『ラッセンとは何だったのか?』 出版記念 いま、ここからのラッセン 実況ツイート
- misonikomioden
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原田の言うように、解読を保留し、作品それ自体の強度でそれを見ようというもの、これはすごい事で、今までの評価をひっくり返すことだ
2013-08-29 21:23:58大野「近代の美術は非常に特殊だ。近代以前の美術はインテリアアートだといえる。ギャラリーや美術館にアートを観に行くなんて特殊だろう。 どこかの空間に美術作品が合わせて置かれていたのであって、それを切り離したのが近代。
2013-08-29 21:26:11ヒロ・ヤマガタについては、郷土作家(ただし凱旋)として美術館にコレクションに収蔵される理由が用意されているという意味でラッセンと異なるのか〜。海外での評価もずいぶん質が違うようですね。勉強になるなあ。
2013-08-29 21:26:34どういうファンシーが好きなんですか? 原田「ファンシー好きですし、ラッセンも好きですが、好きって言ってしまうと、そこで好きだから語るんでしょ?嫌いだからディスるんでしょ?ってことになってしまうので、保留している
2013-08-29 21:27:51大野「趣味の話でなく、言説化しなくてはいけない。 なんでもかんでもアートになり、フラット化してしまった中、どういう風に論理を作り上げていくかしかない
2013-08-29 21:29:14速水「ラッセンはまだ質が良いイルカの絵だから批評の対象になる。 文学では、ラノベ、携帯小説が出てきてだれでも書ける状態になり、質の悪いものが溢れている。そして批評家はいるのだが、それを無視して市場でそれが売れ、買う状態が出てきた。
2013-08-29 21:32:44そのような文学の状態もアートであるのではないか? つまり誰もがアートを作り、質の悪いアートが出てきて、そして買われるという
2013-08-29 21:34:34大野「アート界隈は焼け野原になってもよいのではないか? 結局、市場に絡めとられないでかたちでどうアートするかどうか、したいかどうかでなのではないか?
2013-08-29 21:37:33原田『岡本太郎の問題にもつなげておきたい。彼は「うまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」と言っている。 岡本太郎当時のラッセン的な市場と戦っていたのではないか?コンテンポラリーアートはそれが逆転した状況なのかもしれない
2013-08-29 21:45:49大野「アートも評価経済。誰かが良いと評価することで決まる。 しかしそれはどこでもそうで、エウリアンに声をかけられ、その営業トーク内で評価されていくことだってある。
2013-08-29 21:47:57その評価は、私的に経験したことをその文脈に結びつけ評価する。 しかしそれに優劣をつけることはできないし、それで私は良いと思っている
2013-08-29 21:51:13斎藤「山本太郎はヤンキーか? 彼の反原発運動はある時点で思考停止=反知性主義だ。しかしヤンキーは絆重視で反体制運動はせず、体制強化・地域コミュニティの強化をするのだが、その点で新しい現象
2013-08-29 21:53:43アウトサイダー・アートについて、それをコンテンポラリーアートと捉えるか・捉えないかについて、 区別しちゃいかんとも言われるが、マーケットの問題から見た場合、区別すべきだと思う。 彼らはコントロールできないので搾取の対象となってしまう。
2013-08-29 22:00:30速水「ヤンキーはイルカの絵を買うか?私は買わないという立場。 これは思考実験というか、今日の話のアンチとしてだしてみた。 日本には階級と文化がはっきり結びついておらず、ヒップホップも慶応SC出身のクレバがハマるわけで。
2013-08-29 22:03:53大野「日本の戦後美術教育は、個性と自由を重視するあまり、モダンからコンテンポラリーになるにあたり変化した知識の部分はかなり軽く扱われた。
2013-08-29 22:05:26学校で図工教育を受けるわけだが、作り手でなくほとんどの人は見る側に廻る。 その点で教養としての美術の見方が必要だ。学校教育だからこそ学ばなくてはいけない
2013-08-29 22:06:01ラッセン本が出る前、Twitterで諸々話題になっていたが、それとは別にラッセンを見に行きたいと、ラッセンの絵を前にして感動したというツイートがあった」→会場笑
2013-08-29 22:09:54