- alicewonder113
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何度もいうが能力別負担は患者負担でなく税・保険料中心にし、給付は必要原則に基づくべきと思うがそれでもカネ足りない?>見直しは、社会保障の負担を「年齢別」から支払いの「能力別」に転換するよう求めた政府の社会保障国民会議の提言を受けたもの http://t.co/CAdHFNDEzM
2013-09-27 21:28:37「必要原則で◯◯を利用できる公的制度を」というが、なぜそれだけが例外扱いなのだろうか。個人の選好は異なるのに。 さらに、供給に伴う資源配分を歪める弊害も大きい。
2013-09-27 22:59:10@oishihi 医療のケースであれば、受療が選択的な消費ではなく事故の結果生じるものと考えられるからでしょうね。事故発生のステートに入っても、そうでない時と同等の状態を保障するのが保険ですから。自己負担などは本来はモラルハザードを防ぐための道具と考える。そういうことかと。
2013-09-27 23:12:51@dig_nkt 保険については医療は相応しい対象なので納得しています。気になっているのは必要原則。なぜ健康は必要で食べ物はそうではないのかと。
2013-09-27 23:36:03@oishihi @dig_nkt 経済学的な回答ではないですが、その「なぜ」には科学的な答えはなく、政治的・社会的に決定されるということでしょう。ちなみに生活保護は必要原則に基づき、食べ物を市民に保障しています。
2013-09-28 01:14:28@oishihi @dig_nkt もちろん中田さんのように、positiveな経済学的な回答を考えることもできると思いますし、それも重要だと思います。一方で、より規範理論的・社会哲学な原則論から考えることもできます。規範的な厚生経済学などは両者の混合物なのでしょうね。
2013-09-28 01:17:57@oishihi @dojin_tw 経済学外で決定というのは、それはそれで正しいと思いますが、やはり経済学的な根拠を欲してしまいますねw。生存権を社会的に保障する合理的な理由がないと、制度を持続できなくなると思うのです。
2013-09-28 01:35:19@oishihi @dojin_tw その意味では、生存権ないしは健康を国家が保障するのは、家計の安定的な消費計画と教育投資を可能にして、外部性を取り込む事でマクロの厚生を高めるため、と考えたいと思ってます。
2013-09-28 01:38:37@dig_nkt @oishihi @dojin_tw 人道的な理由付けでの制度維持を否定すると、無力な身体障害者を保護しても納税者負担になるだけで、パレート改善にならないと主張されるかも知れませんね。ロールズ型社会的厚生関数をおいたとして、それを正当化できるかは分かりませんし。
2013-09-28 01:49:12@dig_nkt @oishihi そうですね、そういう発想が必要なのは間違いないですし、そこに事実解明型の経済学の強みがあるのも間違いないですしね。
2013-09-28 03:53:29@uncorrelated @oishihi @dojin_tw 事実として、弱者の保護は富裕層か宗教者の慈善に永らく不安定に依存してきたわけですしね。その意味では、ナショナルミニマムを制度として組み込んだウェッブ夫妻とべヴァッレッジは偉大だったなと思います。
2013-09-28 09:10:56