高田崇史氏による「河童の話」

高田崇史さんによる、河童についての一連のツイートと、丸山天寿さんとのやりとりをまとめました。
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高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

【河童の話】その41。ここでクイズ(?)ですが、日本史上で最も有名な河童は誰でしょう? 答えは「天照大神」。 平安時代の藤原道綱母の『蜻蛉日記』の中で彼女は「今ぞ知るかはくと聞けばきみがため 天照る神の名にてこそありけれ」と詠んでいる。

2013-08-15 05:34:49
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

【河童の話】その42。ちなみにこの歌の現代語訳は、「今ようやく知りました。かはくという神は、あなたのために空を照らす天照大神だったのですね」となり「かはく」に「乾く」と「河伯」を、「天照る」に「空が晴れる」と「天照大神」をかけている。

2013-08-15 05:36:23
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

【河童の話】その43。このように当時の貴族たちの間では天照大神も「河童」として認識されていた。そうなると素戔嗚尊も猿田彦命も、おまけに天照大神も河童で「人」がいなくなってしまうが、まさにその通りで当時は貴族だけが「人」だった。我々庶民は等しく「鬼や河童」に分類されていたのである。

2013-08-15 05:46:36
丸山天寿 @tenjumaruyama

【河伯】ー今日は体調が良いので、高田先生とは違う視点で少し。中国の「河伯」は河川の神。水神となり竜王に姿を変える事もある。黄河の河伯は「憑夷」という名で人間の頭に魚の体をし、黄河の水底に棲んでいて、地上に現れる時は人間の姿で二頭の竜または朱色のたてがみの白馬に乗って現れるという→

2013-08-15 07:42:56
丸山天寿 @tenjumaruyama

【河伯】2-中国の名前の付け方には一定の法則があり、「伯(または孟)、仲、叔、季」がそれぞれ「長男、次男、三男、四男」を現す場合が多い。(実力伯仲はここから)。河伯は河の周辺を支配する長の意味で「かはく」の呼び方が和語に変換された時に「皿がかわくと弱い」の伝承が出来たようだ。→

2013-08-15 07:44:35
丸山天寿 @tenjumaruyama

【河伯】3-中国の河伯は「河伯娶婦(よめとり)」の伝承を残し、長い間、人身御供を取り続けた。美人をよこさなければ洪水を起すと人々を脅す。日本の河童が子供を攫うのはこの伝承ほ踏まえているのではないか。それと戦ったのが「西門豹」や「二郎神君」で、いずれも治水の神様として扱われている→

2013-08-15 07:46:08
丸山天寿 @tenjumaruyama

【河伯】4-中国の河川の洪水は日本人には想像できない凄まじいもので、その恐怖は計り知れず、古代日本では(抵抗できない恐怖の対象として)最高神に例えられる存在だったのではないか。中国から九州(西日本)の庶民に伝わった河伯伝説は、日本に大河がないために矮小化されてしまったのだと思う→

2013-08-15 07:48:05
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

@tenjumaruyama なるほど……。ぼくも、日本で河童が河伯と呼ばれていた頃は大きな力を持っていたのではないかと考えています。それが段々と力を失って「河の童」となってしまったのではないかと。但し「童子」となっても「酒呑童子」のようにそれなりの力はあったとは思いますが。

2013-08-15 08:09:08
丸山天寿 @tenjumaruyama

【河伯】5-平安期に日本に来た中国人が瀬戸内海を見て「おや、日本にも河があったのか」と言ったそうだ。(日本のは全て川で)河伯の怖さを日本の庶民には説明するのが難しく、様々な例え話をしているうちにその姿や性格も複雑化していったのだと私は思う。(河伯以外の他の地域から来た河童もいる→

2013-08-15 07:50:34
丸山天寿 @tenjumaruyama

【河伯】6-西遊記に登場する沙悟浄も、本来中国では神の一人で、あのような姿はしていない。日本で独自に定着したもの。そもそも西遊記の三蔵法師も本来は頑丈な体格の大丈夫(でなければあんな過酷な旅は出来ない)。某番組で綺麗な女優を使ったので、そのイメージが定着しつつあるようだが。→

