反差別運動への批判と、反差別へのコミットをめぐって
- crowserpent
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この話はすでに http://t.co/pNSwhA9CnV を中心に何度か書いたけれども、十分に論じきったという実感も、十分に説得できたという実感もないので、まだしばらく繰り返しておきたい。
2013-09-24 02:13:24解放を実践するためには、衝突しがちな2つの「差別論」を止揚する方法を探さなければならないというのに、現状では、被害者そっちのけで(あるいは被害者すらを巻き込みながら)2つの「差別論」を信奉する勢力間でヘゲモニー闘争が起こっている。
2013-09-24 02:19:58具体的には、「しばき隊」と「ヘイトスピーチに反対する会」だ。どちらも片方だけでは限界を抱えた「差別論」を信奉し、自分の半身を攻撃するかのようにもう片方の「差別論」の支持者を根絶やしにしようとしている。どちらも「あっちがわるい」「あっちが先に攻撃した」と、もはや調停は困難な状況。
2013-09-24 02:25:44しかも、解放をめぐる2つの重要な「差別論」が衝突している重大な事態だというのに、それを「野間vs.反野間」のように個人の問題へと争点が矮小化してしまっている場面があまりにも多い、とぼくには見える。
2013-09-24 02:30:33あるいは、一部の行動様式を捉えて「ヘサヨ(vs.反ヘサヨ)」のように粗暴なレッテルを貼って揶揄しつつ、われわれの「差別論」(のみ)が正しいと思い込もうとする場面があまりにも多い、とぼくには見える。
2013-09-24 02:38:38「野間のせいだ」というのも「ヘサヨのせいだ」というのも、どちらも同じ穴のムジナだということになぜ気づかないのか。個人に還元されるような次元の問題ではないというのに。
2013-09-24 02:42:13もはや事態が紛争へとエスカレートしてしまっている以上、目の前の人物の行動様式が耐え難いということもあろう。片方は差別語を振り回し、片方は運動を妨害するような構図が、相手方への攻撃を「正義」だと認識させてしまう。その「正義」は、2対のうち片方しかない未完成な存在だというのに。
2013-09-24 02:46:362つの「差別論」は、論理的には、本来、必ずしも矛盾するものではない。単に、それぞれが採用しがちな方法論が衝突しがちなだけ。したがって、周到にすり合わせをしさえすれば、両立することはできるだろうし、さらには統合したりする智恵がきっと見つかるはず。ぼくはそう信じている。
2013-09-24 02:51:22金先生は難しい話に持ち込もうとしているけれど、私はノイホイの「知恵遅れは死ね」の一言でもうだめだ。同じように鶴橋で在特会に向かって「レイシズムはクソだー」「在特会は悔い改めよー」と叫んだとしても、「あっちと一緒にすんな」と言い続けたいと思う。
2013-09-24 02:52:05.@fudesakisanzun 愚かな。問題そのものが難しいというのに、なぜそれをぼくやノイホイ個人のせいだと矮小化してしまうのか。なぜ立ち止まって考えないのか。
2013-09-24 03:01:02.@fudesakisanzun 「ノイホイの「知恵遅れは死ね」の一言でもうだめだ」というのはわかる。あるいは、野間氏のバカチョンをめぐる暴論にもとうてい許しがたいものがある。でも、それを「ノイホイ(野間)のやることはだめだ」と連結するのはおかしい。
2013-09-24 03:04:31.@fudesakisanzun いずれにせよ、「難しい話に持ち込もうとしている」みたいな言いがかりは、自らの主張の価値そのものをだめにしてしまう。政治の言葉の中でも特に粗悪な種類のものです。使うべきではありません。
2013-09-24 03:08:08@han_org 生理的な拒絶が愚かなのは承知の上です。問題を矮小化しようという意図はありません。それは金先生の論理にも学びながら私なりに考えます。私は「知恵遅れは死ね」と叫んで恥じない人の旗のもとには集えないと言っているだけです。
2013-09-24 03:08:45政治はリーダーの個性に大きく左右されますのでご指摘の点も無視できません。同時に、運動自体を毀損しない工夫が必要です。 RT @fudesakisanzun: 生理的な拒絶が愚かなのは承知の上です。|私は「知恵遅れは死ね」と叫んで恥じない人の旗のもとには集えないと言っているだけです
2013-09-24 03:15:01@han_org あ、このツイートは見落としてました。すみません。私は「ノイホイのやることはだめだ」とは言ってないです。「同じように叫んだとしても」と書いているように。ヘイト側に対する実践的なカウンターは行うべきだと思っています。
2013-09-24 03:17:32.@fudesakisanzun なるほど、それはよかった。最近、別の方と似た論点をめぐって軽く衝突したことがあったので、つい一緒にしてしまったかもしれません。失礼しました。それぞれの場所からできることをやっていきましょう。
2013-09-24 03:23:34単純な話、私はデモに自分の子供は連れていかない。闘争の場であるからだ。でも日本のデモはそうではないらしい。へサヨだの死ねだの下品で汚い言葉で平気で人を罵る主催者が警察や公安とよろしくやって「はい、今日はこれでお開き」と言えば素直に従う、なんていうのは私には到底デモとは思えない。
2013-09-21 23:19:11↓後半はそのとおりだと思う。けど、やはりこどもの人も参加できるデモであってほしい。私、参加できないよじゃないと(T_T) こどもの人をその間預かる人いないもん。それで、参加したり担わないと批判できないとなるんじゃあさ。私は口をつぐむしかなくなっちゃう。。
2013-09-24 10:01:45あと、闘争の場かもしれないけど、警察や公安との闘争の場なの??それに、闘争と言っても議論や要求であって、物理的に衝突することを前提としてたら、やっぱり声はあげられないよー。
2013-09-24 10:05:41まとめていただいた3人の方の主張の方向性はおなじだったような気がします。デモの中でがっつりコミットするか、傍から声を発するか、はたまた運動に参加せず家から出ずにいるかで、「批判の資格」や「批判の”評価”」が異なってくる、ということなのかな?ドキドキ。議論ありがとうございます。
2013-09-24 15:04:55.@trochilidae さんの「社会運動に批判的な声をどのように“評価”するのか:告発を無効化する話法に陥らないために」をお気に入りにしました。 http://t.co/VeBnSTWBsw
2013-09-25 00:00:10