- Abraxas_Aeon
- 3443
- 0
- 0
- 0
@MUMUMU4yyk 『反キリスト者』の新約聖書非難は、章句を拾っては非難するを繰り返す項目があります(汗。
2010-09-23 18:16:45@Abraxas_Aeon あ、それとバタイユどこまで送りましたっけ? 「この世で自分のなすべきことは書くこと、とりわけ逆説的な哲学を作り上げることである」 ここら辺送ったような送ってないような… 記憶が定かでない……
2010-09-23 18:38:49誤読防止にレトリックを工夫したつもりが、見事に怖れていた通りの誤読をされる脱力感。やはり、なるべくリテラシーは低いところに合わせていくか。リテラルに解釈してよ、とかは甘えなのかもね。
2010-09-23 18:42:30難しい問題ですね。想像もしていないような誤読をされることもありますしw RT @ikoishy: 誤読防止にレトリックを工夫したつもりが、見事に怖れていた通りの誤読をされる脱力感。やはり、なるべくリテラシーは低いところに合わせていくか。リテラルに解釈してよ、とかは甘えなのかもね。
2010-09-23 18:47:42一体、行間を読むなどということは滅多に成功することはなくて、と言うのも、読者が行間から読み取るものは、各々の関心や意見であり、それが筆者の文意を捻じ曲げることが常だからだ。しかし議論にあって、それは困るわけで。まあ、批判はよっぽどでない限り目を瞑るか。
2010-09-23 18:48:24誤読もまた創造的な一面があるのかも知れませんw RT @iwri 難しい問題ですね。想像もしていないような誤読をされることもありますしw RT @ikoishy: 誤読防止にレトリックを工夫したつもりが、見事に怖れていた通りの誤読をされる脱力感。やはり、なるべくリテラシー(後略)
2010-09-23 18:54:18誤読されてヘコむのは、自分の意見が誤解されるってこともあるんだけど、自分の文章力というか、読者を導く能力が乏しんじゃないかと思う時なんだよね。単に表現力の問題ではない。表現は誤解されても「強度」があればOKみたいなところがあるから。
2010-09-23 19:00:15ってゆーか、自分も意図的に誤読して自分の意見を述べるダシに使うことあるしな。ただ、「別解釈」という言い訳ができる範囲には止めている。そこが卑怯なんだけどw
2010-09-23 19:06:00それは言えてるかもですねw意外な発見があるかもしれない、極々稀な確率で、ですがww RT @ikoishy: 誤読もまた創造的な一面があるのかも知れませんw
2010-09-23 19:07:53「わたしの考えでは、文学とは本質的なものか、そうでなければ、なにものでもないものである。」 なんなんだよwって感じだ。
2010-09-23 19:08:50RT @ttt_ceinture: 「一人の女の不意の出現は、顚倒した夢の世界に属しているように見える。しかし、所有は、裸で快楽に溺れた夢の姿を、一つの寝室のぴったりとした現実の世界の中に投げ入れるのである。」(バタイユ「魔法使いの弟子」11節)
2010-09-23 19:09:07哲学って当たり前のことしか言わないとか言われる(事実そうだ)けど、とりあえず書いてみようかな。ニーチェの解釈の差異とかバタイユの好運・交流とか、そもそも個体化の原理に関わることだけど、個々人は根本的な差異を除きさることは不可能だということ。ジャン・ヴァールは以下のように言った。
2010-09-23 19:16:35「バタイユは私達に語り、書く。彼は意識している。そして彼が意識しているとき連続性は断ち切られる可能性がある。この点についてバタイユがなんというか知らないが、私には、ここにこそ現実の問題があるように思われる。連続性の意識はもはや連続性ではない。…が、それではもう話ができなくなる。」
2010-09-23 19:19:09@Abraxas_Aeon バタイユ伝からと文学と悪の序文あたりのピックアップを送りました。 文学と悪は言及してる作家に全くふれたことないのが多いので読むのに手間取ってますw
2010-09-23 19:19:39@MUMUMU4yyk 文学と悪は他人の本の批評ですからねw。バタイユ個人の思想を抜き出すのは確かに難しいですなw。
2010-09-23 19:22:19私は即座に彼に答えて言った、「なるほど、貴方の言うことは正しい、しかし、限界では、時として、連続性と意識とが接近することもある」、と。(バタイユ)
2010-09-23 19:23:42@Abraxas_Aeon が、バタイユが哲学の他に何からどう影響されてるのかわかるのが面白いです
2010-09-23 19:26:46何度か書いた話だけど、バタイユが交流に好運を賭けるっていうのは、ジャン・ヴァールに突っ込まれて返答したことと直接関わっている。好運を賭けずして好運の光をみることができるか、限界では時として連続性と意識とが接近することがある、それは賭けてみなければ解らない賭け事の如きであると。
2010-09-23 19:32:38