- L_O_Nihilum
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だからスヌスムムリクはときとしてテロコヤスキンよりドエスムムリクとして目に見えたりするw
2013-08-10 02:14:42芸術家の大衆性を抜け出す暴挙は、芸術家のエゴであるとともに 大衆の強度の無さに対する彼なりの怒りや叫びでもある。スクミズじやないんだから名前じやなくて作品を見ろ!というw
2013-08-10 02:15:42そして自ら空回りしているから哀れで仕方がない。大衆が強度に対して不寛容となったこと、記号、情報の波のなかで己の感性を失い露頭で退屈を淀みにして返すニュクスの子供達に、理解させようとするのが、あろうことか感性ではなく、「言語ゲーム」だっていうのが、ね!!! >RT
2013-08-10 02:18:52まー、言っちゃいかん気はするのだけど、 『強度』とは過度的な印象の集合乃至その収斂離散のその総合であるのだから、人がその強度を感じてない、=強度は「無い」ていう風に言われるべきだったり、するんですがwww
2013-08-10 02:20:09でも、そこまで言うほど、「個」に限るもんでしょうか、感性て。 まーそうだとしてもそういうからには痕跡として僕自身にゃあ当の『強度』はあるんでしょうさwww
2013-08-10 02:20:50@L_O_Nihilum 気になったので確認しておきたいのですけれど、貴方の定義する「言語ゲーム」って具体的に何を指したものなんです?
2013-08-10 02:21:57作品を見れる人とは、Pの作品だから凄いではなく、こんな演出できるなんてさすがPになってほしいな。権威という教会を鵜呑みにせず、作品というゴッドと僕らのサシノ対話、そろそろ作品受容の宗教改革、解放を始めないと。
2013-08-10 02:23:32@L_O_Nihilum イデオロギーの伝達のための道具としてアートを語る事を言っているのですか?アートに対する批評全般に対して言っているのですか?
2013-08-10 02:24:36@knm_mtym_2 批評全般、ではないので前者でおおむね正しいです。というのは、藝術全体に対する批評全般、ではなく、寧ろ当のアーティスト自身が、批評を作り出すことが藝術を主張することだ、テリトリーウォーズこそが藝術だと考えているケースがあるためです。
2013-08-10 02:28:30だめだこれじゃちゃんと説明できてない てかもういっちょ説明が要るかもしれない てなわけで前この話をした自分のまとめをさがしているがめっかんない
2013-08-10 02:29:10【シューニャリアーナ】御宅哲学論考~無色本 ~私たちはどのように見られているか~【俺を見てくれぇ~!】 http://t.co/AOpPmJK3ee めっけた
2013-08-10 02:30:18イデオロギーって言う時のイデオロギーって概念の大きさによって説明が変わってくるんだけど、例えば藝術のテリトリーの縄張り争いに新しい概念と言うか、メルクマールというか、ジャンルというか、そういうのを作ること、権威を作ることをもイデオロギーって言うなら、自分の言う意味に近づく
2013-08-10 02:32:05でも「イデオロギー」謂うたとき、その思想っていうのが国家の話だったり批評全般、だったり、当思想がいう所の対象となる大きい枠組み全般に関する話(たとえば「批評全般に対して」だったり「国家に対して」だたり)の系であるなら、僕の意味の言語ゲームの枠からは遠ざかる。
2013-08-10 02:33:38僕が批判したのはまとめ中の…もう、名前出さないつもりだったけどまとめに出てるから確認しちゃってくだちい、こういうやり方のことです: 『オタクはハイコンテクストの集積の上に立っている。我々(=美術)の業界もそうである。だから、オタク文化は藝術に認められるべきだ!』
2013-08-10 02:35:32そしてそれをつくる場としての言語ゲーム。このまとめの下になってる先のまとめで議論してる別の批評さんが言ってる『グリーンバーグとかド・デューヴとか読めば?」とか言ってる時の、この時の言語ゲームの意です
2013-08-10 02:36:44アートという言葉で質問されたので改めて答えなおすと、;『アートを扱ったり、価値を付けたりお金を付けたりする』業界への”イデオロギー”伝達のための道具としてアートを語ること(あるいはそう語るところにおいての当アートのインスタレーション) てのが僕が言う意味での言語ゲームっす
2013-08-10 02:40:14だから要するに、良くM.T,先生とかA.H.先生とかがしょっちゅう作ってる概念とかそれを扱ってる場とその思想の総体の事ですよ(笑)!!!!
2013-08-10 02:42:17@L_O_Nihilum 自分の定義するイデオロギーはこちらに近いですね。国家・思想家・文化人類学者等で、アートの体系的な知識を学んでいない人間が、アートの主目的である真理(普遍性)の追求とは別の領域で、アートへの批評を通して持論を補強しようとしている場合を想定しました。
2013-08-10 02:43:17『AZM「何が現代美術か、何がゲームかは、お前らが決めることじゃない。MTは現代美術と呼ばれる。以上。」』 ↑こういう言語ゲームですよ 鑑賞者おいてけぼりの、その場の人間の文脈にしかワカラン宇宙人語の遊びの事ですよ!
2013-08-10 02:43:27@knm_mtym_2 例えば「ドイツ・イデオロギー」だとか、一種のナショナリズム的なイデオロギー批判、的な、ある種全般化された対象、大きな対象相手にした思想としてのイデオロギーの意、と僕は解釈したわけですが、そこまで大きな国家論…あっ(察し)
2013-08-10 02:46:06芸術家とはどこまでも狼なのだ。つまり、ノモスとは相容れない他者である訳だ。だから、僕は巨匠という名の軛を施すだけで、彼の牙に首を曝す社会の無防備さが理解出来ない。狼は社会の「良き」友人ではない。獣、敵なのだ。それを努々忘れぬように。
2013-08-10 02:47:27@knm_mtym_2 …ちょいと再検討すると、僕が最初に言った方…藝術家自身の作る場としての言語ゲームおよびそのかぎりでのイデオロギー…と僕は言いましたが、人によっては(てか先のM.T.の例なんかだと)その両方の意味でのイデオロギー性を帯びて観えます…(;・ω・)
2013-08-10 02:47:49例えばMTにおおきくかかずらってる批評家てか語り部の岡田斗司夫なんかもknmさんの言う意味でのイデオロギストとしての側面があって、てかそっからMTの思想は接ぎ木されてる部分がある おたく・イデオロギー、としての第一世代の貴族オタクのイデオロギー。
2013-08-10 02:49:22