渡邊芳之先生ynabe39の「「○○を選択しなかった場合に存在した社会」というのは単純に「いまの社会から○○を取り去ったもの」になるわけではない。」

「○○は電気がなければできない」のは実際そうなんだけど,それはわれわれが「選択してきたこと」なんだよね。自然法則のようなことではない。 by 渡邊芳之
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渡邊芳之 @ynabe39

千の風になって。

北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39

渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日本の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。
http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之

渡邊 芳之 -帯広畜産大学-
http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html

 

渡邊芳之 @ynabe39

「○○は電気がなければできない」のは実際そうなんだけど,それはわれわれが「選択してきたこと」なんだよね。自然法則のようなことではない。

2013-09-20 17:56:15
渡邊芳之 @ynabe39

同じように「金がなければ大学に行けない」のだって実際それが現実なんだけれども,それはわれわれの社会が「選択してきたこと」なんだよね。現にそうでない社会はある(あった)し,それを選択しなかったわれわれの社会を想定することもできる。

2013-09-20 17:58:44
渡邊芳之 @ynabe39

「○○を選択しなかった場合に存在した社会」というのは単純に「いまの社会から○○を取り去ったもの」になるわけではない。

2013-09-20 18:05:07
渡邊芳之 @ynabe39

それこそ「もし電気の時代を選択しなかったとして現在ありうる社会」というのは「いまの社会で急に停電した時に起きるような状態」とはずいぶん違うはずだ。

2013-09-20 18:07:40
渡邊芳之 @ynabe39

そういう「現状の現実はたしかにそうだけどもしそうでなかったらどうなっていたか」というイマジネーションはもちろん「非現実的」なんだけど,いまはそういうイマジネーションがあまりに抑圧されすぎていると思う。

2013-09-20 18:11:30
渡邊芳之 @ynabe39

いま原発があって原発がなければ電気が足りないという状態もアプリオリではなくて「われわれが選択したこと」で,その選択に基づいて電気を使っているから原発がなければ電気が足りないのだ。

2013-09-20 18:20:42
渡邊芳之 @ynabe39

もし原発によって安価な電気が供給されなかったならわれわれの社会はこんなに電気に依存していなかったかもしれない,と考えるのはまったくふつうのことだと思う。そういった考えまで抑圧する「現実主義」にはあまり共感できない。

2013-09-20 18:22:12
渡邊芳之 @ynabe39

「○○がなくなると○○によって可能になった××が不可能になるから○○をなくしちゃダメ」というのはトートロジーみたいなことで,主張しても情報量の増分がないと思う。

2013-09-20 18:28:12