2013-08-15 07:52:10
丸山天寿 @tenjumaruyama

【河伯】7-私は伝説を集めているが、九州の河童と東日本の河童は明らかに性格が違う。日本に渡来した時代や方法が違うので当然だが。水辺に住んだ人々の生活様式の違いから、河童の伝承が様々な姿に形を変えたのではないか。ちなみに現在、古代黄河の氾濫の話を書いているので、続きは本編で(笑)

2013-08-15 07:53:36
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

@tenjumaruyama おそらく東日本の河童は古来の「河の童」「山の童」で、九州の河童は「オレオレデイライター」で最新の武器や道具を身につけていたのでしょうね。

2013-08-15 08:15:51
丸山天寿 @tenjumaruyama

お早う御座います。今、河伯の擬人化に苦労しているところで…これ、面白い考え方ですね。このネタ使わせて貰って良いですか?@clubtakatakat  九州の河童は「オレオレデイライター」で最新の武器や道具を身につけていたのでしょうね。

2013-08-15 08:19:01
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

@tenjumaruyama いやいや、ご自由にどうぞ。但し責任は取れませんが(笑)

2013-08-15 08:28:53
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

【河童の話】その44。平安時代の日本の人口は約500万人といわれている。その中で五位以上の殿上人、いわゆる「人」と呼ばれる貴族はせいぜい150人だったろうという。つまり残りの約499万9850人(99.997%の、我々の祖先たち)は全員が鬼や天狗や河童や妖怪だった。

2013-08-16 06:03:07
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

【河童の話】その45。伊勢神宮の入り口、五十鈴川に架かる宇治橋のたもとには大勢の河童たちが棲んでいたという伝承がある。あれだけ大きな川で河原も広いし「五十鈴川」というからには当然、鉄も採れただろうし、そんなこともあったかも知れないとぼくは漠然と思っていた。

2013-08-16 06:04:58
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

【河童の話】その46。ところが以前に伊勢に行った時、地元の方から「大昔、あの橋のたもとには大勢の子供たち(浮浪者)が住み着いていたので、橋を渡る時には参拝客がお金や食べ物を放ってあげたんですよ」と聞かされた。ああなるほど、と納得した。話がつながる。そして昔の人たちは優しかった。

2013-08-16 06:05:50
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

【河童の話】その47。「河童」は実在していた。ところが河童を「妖怪」──架空の存在にしておかなくては都合の悪い人々がいた。河童の実在を認めてしまうと自分たちが彼らに対して行った悪行が暴露されてしまうからである。その悪行とは、もちろん「河童」たちの財産の不当な掠奪だ。

2013-08-17 09:03:23
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

【河童の話】その48。被害者は河童だけではない。鬼や天狗や妖怪たちも同じだ。彼らの財産(鉄や土地)を掠奪した朝廷は「彼らは人ではないから」と言い始めた。自分たち「人」は、いわゆる「人でなし」には何をしてもかまわないという貴族的な思考で、彼らの存在を無視することにした。

2013-08-17 09:04:57
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

【河童の話】その49。河童や天狗たちは、ぼくらと何一つ変わらぬ人間でこの世に暮らしていた。小説やマンガという手段で(愛情を持って)彼らの話を書くことは素晴らしいことだ。しかし学問上から、その全てを「妖怪」──想像上の生き物、の一言で片づけてしまうと歴史を誤ってしまう。

2013-08-17 09:06:11
高田崇史@club-TAKATAKAT @clubtakatakat

【河童の話】その50。だから、本当の彼らの姿を知ることや実在を認めることが長い間不当に虐げられてきた鬼や河童や天狗たちに対する鎮魂・供養の第一歩になると思うのである。 夏休み&お盆特集(?)【河童の話】終わり。 (この場に書けないことがまだたくさんあるけど、取りあえず終わり)

2013-08-17 09:07:07