吉本隆明論 #吉本隆明

吉本隆明の思想についてメモしていきます。
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クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

倫理の存在論 http://t.co/92fakYXkLo:反抗者とは、抑圧者に顔をむける(dreese face a' l'oppresseur)そのただ一つの動作によって、生命を擁護し、隷従と虚為とテロルに対する戦いに身を投じる者のことである。(カミユ『反抗的人間』)・・・

2013-12-09 15:20:50
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

殺傷力のある攻撃をしたわけでもない人々の精いっぱいのシュプレヒコールを「テロ」と言ったり、自分のツイートを批判する人間を「クズ」とい言ったり、この「国」の政治家も、正義を振りかざす「市民」も、自分が抱える「関係の絶対性」の前では、従順なる「僕」のようだ。自分も決して無縁ではない。

2013-12-08 19:53:39
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

人間は、狡猾な秩序をぬってあるきながら、革命思想を信じることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。しかし、人間の情況を決定するのは関係の絶対性だけである。( 吉本隆明):この言葉は、まだ生きている。

2013-12-08 19:41:55
吉本隆明 @Voice_YOSHIMOTO

自分の専門としていることに 自分は影響されていないと 思っているかもしれないけど、それは大嘘です。 何かをやって、それが自分のものになっていたら、 その人は必ずそういう人間になっている。 それは美点としても弱点としても 自分はそういうのになっているよ、 ということです。

2013-12-02 20:43:00
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

↓ おお! メルロ=ポンティと竹内敏晴・・・<眼と声=耳>の心的現象(構造=位相としての脳の知覚化)を論じて欲しいなぁ〜

2013-12-02 20:12:17
内田樹 @levinassien

『知覚の現象学』『見えるものと見えないもの』『行動の構造』など院生のころ以来開いたことのないメルロー=ポンティ本をさくさくと読みながら、竹内敏晴論を書いているなう。ああ、メルロー=ポンティはほんとにかっこいいなあ・・・

2013-12-02 19:29:50
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

倫理の存在論 http://t.co/92fakYXkLo:では、<臨界の倫理>もしくは<限界の倫理>とは、どんな場面で発生する<倫理>なのか?・・・

2013-12-01 16:25:13
メルロ゠ポンティbot @merleaupontybot

視覚は思考の一様態とか自己への現前ではない。それは、私が私自身から不在となり、存在の裂開――私が私自身に閉じこもるのは、その極限においてでしかないのだ――に内側から立ち向かうために贈られた手段なのである。『眼と精神』

2013-11-30 20:04:33
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

倫理の存在論 http://t.co/92fakYXkLo:「顔」が、「人を殺す」という臨界の場面で、殺す側の「倫理的なためらい」を呼び起こす様子を、内田樹は大岡昇平の『俘虜記』(1948年)の中に見出している。・・・

2013-11-30 19:52:32
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「有機体はそれぞれの流儀にしたがって死ぬことを望む」という文章を読んで、私はすぐに吉本隆明の『老いの流儀』(2002年)を思い浮かべた。「死」にも「老い」にも、人間には「流儀」が必要なんだ、とその題名からの影響で漠然とした感想を抱いた・http://t.co/92fakYXkLo

2013-11-30 10:25:12
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

しかも「顔」には、「口」(唇)とはちがった独特な<心>の表現をすることが可能な「眼」という<精神的なベクトル体>がある。「眼」は「眼差し」や「視線」で方向を指し示す<意志>(志向的な意識)を表現することができるのだ。・・・http://t.co/92fakYXkLo

2013-11-29 20:34:30
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「眼差し」や「視線」を感じさせる「眼」という存在は、人間にとっても他の生物にとっても、5億4300万年前の三葉虫の出現以来、「見るもの」と「見られるもの」への存在の分岐が「食べるもの」(捕食者)と「食べられるもの」(獲物)への存在の分岐として生物史的なエポックを画した、・・・

