2013年12月上旬、東京創元社(@tokyosogensha)刊行予定 「セカイからもっと近くへ」についての東浩紀 @hazuma さんのつぶやき #genron
再読可能性、テクストの強さに関しては現在進行形であるし、どう捉えればいいのか。難しくて手が出せない。けれども、「外部」からもたらされるものによって、なにかが生まれるというのはとても魅力的なテーマではないかと思うので気になった人は『セカイよりもっと近くに』を読んだらいいと思います。
2013-12-17 23:49:14水色本ではセカイ系の問題の対処として「待つ女から産む女へ、そして憑く女(分身をばらまく不気味な女)へ」と挙げているが、「最終兵器彼女」で町そのものになる「ちせ」や「まどマギ」で魔女を滅ぼす概念になる「まどか」のような「象徴界自体にヒロインが変化する事」がセカイ系の問題ではないか。
2013-12-18 00:17:06東浩紀『セカイからもっと近くに 現実から切り離された文学の諸問題』、買うかどうか迷ってたけど目次を見て即購入決定。とりあえず「第一章 新井素子と家族の問題」を読んでみて、これは買って正解だと思った。詳細は後日。
2013-12-18 02:07:13『セカイからもっと近くに』を読んで。文学の世界はまだまだ面白いと思う。東さんの文化と政治に関する熱い思いも伝わってくる。でも同時に自分の想像力の限界を感じる。この評論を読んでる時の脳みそがギリギリする感じはたまらない。
2013-12-18 03:21:16「4章の途中までなるほど、と思いつつ、なんか現実に目を向けよう的な話になるのかな、と思いつつ、なんだか最後の最後に何かとんでもないことが起きたような気がするのだけれど、その部分がどうにも理解を超えているようで、まだ咀嚼出来ていない」>今の公式RT
2013-12-18 04:09:07東さん『セカイからもっと近くに』、息抜きにと思って読みはじめたら全部読んでしまった。2章までは比較的図式的で、多少の違和感を持ちながらもすらっと読める。1章でキャラクターによる家族というイメージが提示され、2章では、他者を媒介にした母子関係的閉域からの脱出の可能性が示される。
2013-12-18 09:14:40『セカイからもっと近くに』の押井論、スカイ・クロラは「ループを維持し、つぎのチャンスに希望を託す」物語だという指摘、個人的にはパトレイバー「二課の一番長い日」の「生きてりゃ、もう一回ぐらいやれるさ」というせりふと呼応して、おー!ってなった。
2013-12-18 11:06:39東浩紀「セカイからもっと近くに」法月綸太郎の章読了。父性の不在ではなく、暴力的な母性。故の探偵小説の根拠不在、後期クイーン的問題。そこから抜け出す可能性としての愛。評論家としての法月が抜け出せなかったこの問題から、小説家としては解決出来たのではないかという読解。
2013-12-18 12:14:55『情報社会の情念』発売明後日かよ! 『セカイからもっと近くに』と一緒に買おうと思ってたけど、あーもーいいや、買ってしまえ。二日くらい待てよ? 二日待ったら買う気力が逃げるんだよ。
2013-12-18 21:20:05自分がなにものか、自分には文章を書く資格があるのか、そんな悩みを抱えていてはラブレターは決して書けません。そしてラブレターは決して美しい必要がありません。ごちゃごちゃでいい。文学とはそもそもそういうもののはずなのです。『セカイからもっと近くにー現実から切り離された文学の諸問題ー』
2013-12-19 00:51:07セカイからもっと近くに、は最後の小松左京から新井素子への接続がよくわからんので、結局挫折した存在論的郵便的をまた読み直さなければいけなさそう。
2013-12-19 01:11:53東浩紀『セカイからもっと近くに』のほうが『福島第一原発観光地化計画』より生徒親御さんには気軽に紹介しやすい。前者のほうが想像界の佇まいにあふれているから。【ピアノレッスン物語】
