@inu06 さんのクッキークリッカー物語
1)わたしとマリーンは双子の兄妹として生を受けた。父は遠方の町まで名の知れたクッキー職人で、母はそのころすでに珍しくなっていたけれど、なくなった訳ではない、魔女を生業としていた。母はわたしたち二人を産んだことで命を落とし、父は文字通りその腕でわたしたちを育ててくれた。
2013-09-19 23:34:172)父の一族はクッカーという姓を持ち代々クッキー職人の家であった。父の母、つまりわたしたちのグランマの焼くクッキーも非常においしいく、わたしのなかにもその血が流れていることを誇りに思っていた。うまく焼けるものだと思い込み、初めてクッキーを焼いてみたのが確か九つの時だったかと思う。
2013-09-19 23:38:213)それは全く悲惨なものだった。黒く焦げ、口に含むとなぜか海藻の味がした。やさしい父もグランマももちろんマリーンも、クッキーには厳しかったのもあるが手を付けてはくれなかった。当時わたしは考えを口にするのがとても下手で「のろまなマリア」「阿呆のマリア」という綽名さえついていたのだが
2013-09-19 23:42:054)やはりわたしが出来の悪い娘だから、クッキーまで出来が悪いのだ、ととても悲しい思いをした。マリーンはわたしと真逆の娘であった。母譲りの黒髪はゆたかで、すこしウェーブがかかっていて美しかったが、きつい編み込みにしているのでやたらと量が多く見えた。すこし近眼で眼鏡をかけているので
2013-09-19 23:45:005)目つきは鋭く見えた。私の父譲りの麦の穂のような色の髪と、下がった目じりとはまったく違う。内面はさらに違い、彼女は非常に頭がよかった。わたしに話しかけてきた人たちは最初は良くてもこちらがうまく話せずにいるとすぐ詰まらなそうに去って行ったが、マリーンのもとへは沢山の人が常に居た。
2013-09-19 23:48:406)わたしは賢いマリーンに怒られるのが怖くて、常に父に纏わりついていた。父は私が上手く喋れないのにかかわらず、やさしく頭を撫でてくれ、マリアの笑顔は秋の麦畑が風で揺れたようだ、と褒めてくれた。だがその父もクッキーの評判の高さから昼夜働きづめでわたしたちが成人する前に世を去った。
2013-09-19 23:57:167)そのころから、マリーンには良くない友人が増えていった様だった。彼女の口元には寂しいような、歪んだような笑顔が貼り付いていたが、わたしにはどうすることもできず、ただクッキーを焼いていた。クッキーは最初こそ大失敗で、次も上手くいったものではなかったが、
2013-09-19 23:59:558)初めのものよりは若干ましに仕上がった。家の裏に捨てたものをアライグマが食べているのをたまたま見かけたのだ。わたしの初めてのお客様は彼らとなった。最初は捨ててから随分経ってから仕方なしのような風情で現れた彼らが、徐々にクッキーを待つようなそぶりでいたことは忘れられない。
2013-09-20 00:02:4410)さらに焼き続けること数回、鉄板を取り落して腕に大きなやけどをしてしまったこともあったが、初めは父が、次いでクッキーにはとくに厳しかったグランマが口にしてくれた。身内だから食べれる程度だな、という苦笑いはついたけれどわたしは嬉しかった。
2013-09-20 00:04:4711)喋るのも下手で、何をやっても阿呆やのろまや、と言われていた私でも、クッキーだけは焼けば焼くほど上達していったのがうれしかった。そのころまだ生きていた父が、お前はこれを伸ばしなさい、と言ってくれたのは本当に私の生涯の宝物のような言葉になった。そしてついにマリーンも
2013-09-20 00:07:1112)わたしのクッキーを食べてくれたのだ。あの気難しい彼女が!「まあ、おいしいんじゃない」その言葉に私は飛び上がらんばかりに喜んで、ぎゅっと彼女を抱きしめてしまったので。彼女は随分驚いたようで、わたしの腕をふりほどいた。一瞬のち、しまったという顔をして、彼女は言った。
