- Abraxas_Aeon
- 3446
- 0
- 0
- 0
他者との通路と連続の問題をプランク定数という言葉を織りまぜて面白おかしく水中都市という短編を書いちゃう安部公房
2010-09-23 19:34:56ってバタイユを引き合いに出しちゃったけど、結局は@iwriさんが@ikoishyさんにさらっといったことと意味的には同じことしか言ってませんっていうw。私も誤解・誤読とかされると、むしろ自分の文章力が乏しいと思ってしまうタイプですw。
2010-09-23 19:41:51RT @MUMUMU4yyk: 他者との通路と連続の問題をプランク定数という言葉を織りまぜて面白おかしく水中都市という短編を書いちゃう安部公房
2010-09-23 19:42:45@MUMUMU4yyk バタイユの文学論が面白いということだったら、バタイユ著作集の文学論とかも多分面白いんじゃないかな。
2010-09-23 19:50:04@Abraxas_Aeon iwriさんがさらっと僕に言ったところとは、ここでいいですか?>「意外な発見があるかもしれない、極々稀な確率で」
2010-09-23 20:03:24@ikoishy あ、そうですね、そこをさして言ったつもりです(汗。私がそこを誤読している可能性もありますがw
2010-09-23 20:06:25@Abraxas_Aeon 「そこを誤読している可能性」<いや、それを言い始めちゃったら無限後退に陥るのでw なるほど、だから「賭ける」というわけですね。
2010-09-23 20:08:08@ikoishy >無限後退 失礼しましたw。そうですね。あと、アイコイシャイさんが仰った、誤読もまた創造的な一面があるかもしれないというところも。バタイユに言わせると、自分は好運を賭けてこの文章を書いている、そこに好運を賭ける契機を見たら君も好運を賭けてくれとも。
2010-09-23 20:20:52しかし著作(内的体験)に「好運をかけた」結果、バタイユはサルトルの「新しい神秘家」のレッテル張りに遭って「五ヶ月の悪夢」に襲われることになったという話もあるけどね・・・。
2010-09-23 20:29:32@Abraxas_Aeon なるほど。「創造的な誤読」を「連続性と意識とが接近すること」として解釈されたわけですね。となると、この場合の意識は誤読者のもので、連続性は筆者のものになるということですか?
2010-09-23 20:31:53@Abraxas_Aeon 文学とは、結局最後には、自分の罪に服さざるををえない立場におかれているのだ。 ―ジュネを弁護したサルトルについてバタイユ
2010-09-23 20:32:43@ikoishy 「連続性」という言葉からして、この場合その言葉に何かを見出したということに関しては「相互」かと。「なるほど、そのように捉えることもできたか、でも私が言いたいことはそうじゃなかったんだ」とあとで説明を付け加えた場合、新しい発見も自分の意見も共有されるわけで。
2010-09-23 20:45:16@ikoishy 最初のジャン・ヴァールの引用と「個体」と関わりますが、個体同士は「非連続的」なわけで、ヴァールは「連続性の意識」と言ってますよね?ここで考えられているのは、恐らく非連続的な個体同士の間で連続的な(つまり共有されている)意識が持たれているということですね。(続く
2010-09-23 21:01:38@ikoishy うーん、なんか巧く説明できない自分がいる(汗。…ところがある個人が、自分の主張を語ったり書いたりするときは、その個的な考えを意識しているわけで、そうしたときは、「連続性は断ち切られている可能性がある」わけです。
2010-09-23 21:09:48@Abraxas_Aeon なるほど。ありがとうございます。なんとなく分かってきました。すると「連続性の意識」は共有されている間だけ存続する意識なわけですね。つまり、「連続性=連続性の意識」という区分けで考えてもいいんですよね?単なる「意識」とは違う。
2010-09-23 21:19:42@ikoishy ですです、下手な説明で申し訳ないです。あとそれに「加えて」なんですが、バタイユの場合この「連続性」ということに関して、人間存在が「どこまで同じ存在であるか=普遍的に共通している部分があるか」ということを突き詰めて、それを人々の間に意識化させようともしているかと。
2010-09-23 21:24:36私なんかは、バタイユの「結論」で終わらせてしまわずに、そこからSIハヤカワのコミュニケーション論に昇華させたいという思惑がある。これがうまいこと説明できればなぁと思うんだけど、なかなか難しい・・・。
2010-09-23 21:39:15@Abraxas_Aeon いえいえ。分かりやすいです。「呪われた部分」を考えたバタイユが、人間になった人間は、人間としてどこまで自明なのかを考えていたとすれば、それも納得できます。>「どこまで同じ存在であるか=普遍的に共通している部分があるか」ということを突き詰めて…
2010-09-23 21:39:42@ikoishy ありがとうございます。そこがバタイユが考えている「哲学の課題」の起点だと思うんですよ。ちなみに今回使わせていただいたのは澁澤訳の『エロティシズム』でした。あと遅れ馳せなんですが、バタイユボットなんてのもあるのでよろしければどうぞです。@G_Bataille_jp
2010-09-23 21:52:46@Abraxas_Aeon あ、そうだったんですか?>『エロティシズム』。読んだはずなのに、すっかり忘れているw もう一度読んでみます。ありがとうございました。
2010-09-23 21:59:24