2013-12-19 06:16:18東浩紀氏著『セカイからもっと近くに ー現実から切り離された文学の諸問題 』を読んでいます。単著としては『一般意思2.0』以来。文芸評論であり、対象となる原作を全く知らないのですが、その分析、読解が鮮やかで面白い。 http://t.co/MMgtednuVf
2013-12-19 23:47:27あ~「セカイからもっと近くに」の一章まで読んだけどこれややばすぎる。自分の昔の作品の事とか(高校生の頃に大手創作サークルで賞を8部門とったという小伝説がある)何であれが描けたのか、何がよかったのか、とか今の作品の作りづらさとか。
2013-12-20 08:07:12「セカイからもっと近くに」を読む。東は、現代においては想像力と現実、虚構と現実、文学と社会が切り離され、小説は社会を描けなくなったとする。「セカイ系」と呼ばれた作品が「社会」をすっ飛ばし「キミとボク」の小宇宙と「世界の危機」を直結させたように。彼はこれを「セカイ系の困難」と呼ぶ。
2013-12-20 20:25:18つまり、現代の文学などに一般的な現象として、現実と想像力の切断という事態を見出したうえ、それをかつての「セカイ系」になぞらえつつ、打開の途を探ろうという本である。他方、東がそこで検討するのは新井素子、法月綸太郎、押井守、小松左京であり、「セカイ系」よりずっと前から活動する人々だ。
2013-12-20 20:31:20なぜ彼らなのか。それは彼らが、SFやミステリといった、「いかにも現実社会に無関係で、記号的でキャラクター志向的でひきこもり的でセカイ系に近いように見える」ジャンル小説やアニメの作り手だからだ。
2013-12-20 20:35:27これ正しいのです。RT @lettuce1917:『セカイからもっと近くに』の誤植を見つけたのでメモ。 97ページ3行目、閉じ括弧の位置:(誤)「想像界(自分探し)が現実界(リアリティの崩壊)を引き起こして」 (正)「想像界(自分探し)が現実界(リアリティ)の崩壊を引き起こして」
2013-12-20 20:38:18ジャンル作家はジャンルの特性に沿って、現実社会と切り離された想像的作品を作ろうとする。東が想定している典型例は、たぶん、吹雪の山荘で名探偵がボンクラ警官を尻目に活躍する謎解きミステリのようなものだろう。ところが、この4人の作品は、それぞれに、どこかでジャンルの建前を裏切る。
2013-12-20 20:42:24東は、彼らの作品のうちに、「虚構としての完成からどうしようもなくずれていってしまい、いつの間にか現実の痕跡を招き入れてしまう」「力学」、「そのずれの構造」を見出そうとするのだ。
2013-12-20 20:48:30想像力と現実の乖離という問題に対して、現実を締め出した空想的作品を志しながらどこかで「現実の痕跡」を呼び込んでしまう彼らの作品がヒントになるのではないか、そういうことである。
2013-12-20 20:50:01法月に話を絞ると、東は、新本格を「人間描写や社会描写に背を向け、ジャンル特有の「お約束」の組み合わせで小説を書」くと規定したうえ、法月はこうした新本格のスタイルに自己矛盾を感じ、小説でも評論でも執拗にこの問題を追及したという。この把握が間違いだとはいえないが、十分ともいえない。
2013-12-20 20:58:37私にいわせれば、新本格そのもの(むろん「新本格」が実体として存在するわけではないから、ある時代傾向に対する比喩的表現としてだが)が、こうした矛盾の内在を自覚していたのであって、法月は、いわばジャンルの自意識を体現していたのだ。
2013-12-20 21:03:14いいかえれば、新本格は、「現実」を締め出して自己完結した虚構に遊ぼうとしながら、たえず、その虚構の壁の向こうに「現実」の影を感じ、あるいは、壁のどこかに穴が開いていると感じて、その不安によって駆動されるジャンルであった。
2013-12-20 21:07:27