マタイ受難曲(BWV 244)の自由詩部分について
しかし、私が”どこかに”埋葬するのであれば、中間部「イエスが私の中でとこしえに安らぎを得ますように」と噛み合わなくなってしまうので、このような訳にすべき、とのことである。
2013-09-21 02:47:16勿論その解釈でないと、「世界よ、出て行け、イエスを入れさせよWelt, geh aus, lass Jesum ein!」の訳も意味不明になってしまう。(私の内から)俗世よ出て行け、そこにイエスが入られるのだ、ということだ。
2013-09-21 02:50:37世俗カンタータのことをweltliche Kantateと言ったりするように、このWeltは「俗世」の解釈で間違いないだろう。
2013-09-21 02:52:17おそらく、直訳だと最も誤解を生みやすいナンバーなのではなかろうか・・・訳の質が問われる。これもまた、自分自身ずっと若林訳で見ていたためずっと誤解していた(勿論、若林訳の直訳的な部分は意図してのことなので悪訳だと言いたいわけではない)
2013-09-21 02:55:15しかし、このselbstを「私のうちに」と捉えて良いものなのだろうかという疑問は残る。通常の用法ではないがこれは3格なのだと考えられなくもない。しかし「私の内に」と言いたいのであれば、せめて「in mich」とか別の表現を使うような・・・
2013-09-21 02:59:20補足になるが、「イエスの身体を自らのうちに取り入れる」という構図はいわゆる聖体拝領の発想に通ずるものがあるだろう。つまるところ、ソプラノのIch will dir mein Herze schenkenなどと類似性がある。
2013-09-21 03:05:52Nun ist der Herr zu Ruh gebracht
今や主はお休みになられた。
わがイエスよ、お休みなさい
私たちの罪が主に負わせた苦難は終わったのだ。
わがイエスよ、お休みなさい
おお、聖なる亡骸よ
見てください
私は咎めと後悔のあまり嘆き悲しみます。
この身の堕落があなたをこんなにも苦しめたのですから。
わがイエスよ、お休みなさい
生きているかぎり
あなたの受難に数限りない感謝を捧げましょう。
こんなにも、あなたは私の魂の救いを思いはかってくださいました。
http://www.youtube.com/watch?v=WA4ETmUO92A
Wir setzen uns mit Tränen nieder
涙して私たちは跪き
墓に入られたあなたに呼びかけます
どうか安らかにお休み下さい
お休み下さい、苦しみ抜いた身体よ
どうか心地よくお休み下さい
あなたの墓と墓碑は
不安に満ちた良心の
心地良い枕
魂の安息の場になるでしょう
そこでこの眼はこの上なく満ち足りてまどろむしょう
埋葬したところからだったね。カイアファたちがピラトのもとを訪れる。イエスの弟子たちが死体を墓から持ち去って『三日後に復活するだろう』っていうイエス自身の予言がさも本当のことであったかのように言い出すのを防ぐため、番兵を置いてくれと要請する。
2013-09-22 00:53:15この部分カイアファたちのセリフは合唱で、『三日後に復活するだろう』の部分は上昇系の『復活』を示すと思しき音形で書かれている。全体としてはこの『三日後に復活するだろう』というのを否定する内容なのだが、見様によっては、この部分が「復活の予言」を直接述べている重要な部分だ。
2013-09-22 01:00:00ピラトは番兵を出して、墓には岩で蓋がされる。聖句としてはここで終了である。この部分に続くテキストはもう”復活”についての記事なので使うわけにはいかないから、ここで終了になる。
2013-09-22 01:05:28これも見立ての問題だが、まず「苦杯をあおり」「十字架を共に背負い」「イエスを葬った」バスが「憩い」を述べる。続いて、イエスの「苦痛」と「忍耐」を歌ってきたテノールがその「終結」を述べる。アルトは最も直接的に「Buss und Reu」とアリア歌詞へ言及する内容になっている。
2013-09-22 01:31:09同様に書くならば、「捕らえられ」「鞭打たれ」「十字架につけられ」そして亡くなったイエスに対し「咎めと後悔」を以って"嘆く"アルト。「愛の心から」「弱いものと罪深いものすらも救」ったイエスに対して「感謝」と「自らの心」を捧げるソプラノ。これらに合唱の「Gute Nacht」が交わる
2013-09-22 01:47:22というわけで、このレチタティーヴォは、一言ずつではあるが、これまで各独唱者が歌ってきたアリアの”総括”の意味合いでもって捉えることができる。
2013-09-22 01:48:37そして"鎮魂歌"の最終合唱(正確には用語としては違うけれども)。もっとも中心となる主題の「泣き崩れ、ひざまずく」感じは実に見事。
2013-09-22 01:54:22一方で、この曲の核心部分になるのは中間部「あなたの墓と墓石が、憩いの場所と憩いの枕になりますように」の箇所に思われる。特に該当する既存の解説は見つからないのだが、この「墓」の表現はMache dichにいう「自らを墓として」の「墓」と捉えて考えてもよいはずだ。
2013-09-22 02:05:12これもなんの確証もないのだが、「Ich will Jesum selbst gegraben」の旋律と「Soll dem ängstlichen Gewissen ein bequemes Ruhekissen」の旋律もどこか似ているような…少なくともリズムは一緒だ。
2013-09-22 02:07:53この解釈でいくならば、終曲のメッセージは、「私たちの中で安らかにお休みください」の意味になるだろう。こう考えるのが、全体としての一貫性が見えてくるように思う。
2013-09-22 02:11:14Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen
来なさい、娘たち、ともに嘆こう
見なさい ―誰を?― 花婿を
彼を見なさい ―どのような?― まるで子羊のような
おお罪なき神の子羊よ
十字架の上で屠られた方よ
見なさい ―何を?― 彼の忍耐を
最後まであなたは忍耐を貫かれた
たとえどんなに辱めを受けたとしても
見なさい ―どこを?― 私たちの罪を
全ての罪をあなたは背負ってくださった
さもなければ私たちは望みを失っていた
彼を見なさい、愛と慈しみから
十字架の木を自ら背負われる
私たちを憐れみ下さい おお イエスよ
「来なさい、共に嘆こう」 「愛しい花婿が、まるで子羊のようだ。罪なくして屠られる」 「私たちの罪のために、忍耐を貫かれた」 「愛と慈しみから十字架を自ら背負う」 「私たちを憐れみたまえ」
2013-09-22 02:23:44