手話歌は手話言語の世界を豊かにしているか
@510_masa 聴者の手話歌好きなのにあわせたろう者の社交辞令的サービス精神発揮のろう者はたくさんいますよ。手話講座で手話歌を教えているろう者もけっこういるかもね。
2010-09-27 21:37:27手話歌の問題って、単語レベルで日本語に訳して語順はそのままの外国の歌を「日本語の勉強の一環」「日本を知るため」「文化交流」と銘打って、日本人を置き去りにして盛り上がられるようなもの。日本人として抵抗を感じるし、日本語じゃないし、日本のものじゃないし、日本の理解にはならない。
2010-09-27 20:19:50日本語の歌詞を日本手話に翻訳したサウンド(音楽)なしの、手話翻訳歌も美しい。パロディ版は楽しい。那須さんの「乾杯」の、伊藤政雄氏手話語り風の手話翻訳歌は傑作だった。
2010-09-27 21:56:23NHK番組の手話講座の運営指針そのものを抜本的に見直さない限り、手話歌の問題だけを取り上げても堂々巡りになる可能性が高いと思います。時間がかかると思います。QT @tonchan8: 日本語の歌詞を日本手話に翻訳したサウンド(音楽)なしの、手話翻訳歌も美しい。
2010-09-27 22:05:05@oikairomeus そうですね。手話歌に関しては不毛な議論、堂々巡りですね。確かに仰る通りです。
2010-09-27 22:12:42歌詞のみを手話言語に翻訳したものを「手話翻訳『歌』」というのですか。手話言語の世界には「歌」なるものは存在しないとした方がすっきりしませんか(笑)。QT @tonchan8: 日本語の歌詞を日本手話に翻訳したサウンド(音楽)なしの、手話翻訳歌も美しい。
2010-09-27 22:03:15@oikairomeus 手話翻訳歌という語もまた誤解を生みそうですね。手話言語を用いた芸術はあると思うのですが、それを何と呼ぶか…。
2010-09-27 22:19:43いいえ。手指日本語の広がりですね。RT @510_masa: @tonchan8 手話歌にもさまざまな表現があり、いろいろな楽しみ方がある。これは手話の言語としての可能性の広さも示しています。この可能性をわざわざ限定する必要性はないのでは?
2010-09-27 22:24:50「浪曲」や「ユーカラ」を調べれば、手話言語の世界をより豊かにする何かが見つかるかもしれません。米内山さんはね、アチコチに首を突っ込むんじゃなくて、こういうことで頑張ってほしいんですけどねぇ。QT @tonchan8: 手話の韻を踏んだ手話詞はすてき。
2010-09-27 22:10:30@oikairomeus 私も思います。米内山さんに手話詞のジャンルを確立して欲しい。舞台に立つろう俳優は手話言語を使った芸術性の高いものを創ってもらいたいです。
2010-09-27 22:32:56同意‼ RT @Darknight_owl: 手話歌について、日本語対応手話しか使えない聾者もいるとか、コミュニケーションは多様性があってよいという意見がツイッター上であるようだが、そもそもの問題はそこにはないということがわかっていない。
2010-09-27 22:41:41@tonchan8 韻律。そうですね。韻律、流れ、動きから伝わってくるものがその言語の言語らしさを作っている。言語表現そのものの核にあるものでしょうか。
2010-09-27 21:54:59@ishikawakz そうそう。手話言語には手話の音韻があり、手型や位置、動きの組み合わせで、美しい韻を出せるのです。それにNMS(手指以外の文法的動作)やCL、ロールシフト等を入れると無限の表現ができるのです。わたしにはそのセンスがありませんが。
2010-09-27 22:49:02@tonchan8 どうやら『手指日本語の普及=日本手話の衰退』と考えてみえるようですが、僕は日本語対応手話と日本手話は共に発展していけるものと考えています。逆に言うと、日本語対応手話を拒否することは日本手話の衰退につながると考えています。
2010-09-27 23:00:04@510_masa そもそもの発端は手話歌かと思います。何でそういう論法になるのか理解に苦しみます。
2010-09-27 23:07:27@510_masa 何度も繰り返しますが、これで最後にします。日本語対応手話は日本語の仲間です。音声日本語を目に見える形で表現したものです。手指日本語と言うべきものです。そういう意味で言語のひとつと主張されるのは結構です。手指日本語と手話言語は別物です。それだけです。では。
2010-09-27 23:17:21