『東京の都市計画と建築』に関する回答貰いました。 #AU #design
- juliogenome
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@juliogenome 本日もご機嫌麗しくなによりです。以前リプライしていただいた内容から『東京の都市計画と建築』としてツイートします。とりあえず BONNE NUIT JULIO-SAN !
2010-09-26 00:16:42@juliogenome『東京の都市計画と建築』東京の都市の形成は、江戸時代から今日に至るまで、急激な変化をともなっています。(1)
2010-09-26 00:26:59@juliogenome当時の家屋は、いわゆる『木と紙』を主体とする平屋が主でしたが、江戸の町を整備するにあたり、生活用水と水路を確保するために運河を残しつつ湾岸を埋め立てるという高度な土木技術も見受けられます。(3)
2010-09-26 00:34:51@juliogenome 明治を境に、「江戸」から「東京」に改められます。明治の前半は、明治政府によって招かれた外国人建築家達による西洋建築がつぎつぎと建てられてゆき、明治の後半になると、当時の西洋建築の技術を習得した日本人建築家達が活躍します。(4)
2010-09-26 00:40:45@juliogenome 大正にはいると、アメリカからフランク・ロイド・ライトやアントニン・レーモンドといった建築家が来日し、『帝国ホテル』のような歴史上重要な建築が建てられ、東京は、ほぼ完成しますが、1923年、関東大震災によって大きな被害を受けます。(5)
2010-09-26 00:45:39@juliogenome 昭和においても、戦前戦後を通して、東京はたゆまぬ変化を続けます。明治大正時代に使われてきた主な建築材料であるレンガは、鉄筋コンクリートに取って代わり、多様な発展を遂げてきました。(6)
2010-09-26 00:50:35@juliogenome この日本の建築史の歩みは、一見はなはだ西洋的と受けとめられがちですが、日本的な要素も常に存在しました。(7)
2010-09-26 00:53:39@juliogenome ジョサイア・コンドルの弟子であり、またフランス建築から多くの影響を受けた片山東熊(1954-1917)は、日本建築の大家である木子清敬からも、多くの建築思想を学びとっています。(8)
2010-09-26 00:58:57@juliogenome 20世紀を代表する建築家のひとりで、『帝国ホテル』を設計したフランク・ロイド・ライトが、日本文化愛好家だったことはよく知られています。(9)
2010-09-26 01:01:30@juliogenome ル・コルビジェの弟子だった坂倉準三も、自身の作品に日本建築の要素を取り入れています。(10)
2010-09-26 01:04:34@juliogenome 今日の日本人建築家の中で最も注目すべきひとりである安藤忠雄は、そのラディカルな鉄筋コンクリートの建築作品の中に、日本建築の真意をたくみに発展させています。(11)
2010-09-26 01:07:06@juliogenome 東京という都市は、その発展が非常に複雑なために、無秩序な印象を受けますが、実際のところ、今でいうイノベーションの連続であると同時に、伝統という日本的な要素の継続を常に意識してきた結果であるといえます。(12)
2010-09-26 01:10:30@juliogenome しかしながら、全く問題がないとは言えません。その中のひとつに、市民のための公園といったの緑地化計画が不十分ではないかといった問題は、やはり見直す必要があるように思います。(13)
2010-09-26 01:15:04@juliogenome 東京には、実は大きな公園が数多くありますが、現状における役割と機能については、疑問があります。(14)
2010-09-26 01:17:13@juliogenome 個人的には、さらに公園を増やすより、それぞれの公園の機能を高める方向にもっていくほうが効率的ですし、東京の狭い立地といった現状にもあてはまると思われます。(15)
2010-09-26 01:19:47@juliogenome 欧米化政策、関東大震災と第二次世界大戦後の復興と、常に困難を克服してきた東京は、世界でも類を見ない急激な変化を遂げてきましたし、いまや非常に多くの優れた建築家も揃っています。(17)
2010-09-26 01:24:58@juliogenome 次の世代が誇りをもって継承していけるような都市計画が描かれること。抽象的ですが、これを重要としてとらえ結びとします。(了)
2010-09-26 01:28:34