2013-09-20 00:09:3713)「……ごめんなさい、貴方は私のことなんて、好きじゃないと思っていたから」驚いて、という声は擦れて聞き取れないほどだった。「嫌いなわけない」わたしはゆっくりと、震える言葉を紡いだ。伝わるように、うまく口にできるように祈りながら「たった一人のねえさんだし、いもうとだもの」
2013-09-20 00:12:5414)「なにそれ」彼女はおかしい、という雰囲気で噴き出した。わたしは焦りながら「でも、うまれてきたときには、どっちの髪もくりいろだったから、わたしもまりーんも見分けがつかなかっておとうさんが、だから、わたしも、まりーんもねえさんだし、いもうと」
2013-09-20 00:15:2415)焦れば焦るほどどんどんばらばらになっていくわたしの言葉に呆れたのか、彼女はわたしの唇に黙れの形に指を置いた。わたしは諦めてそのとおりに口をつぐむと、彼女は言った「そんな話、初めて聞いたわ。そうねそれならどちらが姉かなんて、分からないね。わたしたち世界にたった一組のペアね」
2013-09-20 00:18:4816)「それとね、さっきのクッキー、塩をもう少し入れてみたらどうかしら」わたしはきっとその通りにすると言って彼女の手を握った。マリーンは賢いから、きっと間違いはないと思っていたし、その時も少し増した風味がチョコチップに合って、クッキーは少しだけおいしくなった。
2013-09-20 00:24:3717)父が死に、わたしは本格的にグランマの元でクッキー職人になるための修業を始めた。たくさんの粉をふるうこと、クッキー生地を捏ねること。主に力のいる仕事はすぐにわたしがやることとなった。もとより阿呆のマリア、勉強は好きではなかったので進学の意思すらなかった。ただ、マリーンは
2013-09-21 00:10:5618)彼女は次の学校に進むべきように思われたし、学校の先生など周りの人々は当然のようにしていた。グランマさえ、父の残した多少の額はあるので、心配しないようにと告げた。だが、彼女の答えはそれに反したものだった。「私はクッキーは作れないけど、グランマとマリアの手伝いをするわ。」
2013-09-21 00:13:3519)ああそのとき、彼女の真意に気づいていたならば! だが私は喜びに震え、彼女の手を取った。彼女は家の持つ小さな畑に見たこともすらない麦を育てた。曰くこれは非常にクッキーに合う麦である、これを混ぜればきっともっと美味しくなると。わたしは疑うことすらせず、喜んでそれを挽きさえした。
2013-09-21 00:16:5220)それは、クッキーシードと呼ばれていた。クッキーはますます評判を呼び、近所の人々のみならず村に用事のあった遠方の人が少し遠回りをしてまでわざわざ買って行ってくれることもあった。わたしとグランマはそれを喜び、より一層のクッキー作りに精を出していた。
2013-09-21 00:26:2621)マリーンはクッキー作り自体には手を出すことはなかったが、祖母の古い麺棒を見かねて新しいものを買ってきたり、拙いものであったが自動で粉を捏ねる手を模した機械を作ったり、また腱鞘炎に効くという薬を持ってくるなどわたしたちにはとても良くしてくれた。
2013-09-21 00:30:0822)腱鞘炎の軟膏は、透き通って白く、よく伸びる薬で、マリーンは自らの冷たい指にとり、そっと私の手に塗りこんでくれた。薄荷の匂いが鼻の奥で薫り、わたしはどうしてかとても悲しいような、取り返しがつかないような気持ちになったが、そんなことは到底上手に言えないから黙っていた。
2013-09-21 00:32:1023)グランマなどはあるとき、わたしにだけ聞こえる声でそっと呟いたのだ。「マリーンは、あの子は父親が死んだときも涙さえ流さなかったのに、なかなかどうして、優しい子じゃないか」と。わたしたちはとてもうまくやっていたし、クッキーも美味しかった。その年の冬はそのように明けて、
2013-09-21 00:34:38