2013年12月上旬、東京創元社(@tokyosogensha)刊行予定 「セカイからもっと近くへ」についての東浩紀 @hazuma さんのつぶやき #genron
ただ、その不安は直截な「現実」の取り入れに向かわず、逆に、現実の影、あるいは虚構の破れ目を、さらに空想的あるいは観念的なやり方で作品化する方向に動いた。その一例が「後期クイーン的問題」だが、こう言ってみれば、新本格の「矛盾」を作品化したのが法月だけでなかったことは明らかだろう。
2013-12-20 21:15:04たとえば、『霧越邸殺人事件』などでの合理的推理と神秘主義の重ね合わせもそうだし、平穏な日常の描写と文学作品の引用の隙間からおぞましい悪意をちらつかせる北村薫の生き方もそうだ。むしろ、現実離れした謎解き小説としての壁にどこか穴が開いていることこそ、「新本格」の「らしさ」なのである。
2013-12-20 21:19:41作家や評論家の発言にもこうした意識は反映された。自分の話で恐縮だが、東は法月が雑誌「現代思想」にクイーン論を載せたのを「ミステリ作家が思想誌に論文を投稿することそのものが異例」というが、同号に私も、合理的推理を志向する作家たちが「暗合」にとらわれる不思議を論じた小文を寄せている。
2013-12-20 21:28:25いま書いてきたことが、東の議論に対する有効な反論だなどといいたいわけではない。ここまでは前置きに過ぎない。私が触れたいのは、この本で東が出している結論についてである。
2013-12-20 21:35:02東は、「後期クイーン的問題」に苦悩する法月の小説の中に、恋愛の問題を読み取り、それこそが「想像力と現実を繋ぐ社会とは別のもの」だとする。小松左京を論じながら、「生殖への欲望こそが、ぼくたちをセカイ系から、そして「マザコンが母に守られて生み出す思弁小説の罠から救ってくれる」という。
2013-12-20 21:38:08異性と出会い、愛し、子供を残そうとすること。それが想像力と現実をつなぐ。東自身が「こう要約するとそれはたいへん身も蓋もない話に聞こえる」というように、あっけにとられるような結論である。しかし、私はちょっと、というか、かなり考え込んだ。
2013-12-20 21:42:38何はともあれ『セカイからもっと近くに』読了。押井守の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』と『スカイ・クロラ』の新解釈に興奮した。DVD持ってるんで、早速見直そう。
2013-12-20 21:46:16先ほど述べたように、新本格のはらむ矛盾に自覚的なのは法月だけではなかったし、この本で書かれている法月作品の分析のほとんどは、私を含むジャンル内評論家にとって決して未踏の見解ではない。しかし、そこから、「恋愛の問題」が大事だ、という方向にはいかなかった。
2013-12-20 21:47:09つまり、東の議論をふまえれば、新本格時代の小説だけでなく、それをめぐる評論その他もろもろの言説自体が、「マザコンが母に守られて生み出す思弁」の罠にとらわれていたとも考えられるのである。
2013-12-20 21:49:24いま連続RTしました。巽昌章さん @kumonoaruji の新本格についての規定は、さすが正確です。新本格そのものが虚構の自律性への不安に駆動されたものだったという指摘は、まさにおっしゃるとおりですね。
2013-12-20 23:50:23しかし、「セカイからもっと近くに」はゼロ年代思想の中でも最もクリアにベースとなるフレームを導入し、それに4つの例を紹介している本になってる。これまでのどの本よりわかりやすさを意識されてる感があるので、まだ界隈の本を読んでない人に是非この本から世界観に入ってきてほしい。。
2013-12-22 20:18:25ゼロ年代思想って、相対主義的な思想とか、サブカルの意味不明な感じの知識の羅列もあって体系化しづらいっていう問題があって、そこをu野氏以降で一気に整理された気がする。そして「セカイからもっと近くに」はu野氏がゼロ年代思想参入後の本なわけで、ぐぐっと要点を吸収しやすくなってる。
2013-12-22 20:18:56昼から「セカイからもっと近くに(東浩紀)」を一気読みした。文芸評論という形をとった「文学」だと感じた。内面に深く入り込んで色々考えて解釈の変化を通じてものの見え方が変わるという体験。なぜこの世界には性差というものが存在するのかという哲学的な問いと救いとか希望との繋がり。
2013-12-22 22:24:33東浩紀さんの水色本こと『セカイからもっと近くに』読み終わった。東さんってこんなに優しい語り口をする人だったっけ。論点としてもシンプルでとても読みやすかったです。
2013-12-23 03:02:09『セカイからもっと近くに』を読み、その中で"生殖への欲望"がひとつのキーワードになっている。そこから亡霊や憑く女につながっていくんだけど、やっぱり四章がなんか特別な感じがしますね。東さんと市川さんの対談で三島由紀夫編があるとかないとか話してて、もし今後あるのならぜひ読んでみたい。
2013-12-23 16:09:02東浩記『セカイからもっと近くに』読了。対象となっている作家達のいずれの作品もちゃんと読んだことがなかったので買うか悩んだのだが、買って良かった。少しずつ読む予定が、夜更かしして一読。最後の憑く女、への展開の含意をイマイチ理解できていないので、近いうちに再読の予定。
2013-12-26 05:28:27【2階文学】東浩紀さん最新評論集『セカイからもっと近くに 現実から切り離された文学の諸問題』(東京創元社)のサイン本が入荷いたしました。〈著者初にして最後の、まったく新しい文芸評論。〉(帯より) 2階レジ横サイン本コーナーでどうぞ。um
2013-12-26 13:34:45東浩紀『セカイからもっと近くに』読了。すっきりした論考のわかりやすい批評本。むしろ気になるのは、何故このタイミングでこういう本が出たのか、だ。もちろん掲載誌での論考がまとまったというのがベタな考えなんだけど、むしろ『セカイ』系にピリオドを打つ為のようにも思える。→
2013-12-26 20:22:18続き)それは即ち、80年代から続くアニメ・漫画などコンテンツ系の一つの流れの『死』を意味する。異なる言い方をすると、漫画やアニメなどフィクションを楽しみとした黄金時代が『終わった』という事だろう。これは宮崎駿の『風立ちぬ』を観た時にも感じた事だが。→
2013-12-26 20:26:18続き)『セカイ』系の『死』は単なる『セカイ』系の死に留まらない。なぜなら『セカイ』系は、フィクションの得た究極の道具だからだ。『現実』あるいは『象徴』を切り離し、架空の世界と戯れるための。本書で東浩紀氏がそこにピリオドを打とうとしたのならば、判断に間違いはない。→
2013-12-26 20:32:10続き)批評家は『炭坑のカナリア』であるので、現実に東氏の言葉がコンテンツ界に響いていくまで、時間的なラグは生じるだろう。たぶん今後は、フィクションは『物語性』をなくし、別の『何か』の為の道具となっていくだろう。一部の好事家たちを除いては。悲観的過ぎるか。
2013-12-26 20:36:39付)しかし改めて読んで思ったのは、本書冒頭に示された宇野常寛氏との意見の相違について。東浩紀氏はトロツキーで、宇野氏はスターリンだよなあと。東氏はあくまで理論派=哲学者で、宇野氏は政治家なのだ。
2013-12-26 20:39:36