2013-11-29 20:33:09
メルロ゠ポンティbot @merleaupontybot

眼差しは存在のあらゆる種類のヴァリエーションを呼び起すものなのだ。『世界の散文』

2013-11-29 20:04:33
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

↓ もちろん「未来」にもなれない。「現存在」・・・

2013-11-29 15:22:41
メルロ゠ポンティbot @merleaupontybot

身体は、必然的に「ここ」にあるのと同様、必然的に「今」実存している。それは決して「過去」となることはできない。『知覚の現象学』

2013-11-29 14:04:30
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

本当の「自己責任」と「自己肯定」が可能になるのは、この根源的な「虚無」を核心とした「自己存在」の<倫理性>だ。この倫理性は、誰にも転嫁することはできない。転嫁しようにもニーチェの永劫回帰のように、最後は自分のところに帰ってくる倫理性・・http://t.co/LiuKQnUqHK

2013-11-28 17:26:20
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「存在の倫理」について(4)http://t.co/VGvC8Ovf70:「あ」という内蔵感覚的な心的発語が内包する「開示的な存在性」(「あらゆる自然存在からの開示性」と「あらゆる自然存在への開示性」をコトバによる<存在の始まり>と捉えてみる。すると、あらゆる言語の始まりに、・・

2013-11-27 21:22:49
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

この「人間の『存在の倫理』」という観点から行うほかないと思います。(吉本隆明『超「戦争論」(上)』2002年)・・・吉本隆明の「存在の倫理」について(3)http://t.co/4aaDtzlC0a

2013-11-27 17:13:46
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

「人間の『存在の倫理』」というのは、自分の存在の意義を自問するという能力をもった人間だけがもつ、生命だとか実存だとかに関する倫理である、というよりほかに仕方がないものだと思います。僕らが、「法」とか「政治」とか「社会」とかの倫理性というものを相対化するとしたなら、(吉本隆明):続

2013-11-27 17:06:41
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

倫理の存在論 http://t.co/92fakYXkLoこの「いやな感じ」は、他者が「私」に向って揮(ふる)う抑圧的なテロルに直面したときに感じられるだけではない。それよりもむしろ、「私自身」が「正義のテロル」の執行者であるときにこそ、切実に感知せらるるのである。(内田樹)・・

2013-11-26 20:55:05
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

【イリュージョン】触覚や味覚や嗅覚など他の感覚もそうだが、聴覚にもちゃんと、多種多様なイリュージョンがある。感覚器への物理的な入力の通りに知覚されない現象をイリュージョンと呼ぶのなら、日常生活はイリュージョンに満ちている。(柏野牧夫『音のイリュージョン』2010年) #吉本隆明

2013-11-22 18:21:02
大江昇 @TKDOMO

ずっと反復する音を聴いていて、聴こえてくるものが変成するのは、自分の感受性の変成の反映。言語概念からの知見による認識の変成(ギャップも)を心の問題と考えたのはラカンと吉本隆明くらいなのかな…両者は去勢後とそれ以前という対象の違いだけみたいな感じ…『母型論』や『心的現象論』。

2013-11-22 10:39:36
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

改:あらゆる聴覚像や視覚像(意味志向的な指示表出=他 者関係的な受容作用)と《錯合》することが可能になる。(吉本隆明「聴覚と視覚の特異性」『心的現象論』:注M) #吉本隆明 #心的現象論

2013-11-11 17:32:02
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

改:<身体>の時空性から知覚意識が構造的(脳構造的)に疎外され、あたかもそれ自体で成り立つかのような<仮象>の時空性を獲得することになる。こ の抽象的な仮象性は、その<概念>(価値志向的な自己表出=自己関係的な了解作用)の抽象度に応じて、(吉本隆明「聴覚と視覚の特異性」:注M)続

2013-11-11 17:30:33
クマの『論点』 #みんくま草 @greenminkuma

再:(吉本隆明「聴覚と視覚の特異性」 『心的現象論序説』)← 改:<多様化>し、<遠隔化>し・・・つまり人間が狩猟時代に身につけていた自然感覚(原感覚)は、《意識》の純粋化(自己言及性→意識のベキ乗化→抽象化)を媒介として、(吉本隆明「聴覚と視覚の特異性」:注M):続

2013-11-11 17:29:09
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