Links ist mir ein liebes Wort http://t.co/fgwZS538ll これはいいものを見つけた。1971年といえば、彼がミュンヘン大学へ移るころだったはず。
2013-05-05 01:33:18「1968年はまだ現代史におけるしっかりとした地位を確立していない」的な議論は例えば10年前から相当に進んでいるにしても根本的には今でもそうなのだろう。
2013-06-05 01:57:491968: The World Transformed に載っている地図は The State of the World Atlas から引っ張ってきたものらしい。
2013-06-29 00:57:27Sozialphilosoph Peter Furth im Interview: „Die 68er-Revolte hat eine Wächtergeneration... http://t.co/nO4qIEIo6g おお、こんなものが。
2013-07-25 13:23:37「私がたいへん残念に思うのは、マルクーゼ、レーヴェンタール両先生が、非常な違いがあるのに、全体主義という概念を、異なった体制の包括項目として、使われたことです」
2013-07-25 20:08:45FUに関するニッパーダイの言葉の中にSenatorやWissenschafssenatorというのが出てくるが、これはベルクマン、ドゥチュケ他『学生の反乱』の中に出てくる「ベルリン・モデル」の評議会にあたるものだろうか。
2013-08-06 00:13:11シュピーゲル:ニッパーダイ教授、あなたはベルリン自由大学を去られます。学術評議会への別れの手紙の中であなたが嘆かれているのは、大学の状態が極左の教化を通じて「持続的に悪化」していること、そして「大学の学術的成果が落ちぶれ」ているということです
2013-08-06 01:37:41このあと試験制度(だと思われる)への言及があるのだが、ここで「オットー・ズアー研究所のヴィンクラー氏とシュヴァン氏」という名前が出てくる。知れべて見た感じだとハインリヒ・ヴィンクラー氏とアレクサンダー・シュヴァン氏(故人)と思われる。後者の方は奥さんがかなり有名なようだ。
2013-08-06 02:31:51これは、これは興味深い。「ヴィンクラーは、ヴェトナム戦争に反対するアメリカの学生運動に遭遇し、これを「多元主義的、自由主義的」と称讃しつつ、ドイツのそれを「不寛容、教条主義的」と切り捨てた」 http://t.co/rt3ETyLUsp
2013-08-06 02:42:53ブロッホ夫妻がデンマークのドゥチュケ一家を訪問するなどー(1971)。ピクニックなどでの外出でこういう深い椅子に座るという行為に若干の憧れを持つむしざわ。 http://t.co/39jauWOfCZ
2013-08-07 21:50:12ニッパーダイが「大学の同僚でありSPDの仲間」として挙げている面々は、歴史家ハインリヒ・アウグスト・ヴィンクラー、政治学者のアレクサンダー・シュヴァン、神経薬理学者のヘルムート・コパーなどなど。
2013-08-10 00:45:27