」ってこと自体が階層的でありうるから、個々は比較的つまらない役にたち、全体で比較的大きく役に立つこともありうる、とバスの中より。

2010-09-21 12:19:31
藤島喜嗣 Yoshitsugu Fujishima @gsd9720

遅れはせながら。仰るとおりです。社心でのWS06も一部はこの関心ですし、院生の将来にもいいのでは。RT @omiyas @ynabe39 @gsd9720 もっといえば,アカデミズムの外側に流動してもいい。日本では難しいけど。雇用慣行や社会保障いろんなことが障害になってると思う

2010-09-21 13:54:08
藤島喜嗣 Yoshitsugu Fujishima @gsd9720

@ynabe39 一連の独り言をみてしばし考えていました。僕個人に対しては一般化できるお話です。ありがとうございました。他の社会心理学者については分かりません。僕のような自己疑念を抱いていないかもしれないし、すでに克服したかもしれない。

2010-09-21 14:05:28
藤島喜嗣 Yoshitsugu Fujishima @gsd9720

僕の一連の発言の一部は、昨年の社心シンポでの亀田先生の話の影響を受けています。彼の自然科学に対する挫折経験の告白は忘れることができないです。そして、それでも彼が足の小指ぐらいでも社会心理学に力点を置いているところに何となく希望(?)も見いだしています。

2010-09-21 14:14:55
渡邊芳之 @ynabe39

@gsd9720 自分の人生にかかわることですし,簡単に結論が出るわけもありません。私も「心理学者をやめよう」とはさすがに思わなくなりましたが,心理学と自分との関係,それと自分の職や立場との関係などはいまだに答えの出ない問いです。

2010-09-21 14:47:35
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